言うだけ言って、天使、消える。




 何の心の準備もしていないところに、突然そんなことを聞かされて、私は激しく動揺した。

 まさか田原くんが自殺するなんて。一体どうして。確かにもとからちょっと不安定な子だったけどそんな、早まったことを。

 はっ。もしかして私のせいなんだろうか。

 私がセックスするのを止めようと言ったから死にたくなったんだろうか。そもそもさせてくれなきゃ死ぬと言ってはいたのだし。

 いやでも、そんなことで死んでしまわなくても。そして私を殺さなくても。そもそもセックスなんてしようと思えば誰とでも出来るものなんだから、何も私一人にこだわり続けることもなかったのに……。

 ああなる前に、もっと彼と、そういうことを話し合うべきだったかもしれない。今更悔やんでも遅いけど……。

「それはそれで別の問題を引き起こしていそうな気もしますね。いいですけど。でもまあ、そんなに気になさらなくてもかまわないのではないでしょうか。先にも申しましたが、人間必ず死ぬのです、遅いか早いか、それだけの違いです」

「理屈ではそうかもしれないけれど……やっぱり気になるわよ。でもそういうことなら、田原くんもここに来ているの?」

「はい――あ、会おうなんて気は起こさないでくださいよ。被害者と加害者が会ったら、ろくなことにならないんですから。そうするよう頼まれても。お受けいたしかねますからね」

 天使は丸っこい手の指を私の鼻先に突きつけた。ぷっくらしたピンク色のほっぺたに、空気をいっぱいためこんで。

「大事なことだからもう一度言いますよ。絶対に、お受けいたしかねますからね? お受けいたしかねますからね?」

 この念の押しよう……もしかして実際に『ろくなことに』ならなかった実例を見ているのだろうか。この天使。

「ご名答です。もー、お断りですよ私は。『被害者に謝りたい』だの『加害者を許したい』だの、皆さん散々口にされますがね、いい結果になった試しがない。大体、死んでから償おうったって、無意味です。審判の際問われるのは、生きているときの行いなんです。生前善行を行えなかった者は潔く諦め、じたばたせず、不合格必定の審判を受け入れゆくゆく地獄に投げ込まれる旨をいただきたい」

 ……可愛い顔で、さらっとすごいことを言うわね、天使って。

 私は宗教のことを詳しく習ったことはないから、雰囲気でしか知らないけど……地獄って、相当ひどいところじゃなかったかしら? 鬼に切り刻まれたり針の山を歩かされたり血の池を泳がされたり。

「かなり異教徒的なイメージが入ってますねー」

「本当は違うの?」

「んー、当たらずとも遠からずってとこですかね」

 じゃあやっぱり噂通りのひどいところなんだ。そんなところに投げ込まれたらと考えると、相当怖い……。

「大丈夫ですよ、あなたは。さっきも言いましたけど、合格ラインに入ってると思いますから。品行はさておき、心は善良なほうですからね。罪せられることはないでしょう」

 そう? 

 ならいいけど……は。でも、待って。そういえば田原くんはどうなのかしら。私を殺しちゃったっていうのは、罪にカウントされちゃうわよね。後、自殺も罪としてカウントされちゃうようなことを、この天使言ってなかったかしら?

「ええ。言いました。ということで彼は地獄行きですね」

 ……そ、それはもう絶対に決まってるの? 決まっちゃってるの?

 田原くんがそこまでの目に遭わされるのは、かわいそうなんだけど。私をナイフで刺して殺した以外に特に悪事は働いてないと思うんだけど。情状酌量とか、ないの?

「ございません。審判は厳正なものです。人間は生きているときの行いが全てです」

 そう言いながら天使は、片手を高く持ち上げるポーズをとる。

 そこで彼の頭の上にある光の環が、キラキラ点滅し始めた。

 天使の顔がくしゃくしゃにしかめられる、梅干を食べた時みたいに。

「……どうやらまた問題が起きたみたいですね。申し訳ありませんが、私ちょっと仲間の応援に行ってきます。とにかくね、由井さん、生きていた時のことは思い切りよく割り切って、悠々自適に過ごすことだけを考えてくださいませー」

 それだけ言い残して天使は、光に包まれ、消えた。

 一人取り残された私は途方に暮れる。

(悠々自適と言われても……こんな砂しかない場所で、何をどうすれば)

 振り向けばそこには、相変わらず田原くんの家が建っている。

(……とりあえず疲れたから……寝ようかな……)




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る