由井、田原くんとの初めての記憶を掘り起こす
「お帰り、天使さん。説得はうまくいかなかったみたいね」
と私が言うと天使は、小さな羽根を体の前で組み合わせ、顔の真ん中をきゅっとくぼませた。
どうやらしかめ面を作ったらしい。続けてこういうことを言ってきたからには、その解釈で間違いないと思う。
「また悪魔と話したんですか。感心しませんねえ」
私はそれに対して、特に何も言わなかった。言う前から全部お見通しであることは分かりきっているのだから、なにもわざわざこちらから説明する必要はないというものだ。
「それはそうなんですけどね……まあ、とはいっても、相変わらず田原さんを見捨てようとしないあたりは、やはり感心だと思いますよ。犯してきた罪は多くとも、そういう美点があればこそ、救われる対象になりえるというものです。救い主の逸話にもあります通り、多く愛したものは多く許されるのであります」
分かったような分からないようなたとえを持ち出し、天使は一人で納得している。
私はそれをただ眺める。それ以外に反応しようがない。なにしろ、救い主の逸話なるものを知らないのだからして。聖書か何かにある話なんだろうな、という気はするけれど。
「その通りです。お出しした絵本、是非きちんと読んでみてください。退屈だとかなんだとか言って、途中で放棄せずに。あなた自身の糧となる言葉が多く記されておりますので」
……あー、うん、後でね。うん。後で。
私今、手紙を書かなきゃいけないし。一人のほうが集中出来そうだから。また後で来てくれないかしら?
「……ま、いいでしょう。それでは私、もう一度見回りに行きますのでね」
クリオネが光に包まれ、窓辺から消えた。
私は安堵の息を漏らし、再び文を書く。
『あなたが折り紙で作った町を、私、悪魔さんに見せてもらったのよ。スマホで画像を送ってくれたの。どれもすごい出来栄えだったわね――』
ふと、手が止まる。
(……そういえば田原くん、この手紙を読んだとして、私が書いたものだと信じてくれるかしら……)
もう一度文を読み返してみる。
(……これじゃいまいち、信じてくれそうにないかも)
どうしてかというと、今現在、死後の世界についてのことしか書いてないから。
こんなもの、天使や悪魔でも書ける。あいつらが僕を騙そうとしてこんなものを書いたんだんだ――田原くんはそのように思うかもしれない。なにしろ非常に疑心暗鬼になっている精神状態だからして。
なら、どうしたらいのか。
(あ、そうだ。私と田原くんしか知らないことを書いたらいいんじゃないかしら。たとえばあの時ああ言っていたとか、こう言っていたとか) なんていい思い付きだろうと、一瞬自画自賛してしまったが、さて具体的に何を書くかとなると、たちまち行き詰ってしまう。
実のところ、生きている間に田原くんと交わした会話なんて、細かく覚えていない……。
(下手に「あの時こう言ったでしょう」とか書いて、それが違ってたら相当まずいわよね。田原くん手紙のことをより信用しなくなっちゃいそう)
とくると、自分でも間違いないと確信出来る記憶だけを書かなければならない。田原くんと二人きりの際にあったこと、という条件をつけて。
そうすると……。
(セックスのことしかないような……)
いや実際それしかない。それなら確実に覚えている自信がある――いやそんな自信があってもどうなんだという感じは自分でもすごくするけど――でも、でも、背に腹は変えられない。
田原くんもそういうことなら、確実に覚えているはずだ。だってスクールカウンセラーの山中さんと私がしてるところ、日記に書いちゃうくらいなんだもの。
(書くしかない、か)
火照ってくる顔を手で押さえて、私は、気恥ずかしさに耐える。そして掘り起こす。田原くんと初めてしたときの記憶を。
あの時私は、山中さんに会うために保健室へ行ったのだ。
でも、山中さんはちょうどその時いなかった(後で本人に聞いたら、その時保護者の要請があって、不登校の生徒のとこを訪問にしに行っていたとのこと)。
とにかく山中さんがいなかったので、私は帰ろうとした。
そうしたら、そこへ、急に田原くんが現れたのだ。
させてくださいと熱意を込めてお願いされた。『山中さんとしているみたいに、僕にもさせてくださいっ』って。
彼が私と山中さんの関係を知っていることに、私はびっくりしてしまった。どうしようかなと迷った。
私と田原くん付き合っているわけでもなんでもないしそうするのはちょっと違うんじゃないか、と思って返事を渋っていたら、田原くんがぶるぶる震えて泣き出して、土下座して、させてくれないなら死ぬとまで言い出してきたものだから、ついついかわいそうになってきて。
(……一回くらいならいいかなっていう気持ちになっちゃったのよねえ……)
だから、そういう風に田原くんに言ったんだった。そしたら田原くんいきなり立ち上がって、そのときには股間が大きくなってて、山中さんのより大きいかもしれないとか思っていたらベッドに押し倒してきて。
だけどそこからどうしていいのかよく分からなかったみたいで、無闇に私のパンツを脱がせようとして、それがあんまり不器用だったものだから、私、止めたんだっけ。「ちょっと待って、そんなに引っ張ったら下着伸びちゃうから、私が脱ぐまで待って」って。
田原くん怒られたと思ったのか、ビクッと動きを止めて、あわあわこっちを見てたっけ。
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