余計なことはするな
「あなた、死相が視えるわ。近いうちに死ぬかもしれないわね」
「へ?」
ある日、私は占い師にそう教えられた。
一瞬世界から音や色が消えた。そりゃそうだろう、いきなち死相が視えると言われたのだから。
「その死相を回避することはできるんですか」
私は考えるより先に占い師に問いかけていた。
占い師は険しい顔をで固まっていて、しばらく言いそうになかった。
何を迷っているのだ。私が急かしても占い師はだまったままだ。
私には死んではいけない理由がある。
私は三十歳の頃、建設会社を辞め、自ら会社を立ち上げた。
最近、その会社がやっと波に乗ってきて天王山とも呼べる時期なのだ。それなのに死相が視えるなどと言われてしまったのである。心配にならない方がおかしく、死にたくないのに焦らしてくるだなんて!
まさか、私が言われたことをできないとでも思っているのだろうか。私は一度決めたことは絶対に破らないと誓っている。だからどんなことでも絶対に達成してみせてやる。
「あなたに言うとなんだか逆効果な気がするけどお客さんの頼みなら」
とうとう折れて占い師は渋々口を開いた。
「うーんでもなぁ、……あなたは余計なことは何もしないで」
「何もしない……? それは、どのくらいの期間ですか」
「えーっと、だいたい一週間くらいじゃないかしら」
嘘だろ。私は絶句した。
『何もしない』これは字面よりも遥かにハードな条件だ。これから一週間何もしない、いやできないのだ。
一週間。いつもは飛ぶようにすぎていくような日数が、酷く長い道のりに感じた。
どうだ、できるか。私は自分自身に問いかけた。その答えは直ぐにでた。いや、問いかける前から答えは決まっていた。
「やってやりますよ。一週間何もしないで生きてまたここに来てやる」
「はぁ。まあ頑張って」
占い師は若干呆れ気味に言った。
家に戻ってから私は忙しかった。
仕事をキャンセルする連絡をしなければならなかったからだ。怒号の嵐を浴びたが、もしその仕事先で事故や何かが起きて死んでしまうことを考えれば我慢できた。これも全ては未来の会社のためなんだ。
そしてこれからやってくる一週間に、苦行へ立ち向かう修行僧のような気持ちを抱きながら私はベッドの中へ潜った。
朝。私は太陽の光で目が覚めた。アラームなしで起きるのなんて何年ぶりだろう。私はくーっと大きく伸びをしてスマホを覗いた。
〈10:34〉スマホのディスプレイにはそう表示されていた。いつもなら途切れる気がしない仕事の山を半ばルーティンワークのようにこなしている頃だろう。
私は時計の下を見てぎょっとした。仕事の催促、心配のメッセージ、怒りなど様々な言葉が連なって何百通も表示されていたからだ。私一人が休んだだけでこんなにも影響が出てしまうのか。改めて今の立場の重大さを理解した。やはり私は必要とされている、死んではいけないんだ。
私は恐ろしさ半分嬉しさ半分のような気持ちでスマホの電源を落とし、ポイとソファの方へ投げ捨てた。
「はぁー、暇だ」
なんとなく口に出したものの、返してくれる者は誰もおらず、凪いだ空気に溶けた。
今私が会社に居ない間どんな状況なのか心配で心配で仕方がなかった。
私が死ぬわけにはいかない理由は、あのわが子のような会社、たったひとつだけなのだから。
でも実際暇は暇だ。スマホはさっき投げたし、食事も取れない。
私はただベッドに寝転がり窓から見える雲をひたすら眺めて一日を潰した。
私はハッとして目を覚ました。辺りは闇に沈み、大きな月がほかの星々を飲み込まんと光輝いている。
夜か。やっと一日目が終わった。ずっと寝ていたのにも関わらず精神がささくれ、摩耗しているのを感じた。
これから一週間、これか。いつ死んでもおかしくない状況に立たされているのはこんなにも疲れるものなのか。
「これから一週間どうするかな」
そっと放ったつぶやきに腹のくぅ〜という気の抜けた音だけが答えた。
二日ほどたった夕方、何となしにテレビをつけると驚くべきニュースが目に飛び込んできた。
放送されていたのは火災事故のニュース。そして現場は私が昨日行くはずだったオフィスのある小さなビル。
昨日の昼間、小さなタバコの火が書類の山に燃え移り炎上。それがどんどん燃え広がり全焼という事態にまでなってしまったらしい。それにより建築会社の杜撰な対応が明るみに出た。
「ここ、脱サラ前に勤めていたところじゃないか」
なんてこった。もし退職していなかったらどんな事になっていただろう。担当していた地区こそ違うものの、最悪リストラも有り得た。なんという幸運だろうか。
燃えてしまったビルには申し訳ないが私はひとりきりの部屋の中でガッツポーズをした。
もしかしたらあの占い師、本物かもしれない。今までは杞憂の可能性を孕んでいた気配が急に真実味を帯びてこちらを睨んでくる。
私はこの試練を生き抜かなければならない。私は心からそう思った。
次の日、いつもと同じようにアラームなしで起き、大きく伸びを……することが出来なかった。
腕が重い。心臓が重い。体力がどんどん削られているのか。今まで認識こそしていたがまだ遠い存在のように思っていた感情が急に目と鼻の先にまで接近したのを感じた。
死亡。その二文字が私の脳裏をチラついた。
その二文字を私は首を力なく振り、外へ追い出した。私はまだ死にたくない。今ある全てを投げ打ってでも私は生きるのだ。
ジリリリリリ!!!!!
