天使カムバック
人間のために作ったもの……ってなんだろう。
疑問を抱くより先に悪魔は、得々と説明してきた。ミジンコの胸を張って。
「分かりやすく言うと『仮想世界』って奴だ。ここに来ちまったことで死ぬほど鬱々してる人間多いからな。そいつらの気晴らしのために、そいつらが欲しがってる形の遊び場を提供してやってるわけ」
どうもうまくイメージがわかないけど……要するに、ネットゲームの仮想空間みたいなものかしら。
「当たらずとも、遠からじ――ただし宇宙レベルで段違いなクオリティ」
悪魔が短い触手を振り上げた。
直後、砂の中から金色の柱が飛び出してきた。
柱はぐんぐん天高く伸びて行く。先端が膨らみ、花のように開く。
開いた部分はレース状になってお互いに絡み合い、重なり、インドの宮殿のような形を組み上げていく。
建物の上に建物、そのまた上に建物。更にその上にも……。
出現したもののあまりの大きさに私は、度肝を抜かれてしまった。
「どう?」
感想を求められても、すぐには言葉が出てこない。
直近にいるので全体像はさっぱり見えないが、でも――とんでもない規模の物体が、か細い柱一本で支えられていることだけは分かる。
大丈夫なのだろうかこれ。今にもポキっと折れてしまいそうなんだけど。「大丈夫大丈夫、ここは死後の世界だからな。地上よりも、ずっと融通が利く。等直線運動、慣性、等加速度直線運動、放物線運動、等速円運動、万有引力、重力、音波、光波、電流電界磁界、そういった諸々の物理法則に反した建造物だって、余裕で存在出来るのさ」
等直線運動、慣性、等加速度直線運動……聞いたことあるけどいまひとつ理解し切れていない単語ばっかり……。
悪魔って科学に詳しいのかしら。
「そりゃ、当たり前だ。最下等の連中だって、人間よりは現世を構成してる法則について詳しい。そうじゃなきゃ仕事出来ないからな。言っちゃなんだがお前達が科学って言ってるものは、その法則のうち10分の1もまだ見つけてないんだぞ」
……あ、そう。人類の進歩もまだまだってことなのかしら。
「――じゃあ、またな」
えっ。消えちゃった!?
「ち、ちょっと待ってよ。これどうしたらいいのよ! これも消していってよ! こんな大きなもの家の近くにあったら困るんだけど!」
呼びかけるも一切返事はない。
私は頭を抱えたくなった。
どうしようこれ。悪魔は大丈夫って言ったけど、万一倒れてきたら、私確実に潰れされて死んじゃいそう……あ、死んでるからもう死なないのか。でも、死なないにしても痛かったら嫌だし。とりあえず倒れてきても大丈夫なくらい、遠くに離れていたほうがいいかしら。
あれやこれや思い悩むその時、天使が戻ってきてくれた。クリオネの形で。
「やれやれ、やっと片付い……うあ! また悪魔の奴こんなものを作って!」
……悪魔の作ってすぐ分かるのね。まあ、それはそうか。人間には出来そうにないし。
「もう! もうもう!」
プンプンしながら天使は、顔(多分)の真ん中からビームを発した。
ビームが当たった瞬間巨大な建造物は、いとも簡単に砂に戻る。
残ったのは殺風景な風景だけ。
天使がクリオネから子供の姿になった。腕組みし私の前まで来て、渋面を作る。
「由井さん、あなた悪魔と話しましたね」
違う、と言ってもこちらの心が読めるのだから無駄なことね。
ええ会うには会ったの。話もしたの。でも、特に悪い人ではなかったみたい。
「あのねえ、そうやって節操なくよろめくのは止めてください。連中と親しくなっても、いいことなんかひとつも起こらないんですから。も、ね、百害あって一理無しの存在ですあれは」
この言い方。悪魔と天使って、確かに仲が悪そうね。
現世は勿論、ここでも戦ってるって聞かされたけど、本当?
「戦いというより、清掃作業ですね。連中が作った違法被造物を解体して回ってるんですよ。我々」
「それって……悪魔が言ってた『仮想世界』っていうやつ?」
「ええそうです。あれは実に有害なものです。人間にとって」
そうなのかしら。遊び場だというし……別にそこまでの害はないんじゃ。
「とーんでもない。そんなのんきな物じゃあないですよ、あれは」
天使はオーバーに肩をすくめて見せた。それから私の顔を見て、ふうとため息をついた。
「私の言うことに、納得されていませんね」
ええ、まあ。そこまでは。実際に見たことがないし。なら、判断は留保したいところよね。
「じゃあ、見てみますか?」
えっ。見られるものなの、それ。
「はい。でも、私の監督下において、ちょっとだけですよ」
天使はクリオネに戻る。そして、軽トラくらいの大きさに膨れ上がる。
「さあ、お乗りください」
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