第15話 紛糾する朝議


「——皇太后様を苦しめるのは董雪玲でしょう」


 小さく呟かれた言葉に、朝議の場は荒れに荒れた。王座に腰掛けた翔鵬は眉間に皺を寄せた不機嫌丸出しな顔で、その言葉の発信源を睨みつける。


かん太宰たいさいよ。場を混乱させる言葉は慎め」


 乾は姓名。太宰は官職名。天子たる瑞王の側仕えだ。

 腰が曲がり杖なしでは歩けない老齢だが、その眼には歳に似つかわしくない野心が見え隠れしていた。彼にとって太宰の席は取るに足りないものなのだろう。

 その証拠に名指しされた乾太宰は、瑞王を前にしても不遜な態度で揖礼する。発言を改める気はないようで「お言葉ですが」と言葉を続けた。


「鴆毒は雪玲にしか扱えぬ猛毒でございます」


 重々しいその言葉に、空気が張り詰める。

 それは誰もが理解していることだった。茶会毒殺事件で使用されたのは鴆毒だ。董家で収集、製造した鴆毒及び、鴆薬は全て回収し焼却処分した。董家と王家で記録していた目録と照らし合わせても未回収のものはなかった。確実にこの世から除外することができたはずなのだ。

 それを可能にするのは董家の人間のみで、生き残っているのは雪玲ただ一人。彼女が一族を虐殺された恨みから後宮に忍び込み、鴆毒を盛ったと考えるのが道理だ。


「何が雪玲の呪いだ。ただの人間に人を呪うなどできはしない」


 己が口にした言葉に、翔鵬は内心で「当たり前だ」と肯定した。董雪玲は齢四つで亡くなっている。まだ物心ついたばかりの幼子が、親族を想って人々を恨むなどありはしない。それも毒羽の乱が起きたのは雪玲が亡くなり一年が経ってからなのだからあり得ない。


