第14話 その夜
臥台に腰掛けた雪玲は強張った体を解すべく、上半身を後ろに反らした。バキバキと骨が鳴り、筋肉が軋む。湯浴みの際に珠音が筋肉痛を軽減すると
明日、訪れるであろう体の痛みをどうにか減らせないだろうかと腕や足を揉んでいると
「あら、木槿。起きたのですか?」
鳥籠の中では、先程まで熟睡していた木槿が翼をはためかせて抗議の声をあげていた。きっと腹を空かせたのだろう。小柄な体型ながら、その食欲は生存する鴆の中でも群を抜いている。
「さあ、こちらに来てください」
扉をあけて、腕を差し出すと木槿は躊躇うことなく飛び乗ってきた。くるりとした目で周囲を不思議そうに見回している。
「今日からここで暮らすことになりました。しばらくはお家に帰れません」
餌入れから干した果物を取り出して木槿に与えながら雪玲は頬に手を当ててため息をつく。
「……了承したけれど、どうすればいいのでしょうか」
干し果物を啄みながら木槿は小首を傾げた。
「正直に言って、今知っている状況だけでは下手人は誰か判断できません。それに起こった事件の詳細も聞いていませんし……」
窮屈な軒車で詳細を語られるものだと思っていたが、そのようなことはなく。雪玲が知っている情報は屋敷で語られた一年前に鴆毒が使われた茶会毒殺事件とその後起こった懐妊中の妃嬪二名の毒殺事件のみ。筆録すら渡されなかった。
「皇太后様の件でお忙しいのはわかっているのだけれど、詳細を教えて欲しいです」
皇太后が倒れ危篤だ——使者が口走った言葉に翔鵬は血相を変えると帰城後、雪玲を放ってどこかに行ってしまったため叶わず。その状態で罪人を探せと言われても無理だ。不可能だ。
自分の足で地道に情報収集を、という考えも「後宮内での争いごとは避けるように」と釘を刺されているので難しい。翔鵬は雪玲に一介の妃嬪として、目立つことなく事件を解決に導いて欲しがった。
それは彼が薔薇という女性を想ってだと言うのは理解しているが、どうにも無茶振りが過ぎる。雪玲が悩ましげに唸っていると扉越しに声をかけられた。
「どちら様でしょうか?」
もうすぐ朝陽が昇る時刻の来訪者に雪玲は身構える。
「白暘です」
声の主は白暘だった。雪玲は急いで身支度を整えると扉を開けた。
「白暘様、こんなお時間にどうされたのですか?」
「本日から鳴美人様付きになりました。まだ起きているようでしたので気になり、声をかけました」
「……本日から? ここ数日、まともに休んではいないのですからお休みになられてはどうですか?」
「休息はしかといただいております。心配はご無用です」
「瑞王様のお気に入りというのも大変なのですね」
まるで馬車馬のごとくこき使われていることを憐れむと、白暘は苦笑をこぼした。
「私のような人間でも、役に立てるのなら本望です」
「ような、とはずいぶんとご自分を軽視するのですね。毒に耐性があり、容姿も優れているとなれば引くて数多でしょうに」
「私は本来、このような立場にいれる人間ではありませんから」
ふいに、笑顔に陰がさす。今にも泣きそうに見えて、雪玲は手を伸ばした。指先が頬に触れる前に一歩身を引いた白暘が誤魔化すように笑う。
「鳴美人様から見て、瑞王様はどのような御人に写りますか?」
意図が分からない質問だ。雪玲が本当に協力するのか探りを入れるためだろうか? それとも、ただ単に興味本位で聞いてきたのだろうか、と雪玲が悩んでいると白暘は目尻を緩めた。
「これは雑談ですので報告はしませんから安心してください」
と、言われても白暘は翔鵬の腹心だ。その言葉を信じていいのか判断ができず、雪玲は視線を床に落とした。
「……率直な方だと思います」
——良くも悪くも。
それでいて、愚直だとも思っている。
「自分の心に正直で、見ていて羨ましいと思っております」
「率直ですか、確かに」
納得するかのように頷くと白暘は
「大丈夫そうですか?」
「……え」
急に話題を変えられて、雪玲はたじろいだ。
どういう意味か問いかける前に白暘が口を開いた。
「急に連れ去られて、後宮の揉め事を解決しろと無理難題を押し付けられて、心労がかさんでいる様子でしたので」
「……疲れているように見えますか?」
「少し。それで眠れないのかと思っていました」
「少し、本当に少しだけですよ。疲れているのは。けれど、これも我が家のためです。頑張ります」
ぐっと拳を握りしめ、意気込みを表現すると白暘は目元を緩めた。そこに人形の面影はない。なんとなくだが、白暘は本心から雪玲を心配していたのだろう。
「瑞王様は自分の心のままに生きていますが、約束を
「あら、それは楽しみですね」
口元を隠して雪玲は笑う。きっと彼らは雪玲が望んでいるのは鳴家の復興だと思っているに違いない。雪玲が望んでいるものが「父の死の真相と董家の復興」だと知ったとき、彼らは自分をどうするだろうか?
(恐らく、家族と同様に首を刎ねられ捨てられるでしょうね)
死ぬわけにはいかない。
——例え、自分を殺すことになろうとも。
己が抱く野望を隠すように雪玲は心配そうに眉を寄せ、そういえば、と口を開く。
「皇太后様のご容態はどうですか?」
あの使者以降、音沙汰はない。国母が床に伏せていれば、騒ぎになってもおかしくはないのに後宮は不気味なほどに静かだった。
「それについては
「箝口令、ですか?」
「ええ。混乱を招かぬように一部の者しか知りません」
妙な話だ、と雪玲は思った。病床に伏せている理由は聞かされていないが、病気や不慮の事故ならば公表されるはず。歴代の皇太后が危篤の際はこの王都から遠く離れた杞里にさえ「回復を願うように」とお触れがでたのだから。
(それがないということは毒殺というところでしょうか。それも、鴆毒を使った)
それならば箝口令が敷かれるもの無理はない。翔鵬が言うには雪玲はとっくの昔に亡くなっており、その事実は上層部しか知らされていない。その事実を隠すために発令された可能性は十分高い。
「私にできることがあれば仰ってください。微力ながら力になります」
白暘の手を握り、懇願した。雪玲にとって皇太后は瑞王と並ぶ、憎き相手だがこんなことで死なすわけにはいかなかった。父の死の真相を知るであろう人物なのだから。
「お心遣い、痛み入ります。きっと皇太后様もお喜びになられるでしょう」
白暘の口元に笑みが浮かぶ。木漏れ日のように優しげだが、どこか冷たい雪を思わせた。
「
つまり、雪玲に出番はないと言うことだ。これ以上、無様に食い下がる訳にもいかず雪玲は大人しく手を離す。
「もうすぐ夜が明けます。少しでもお休みください」
「では、お言葉に甘えます」
房室に一人残された雪玲は上衣を
(皇太后様が服毒したものが分かれば解毒もできますのに)
そこまでの信用は得ていないことを実感しながら、雪玲は深い眠りへ落ちていった。
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