由井、悪魔にやすやすとよろめきかける




「そりゃもう、悪魔だから」

 含み笑いしたミジンコは、再びイケメンの姿になった。

 さっきは一瞬見ただけだったから、そこまで思わなかったけど、改めてこの至近距離で見ると、本当に――かっこいい。

 風もないのにさらさら揺れる髪、青みを帯びた涼しげな瞳。目つきはちょっと鋭いけど、でも、そういうの嫌いじゃない。背も高くて、スタイルが良くて。溜息が出ちゃいそう。

 こんな人が街中を歩いていたら、きっとみんな振り返る。二度見する。ホストクラブに入ったら、文句なしのナンバーワンになれる。まるでドラマから抜け出てきたみたい。正直……胸がどきどきしてくる。

「おやおや、節操のないことで」

 悪魔の手が私の頬に触れた。

 瞬間私は、電気が走ったように思った。

 お腹の底から背筋を伝って全身に、ぞくぞくっと震えが走る。

 思い切り抱きつきたい衝動に駆られる。唇を重ねて、それから服を脱いで、ううん、脱がなくてもいいけど、腕と腕を、足と足を絡めて……そうして……。

(……ちょっと、何考えてるの私。こんな場所でこんな時にそんな妄想繰り広げてる場合じゃないでしょ!)

 慌てて頭を振ろうとしたところ、甘い声が熱い息と一緒に、耳の中へ送り込まれた。

「よくよく発情しやすいたちだねえ。いやあ、生きてるときに会いたかったなあ、秋菜ちゃん。そうしたらどれだけ楽しませてあげられたことか」

 私は息を飲み込んだ。

 おおっぴらに言えないような衝動がふつふつとわいて来る。

 田原くんとしたときのことや、山中さんとしたときのことや、その前のことが脳裏に蘇ってくる。匂いや音、感触つきで。

 どうしよう、おかしくなりそう。

「まあここでだって楽しむことは出来るけどね。擬似的に、だけど――秋菜ちゃん、やる気ある?」

 あるなしで言うと、ある。その方向に自分が大きく傾いていくのを、どうすることも出来ない。

 いやでも、さすがにそれはまずいのではないだろうか。今会ったばかりの人と。

 いや人じゃない悪魔だ。だからいいのかも。

 いやでも。

 ぐるぐるしながら私は、悪魔のほうに一歩踏み出す。

 そこで憑き物が落ちたように我に返った。悪魔がこう言ったので。

「ま、やめとこか。確かにお前と俺、今会ったばかりだし」

 あ……危なかった……これが悪魔の力……恐るべし。

「いや、俺の力によるものだけでもないよ。お前もお前で、特別誘惑に弱いんだ。簡単に言うと、やりがたり。ぱっと見清楚可憐な文学少女って感じなのに、ねえ。全く、人間見かけによらないよな」

 ちょ、ちょっと……そこまで露骨に言うことないんじゃないの。

「じゃあ、ビッチ。もしくはサセコ」

 その言い方もいやだなんだけど。たまにそう言ってくる人も、確かにいたような気がするけど。

「たまにじゃなくてかなり言われてた方だと思うけどな。とはいえ、そんなに嫌われてなかったのは、つまみ食い傾向がなかったからかな」

 何それ。

「一人相手決めたら、それをしゃぶりつくすまで、他の物件に手を出さないだろ」

 言い方!

 恋人が出来たらその人としたいときに出来るんだから、同時にわざわざ他の人を求めなくてもいいじゃないの! 普通でしょう、それって!

「普通かねえ……ま、いいけどさ」

 悪魔は口笛を吹きながら、ポケットから出してきたサイコロを、手のひらで弄ぶ。

 その姿、なんとも小憎らしい。

 かっこいいけど。

「まあ、善良だよね。淫乱なだけで。ああ、本当に生きているときに出会えてたならなあ……稀代の悪女に仕立て上げることだって出来たものを――ン?」

 悪魔が急に怪訝な顔をした。あさっての方向に視線を向け、ち、と舌打ちし、ミジンコに戻る。

「会話の途中で悪いけど、仲間から応援要請があったんで、行かなきゃなんないんだ。続きはまた今度な」

 あら、天使と同じこといってる。

 応援て、なんの応援なのかしら。

「そらもちろん、天使軍団と戦うに際しての応援」

「え? ここは非武装地帯ってさっき言ってたじゃない」

「『お互い身入れて争わん』とも言っただろ。適当には争うんだ、やっぱりな」

「……何を争うの。こんな場所で争うこと、何かあるの」

「あるよー。あいつら本当に狭量でしょうがなくてさー。俺たちがボランティア精神で人間に作ってやったもの、見つけるが早いか、片っ端から消しにかかってくんのよー」



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