「しかし、現時点で八名の死者をだしております。雪玲が後宮にいると考えた方がいいでしょう」

「妃、宮女、官女、後宮で従事する女で十三才前後の娘を捕らえろと?」

「これ以上、被害が広がるならそれも致し方ないと思います」

「雪玲と同年齢というだけで処罰できるはずないだろう。それに女など化粧でいくらでも化けられる」

「化粧など剥がして、素顔を晒せばよろしいと思います。董家は代々血を外に逃さぬように婚姻を結んでおりました。他の一族より、顔立ちは似通っております」

「お前が乾皇后の身を心配していることは分かっているが雪玲の件はこちらでどうにかする。お前は気にするな」

「いやはや、私も孫が心配でしてな。あの子のためにも早く雪玲を捕らえてやりたいのです」


 乾太宰の孫は皇后の妃位を与えられている。雪玲の目的が復讐ならば、一番に狙われる立場なので乾太宰が心配するのも無理はない。

 ただ、それは孫を思う祖父心か、男児を産んだ娘を失うのが怖いのか、真意は分からない。


「それならばこちらでもう手は打ってある」


 乾太宰はわざとらしく片眉を持ち上げると顎を覆う髭を撫でた。


「瑞王様が遠出していたのもそれが理由ですか?」

「ああ、そうだ」

「後宮に新たなお妃様が入られたそうで……。確か、鳴家の姫君とお伺いしております」

「耳聡いな。を連れ帰ったのは昨夜だぞ」

「瑞王様が御自らお迎えしたお妃様は高皇后……いえ、貴妃様しかおりませぬゆえ、噂になっているようで……。老いたこの耳にすらその噂は届いております」


 けれど、と乾太宰は続ける。


「鳴家といえば董家と深い繋がりがあった商家です。妃位を与える必要はなかったのではないでしょうか?」

「美しい娘でな。手元に置いて置きたくなったのだ」


 駒としてではなく、妃として。そう伝えると乾太宰の老顔はさらに皺深くなる。恐らく、鳴家の姫君が翔鵬の寵を得て、孫娘の地位が危ぶまれることを危惧きぐしているようだ。


「大罪人の胡人といい、不安分子の娘といい妙な者を寵遇するのはおやめなさい」


 その目に浮かぶ野心の影を翔鵬は見逃さない。本人は隠しているつもりでも、乾太宰は野心の塊だ。この瑞国を手中におさめない限り、その野心は尽きないだろう。

 事件の解決のために招いた娘を手放す気は毛頭ないが、解決前にその命を奪われる恐れがあることを翔鵬は悟った。


「美しいモノを手元に置きたいのは男のさがだ」

「であれば、もっと寵を与えるべき存在が後宮に多数存在しております。茶会事件の折に三人の御子がお亡くなりになられました」

「子を成す前に事件の解決が先だ。……お前は俺の決定に逆らうのか?」


 乾太宰は推し黙る。数秒の思案の後、深々と揖礼した。


「孫を心配するあまり、出来過ぎたことを。御許しください」

「鳴春燕に与えた妃位は取り下げない。我が妃として迎え入れるのは決定事項だ」

「御意のままに……」


 やや不満な様子を見せる乾太宰を一瞥すると翔鵬は広場を見渡した。


「これにて朝儀は終了とする」


 乾太宰の言動にいきどおった翔鵬に恐れをなしたのか誰もその言葉に逆らわなかった。




 ***




「よろしいのですか?」


 文武百官が退出した広間に一人残った翔鵬が腕を組み、俯いていた時、端に控えていた白暘がそっと声をかけてきた。


「なにがだ?」


 面をあげた翔鵬は不機嫌丸だしな形相で白暘を睨みつける。


「董雪玲の件です」

「伝えない。伝えれば今以上の混乱を招く」

「ですが、いつまでも隠し通せるものではありませんよ」


 淡々と、無表情で告げられた言葉に翔鵬は乱雑に頭を掻き毟った。

 白暘の言いたいことは理解している。この一連の事件の犯人とされる董雪玲の死をいつまで秘匿にするつもりか、そう言いたいのだろう。


「言えば幽鬼ゆうれい仕業しわざだと言い出し、騒ぎ立てるのは目に見えている。犯人を見つけ出し、雪玲の仕業ではないと知らしめなければならない」

「そのために彼女を危険に晒すと?」


 珍しく他人を気にかける白暘に、翔鵬は微かに目を細めた。


「お前、鳴美人を気に入っているのだな」

「命を助けてくれた女性ですから」

「あれの役目を終えたらお前に下賜しようか?」


 まるで玩具を譲るかのような軽い言葉に白暘は軽蔑の視線を送る。


「鳴美人様は物ではございません」

「俺の言葉は絶対だ。あの女が嫌がっても王命に従わぬ者はいない。それに、大罪人であるお前にぴったりな女だ」


 大罪人——その罪の重さを理解している白暘は「違う」と否定したくなった。主人と共に大国に刃向かい、その罪科で男ではなくなった自分と董家と繋がりを持っただけの商家に生まれた彼女を比べるなど失礼だ。

 白暘の心の内を悟ったのか翔鵬は愉快そうに笑う。


「そう怖い顔をするな」


 くつくつと喉を鳴らし、頬杖をつく。


「鳴春燕が俺の望みを叶えるならば悪いようにはしないさ」

「……乾太宰は、鳴美人様を亡き者にしようとしている風に見えました」

「だろうな」


 翔鵬は漆黒の瞳で白暘を見据えた。


「あの老いぼれは鳴春燕を排除しようとするはずだ。天下を取るために」

「……」

「白暘よ。あれの代わりはいない」


 何年も探してきた。毒の知識が深く、医療に精通しており、後宮の百花に紛れても見劣りしない名花を。


「殺させはしない。絶対に。お前がその命を賭して守り抜け」


 御意、と白暘はこうべを垂れた。

 翔鵬は玉座から立ち上がると金糸から覗くかんばせを見下ろした。いつも通り、獅子のような雄々しさと氷の冷たさが共存している。

 しかし、以前のような人形ではない。しっかりと自我を持っている。


(鳴春燕が何をした?)


 翔鵬は口角を持ち上げる。わずかな期間で人形を変えた女へ興味が湧いた。


(あの女に惚れたのか?)


 人形が恋心を抱いても不思議ではない。鳴春燕は美しい娘だ。睡蓮を思わせる白皙はくせきの美貌。物憂げで悲壮的な瞳に鼻梁びりょうが通った鼻、薄く色香が匂う唇は翔鵬でさえくらっときた。

 その容姿の美しさもさることながら、鳴春燕は賢い娘でもあった。鴆毒に侵され、死を待つだけとなった白暘を救った腕前。どんな状況でさえ冷静さを失わず、機微を察する能力。物腰が柔らかいようで肝が据わった性格は好ましいという他ない。欠点をあげるとしたら、時に短慮な行動をとる点だろうか。

 しかし、それを補うほどに彼女は魅力的だった。


 ——あの女ならきっと咎人を見つけ出してくれる。


 そう、翔鵬が期待を寄せるほどに。

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