早朝に家の固定電話がけたたましく叫んだ。
私は床を這いずるように電話へ向かい受話器をとった。
『――社長、なんで僕たちを裏切ったんですか!』
部下の声が空っぽの脳内を駆け巡った。彼は前の会社の頃から着いてきてくれていた私が最も信頼を置いていた部下だった。
「裏切った……?」
私は擦り切れてほとんど出ていないような掠れた声で問いかけた。その声は彼には届かなかったようで、依然強い口調で私に悲しみの叫びをあげた。
『そうですよ!なんで理由も話さずに休んでるんですか。あなたが仕事をキャンセルしまくったおかげで我が社の評判はガタ落ち。もうどこも相手をしてくれないんですよ』
「え?」
『もうあなたには失望しました。さようなら』
ブツンッと音を立てて電話は切れた。
最も大事なものを失った。私に生きる意味などあるのだろうか。
私は頭を抱えた。しかしすぐに頭をあげた。私は生きたい。会社なんてこの際どうだっていい。私は、私が生きてさえすればいいのだ。
私は晴れやかな気分で固定電話のコードを抜き取った。
あと、一日。
正念場。
飢餓状態は恒常化し、それに対してはもう何も思わなくなっていた。
身体を思うように動かすことすら叶わず、ただ呆然と消し忘れたテレビの画面眺めるだけの物体と化していた。
身体の歪みは刻一刻と増し、常に身体のどこかで痛みが走った。
ああ、私は死ぬのだろうか。そんな考えが脳の皺に挟まって取れない。何も感じない私の精神世界でただ、恐怖感だけが今日も元気に踊り狂うている。
私は泥のようにベッドの上に広がった。
今日で終わりだ。
身体は悲鳴をあげ、もう指一本動かす力も残ってなんかいない。しかし私には希望が満ち溢れていた。
今日を生き延びれば冷蔵庫を開いて中にあるありったけの食料を貪り尽くしたい。そんな欲望に心が満たされていた。
そんな希望とは裏腹に身体はジワジワと弱ってきている。
照りつける日差しが死を催促するようにチクチクと肌を刺してきた。
「あと、一時間」
思わず出ない声を出してしまった。
もう目を開ける気力すらなくベッドに横たわっている。
飛びそうな意識を無理やり現世におしとどめている時、ニュースは流れた。
私の会社の社員が不正を犯したそうだ。テレビからあの電話をかけてきた部下の謝罪する声が聞こえてきた。
ざまぁみろ!私を見限ったからだ。私は思いっきり嘲笑ってやった──声は出なかったが。
会社の運命はここで終わった。だが私は私の運命から生き延びる。最後まで生きてやる!
水に潜るようにテレビの音声が遠くへ揺らいでいった。
占い師がシャワーから戻ってくると、テレビであるニュースが流れていた。どうやら不正が発覚した会社の社長が自宅で死んでいたらしい。自殺か? という見出しがでかでかと映っている。
「へぇ。あらあの人先週来たお客さんじゃない」
占い師はソファにドスッと沈みこんだ。
「馬鹿ね。教えてあげたのに。『余計なことは』何もするなって。普通に生きてれば何もかも回避出来たのにね」
占い師は呆れたと笑い、それからテレビの電源を無表情で消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます