半生

作:団子○


 祖母は庭仕事をした後、昼過ぎに放送されるドラマの再放送を見るのが日課だった。いつもリビングでコーヒー片手にそれを見ている。

土曜の部活が終わって帰ってくると、今日も祖母はドラマを見ていた。


「ただいま」

「おかえり。飯なに食うっけ」

「いらない。友達と食べてきたから」

「おう」


 何となくテレビを見ると、主人公? の女の子が喫茶店でバイトをしているシーンだった。その女の子の手には立派な桃が握られている。

 うっすらと頬を染めた桃は、薄皮一枚のベールをはがすとキラキラと輝く純白の身を晒す。それはそれは見事な白桃だった。

六等分にカットされた桃は、背の高いグラスを飾るように添えられる。美味しそうなパフェだ。


今度友達とパフェでも食べに行こうかと考えながら、お風呂に入った。


題名も知らないドラマの桃を剥くシーンがやけにキラキラして見えて、思えば、私の夢はここで決まっていたのかもしれい。


中学を卒業した私は調理科のある女子高へ通い、卒業後に調理師免許を取得。市内初のケーキショップの売り子として働き始めた。

給料は安いし、せっかく調理師免許を取得したというのに厨房には入らずただ接客をするだけ。目指した未来とは随分違った結果になったが、それでも仕事の合間に店長から話を聞いたり、ケーキを作る様子を見たりした時間は無駄ではなかった。






・・・・・・十五年後・・・・・・・・・






 まだ夜も明けていない寒空の下、私は鍵が上手く刺さらなくてイライラしていた。

 かじかんだ手はモタモタとして言うことを聞かず、鍵穴の周りに鍵をぶつけてはカチカチと音を立てた。


「ああもうっ」


 上手く動かない指を左手で握って温める。指先は酷くカサついて、擦ればおろし金のような威力を発揮する。


 綺麗な指をしたパティシエールが、一つ一つ丁寧にケーキを仕上げる。想像するのはクリームを搾ったり、カットしたフルーツで飾るところ。幼い子供がパティシエールに抱くイメージはこんなところか。


 きっと、荒れてひび割れだらけの指に絶望している私の姿を見たら、子供たちのイメージは壊されてしまうだろう。


 そんなことを考えながら、温めた手で鍵を刺す。

 シャッターを上げる音は早朝の街にやけに大きく響いた。






 パティシエールの朝は早い。特に一つの店を預かる者は解錠から施錠までの瞬間店にいることになる。必然的に誰よりも早く店に来ては、一番遅くに店を出るのだ。


 早速開店の準備を始める。

 まずはクレームパティシエール。シュークリームなどに使うカスタードを大量に仕上げなければならない。一回に四リットルものカスタードを炊き、さらにそれを数回繰り返す。

 他の従業員もパラパラと合流し、せっせかせっせか狭い厨房でてんてこ舞いだ。

 シューボックスの用意もしなければはらない。用意するシュー生地に対してオーブンが小さ過ぎるため、オーブンは常に稼働し続ける。そのせいで厨房は真夏の体育館並に温度が上がる。真冬なのにクーラーをつけなければいけない程だ。

 カスタードのシューボックスの準備が終わると、シュークリームを作りつつ、前日に仕込んだケーキの仕上げを行う。


 このシーンこそ、誰もがイメージするパティシエ・パティシェールの姿だろう。



 だが実際は、三十キロの砂糖袋や二十五キロの粉物を運んだりする重労働だ。


 冷凍庫からムースを取りだし、クレームシャンティを搾ってフルーツをのせる。

 一本の状態のロールケーキも一人分にカット。


 仕込みが終わるとそれらをショーケースに移す。

 ここまでで開店時間の午前十時になる。


 この店はケーキショップ兼軽食も提供する喫茶店のようなものだ。一時間後にはランチタイムが始まる。


 一通りの仕込みが終わっても厨房に休みはない。ランチセットのためのデザートの用意や炊飯もする。メインメニューのカレーは、実は市販のレトルトカレーのためそこまで準備に時間はかからない。


 しかしこの日は・・・・・・


「カスタードあと何分で上がる?」

「あと10分くらいかかります」

「シューボックス出来ました!」

「そこ置いといて!」


 いつも以上に慌ただしかった。それもそう、今日は近くの中学校からシュークリーム二千個の注文が入っているからだ。この日は実に百リットル近くのカスタードを炊きあげた。


 ランチタイムも終了し日も傾いてきたころ、店に連絡が入った。

 いつも世話になっている披露宴会場からの電話で、ウェディングケーキを用意して欲しいとのこと。ケーキのデザインについて、新婚夫妻との話し合いが必要だ。その日程をつめて電話を切る。


 厨房へ戻るときに、窓際で話すおば様方の会話が聞こえてきた。


「市庁前のあそこ、お店の名前なんだったかしら」

「宮田さん?」

「そうそう、フルーツパーラー宮田。アレね。宮田さんとこのプリンの方が美味しわ」

「確かにあっちの方がなめらかよねぇ」


 おば様方のテーブルにはプリンとコーヒーが乗っていた。

 盗み聞きは良くないが、心の中でそっと呟く。


(その宮田さんとこのなめらかなプリン、ウチで出してるのと一緒ですよ)


 フルーツパーラー宮田はライバル店でも何でもなく、同じ鳳輪グループに属する系列店だ。プリンや焼き物のお菓子は毎朝こちらから届けている。逆にフルーツは宮田が仕入れているのだ。




 年を越して五月。ウェディングケーキのデザインについて新婚夫妻の意見を聞く。ウェディングケーキは結婚式の目玉の一つとも言える。そのため、どのウェディングケーキにしても、新婚夫妻の意見はなかなかにハードルが高い。何だにも重なったものが良いだとか、ラグビーが好きだからラグビーのフィールドみたいにして欲しいだとか、キャラクターを描いて欲しいだとか様々な要求があった。


 結婚式を楽しみにする夫婦の願いは出来るだけ叶えたい。今日はどんな無茶な要求が飛んでくるかと身構えていると、奥さんの方が一枚の紙を取り出した。

 何でも夫婦であーだこーだと言ってデザインを考えて来たらしい。

 紙にはイラスト付きで細かにお願いが書かれている。招待客のアレルギーまで記載してある。言葉だけでなく絵もあるため分かりやすかった。



 一段目は大きなホールのショートケーキだ。その真ん中には高く積み上げられた小さなロールケーキのタワーがある。

 その横には一つ一つ色も模様も違うやつと書かれている。

 正直面倒なデザインではあるが、それを実現するのがパティシエールの仕事だ。


「では、このデザインで承ります」

「楽しにしてます!」

「お願いします」


 ご機嫌で帰る夫婦を横目に、頭の中で設計図を考えるのだった。





 披露宴前日。


 いつも通り店に出すケーキや焼き物を準備にしつつ、明日の用意もする。

 まず土台となる十二号のホールケーキだ。直径約三六センチのスポンジは狭い調理場の大部分を占める。この大きさになると、道具もまた巨大なものを使わなければならない。まずはスポンジを上下にカットする包丁だ。刃渡りは日本刀一本分もあり、刀身は波のようにうねっている。男の子が見たら喜びそうなものだ。


 スポンジを挟むように丁度いい高さの木材をセットする。この上に包丁を置いてスライドさせるように切れば、切断面が綺麗に平行になるのだ。


 次は生クリームを間に挟む。泡立て器でクリームたてつつ、泡立て器の中に詰まったクリームをぼだっ、ぼたっと落とす。中の面は見た目を気にする必要がないので大雑把に広げて様々なフルーツを散らす。本題はここからだ。中のクリームを弾むように上のスポンジを押し込む。


「それじゃあ、やってみて」

「分かりました!」


 後進の教育も兼ねて、店に入ってから一番日が浅い子に表面を仕上げてもらおう。もし失敗したところで、クリームと取れば何度でもやり直せるし、仕上げにデコレーションで下地は見えなくなる。大きいサイズのデコレーションは普段から練習できるものでもないので良い機会だろう。


 回転台をクルクル回す弟子を横目に、プラスチックの台座を組み立てる。

 今回のウェディングケーキは二段で構成されている。一段目がショートケーキ。その上にロールケーキのタワーを乗せるのだ。しかし、そのままロールケーキタワーをのせると、やわらかスポンジでは重さを支えられず潰れてしまう。そのためホールケーキの真ん中にプラスチックの台座を差し込み、重みに耐えられるようにするのだ。


 別の子達は上に乗せる小さなロールケーキを作っている。これが厄介もので、色や模様を変えて欲しいとの依頼だ。同じロールケーキからは乗せるのは二つまで。出来るだけバリエーションを増やすため、何本も何本もロールケーキを作らなければならない。



 前日から大忙しで、普段より一時間ほど帰りが遅くなってしまった。

 あとは、明日の朝に飾り絞りを行い、披露宴会場に輸送、そして現地でロールケーキを積み重ねて仕事は終わりだ。

 明日の仕事は副店長に任せてある。ウェディングケーキについて、自分がすることは今日でおわり。


 ――そう思っていたのだが・・・・・・




 副店長がケーキと共に会場へ向かってからやった四十分。副店長が泣きながら帰ってきたのだ。


 あぁ、これは・・・・・・


「ごめんなさっ・・・・・・ごめんなさい! ウチ、箱から出す時、削っ・・・・・・削っちゃってッ」

「分かったから、落ち着いて。絞り袋とパレットナイフ持ってくよ」

「はぃっ・・・・・・す゛みまぜんッ」


 ウェディングケーキを箱から出す時に事故が起きることはよくあるのだ。輸送業者に任せたときはブレーキで潰れたこともある。何なら、私が注文そのものを忘れていて大急ぎで仕上げたことだってある。

 副店長の話を聞く限り、そこまで大きな被害ではなさそうだ。披露宴まで時間はあるし問題ないだろう。


 他の子に店を任せ、私はタクシーで披露宴会場まで向かった。



 会場の厨房には、12号のケーキがドカンと置いてある。華々しくフルーツやクリームで飾られたそれは、一箇所だけ無惨に削れていた。一から絞りなおすのは簡単だが、一部分だけやり直すのには技術がいる。そこは私の腕の見せどころだ。


 削れた箇所にクリームを足し、優しく塗り広げる。そのままでは段差が目立つので、余分なクリームを取り除く。上面のクリームも手直しだ。わずか十分足らずでもとの美しいホールケーキに元通りだ。

簡単に見えるが、出来るようになるにはそれなりに経験がいる。


 修復も済み、ようやく本来の作業に入る。ロールケーキタワーの組み立てだ。ストロベリーやラズベリー、抹茶、チョコなどで彩られたロールケーキを、最も美しく見えるように重ねていく。わざわざイラストを書いて色を塗って、どの積み方が綺麗に見えるか一晩中悩んだのだ。そうして出来上がった設計図をもとに、ロールケーキを積み重ねていく。てっぺんに最後の一つをちょこんと乗せて、タワーをふわりと包むように赤いリボンを結べば・・・・・・


「ふう、完成!」

「店長〜、ありがとうございまず」


 半べそをかきだした副店長にいいからいいからと手を振った。


 こうして一悶着あったウェディングケーキは無事に完成、披露宴もつつがなく幕を閉じたらしい。




 翌週、この間の新婚夫妻がわざわざ店を訪ねきた。お手紙を携えて。


 会話自体は本当に短いものだったが、とても嬉しかった。お礼を言ってくださるお客様は多いが、こうしてお手紙を届けに来てくれる人は初めてだった。素直に嬉しいし、泣きそうだった。





 季節のパフェ、今のシーズンは大変出来のいい桃が手に入る。その香りだかい桃をまるまる一つ使ったパフェはお客様にも好評だ。


 思えば、十年以上前の名前も知らないドラマが今この瞬間に続いているのだ。ツルリと剥ける桃をみて、何だか可笑しい気持ちになる。

 あんな行き当たりばったりな夢が、今は人の幸せの一助になっている。なっていて欲しい。


 人生とは分からないものだ。


 ここまでケーキ一本で生きてきた私が、半年先には店を辞めるのだから。


 六等分にカットした桃をグラスに盛り付けながら、私は「宝くじでも当たったら店でも出そうかな」なんて考えていた。


 まぁ、当たらないだろうけどさ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る