放課後に
作:莇名セイ
「あと三ヶ月くらいで卒業だね」
机を隔てて向かい側に座る楓は、カーテンの隙間から窓の外の降ってくる雪を眺めてしみじみと呟いた。
「もう十二月か……あれ、冬休みって、いつからだったっけ」
「二六日じゃなかった?」
「げ、今年はクリスマスも授業か……」
「まぁしょうがないよ。受験あるし」
私はうぅ、と呻きながら参考書や文房具が散らかった机に思わず突っ伏した。
「肖さん、ほら起きて。まだ終わってないでしょ?」
「もう無理です……お菓子食べたらできます……」
「あと一時間やったらって言ったのに。全く」
楓は少しあきれたように言うと、机の横に掛けていたトートバッグからかわいい柄の小さなプラスチックの容器をふたつ取り出した。
「何作ってきてくれたの?」
「今日はチョコのレアチーズケーキ。昨日、眠くて」
毎週月曜日、楓は必ず手作りのお菓子を持ってきてくれる。放課後、二人で教室に残って勉強をし始めるようになってからのお決まりだ。
「簡単なの?」
「うん。レアチーズと、チョコレートを溶かして混ぜて、容器に入れて冷蔵庫で冷やすだけ。レシピにビターチョコとミルクチョコ半々って書いてあったけど、肖さんは甘い方が良いでしょ? ハイミルクだけで作ってみました」
「えぇ~ありがとう……さすがは楓様……」
「どういたしまして」
綺麗な長方形のケーキにはココアパイダーがかけられていて、一口分に切るとずっしり感がフォーク越しに伝わってくる。口に入れると芳醇で濃厚な甘さがいっぱいに広がり、なんともいえない幸せな感覚に脳まで痺れた。
「おいしい~しあわせ~」
「はじめて作ったけど、これは美味しい……。レギュラー入りかな」
「先週のプリンタルトもおいしかったけど、これも引けを取らないね……」
「あ、そうそう肖さんに聞こうと思ってたんだ。クリスマスは何が食べたい? リクエスト聞くけど」
「うわ~迷うな……何がいいかな」
私はスマホの写真フォルダを見返しながらどれにしようかと頭をひねった。今まで楓が作ってきてくれたお菓子の数々は全部写真に撮って残してある。ミルフィーユやドーナツ、カップケーキに、タルト、ティラミス。クリームブリュレ。
「あ、これ」
一緒に画面をのぞき込んでいた楓はふと一枚の写真を指さした。一年半ほど前の、シュークリームの写真だ。
「おぉ。懐かしい」
なんでもないことで喧嘩をした翌週、楓が持ってきたのは辛子入りのとんでもなく辛いシュークリームだった。いわゆるロシアンシュークリームというやつだ。辛いものが大の苦手な私が泣きながらもだえるのを見て、楓は息も絶え絶えに大笑いをしていた。悪魔め、と恨みをこめた目線を送りながら水を浴びるように飲んでいた私も、最後は楓につられて笑った。
「またシュークリームにする? ケーキかマカロンかで迷ってたんだけど」
「辛いのはもう勘弁して……マカロンかケーキで!」
「今度は普通のを作るってば」
ケーキを食べ終わる頃、外はすっかり暗くなっていて最終下校時間が迫っていた。
「そろそろ帰ろう。そっちのカーテン開けてくれる?」
スカートの上から掛けて下半身を暖めていたブランケットを仕舞い、席を立つ。荷物をまとめてストーブの電源を消し、教室を出る。玄関には部活動を終えた生徒がちらほら集まってきていた。
「うわ、さむっ」
玄関の扉を開けると一瞬で冷たい空気に全身が包まれ、一気に体温が下がる。朝から降っていた雪はいつのまにかやんでいて、澄んだ空気が星がよく見えた。
「楓、マフラーの結び目緩いよ。ほどけそう」
「え、ほんと?」
「ちょっと待って」
楓の背後に回ってマフラーを軽く結び直してやる。長くて癖のない、さらさらとした黒髪が冷たい夜風に揺れていた。
「できた。寒いし早く帰ろ」
「……肖さん、手袋は?」
「あ~今日家に忘れて来ちゃったんだよね。大丈夫、カイロもってる」
コートのポケットに両手を突っ込もうとすると楓が左手を掴んだ。
「ん、なに?」
楓は何も言わずに自分の手袋を掴んだ私の左手にはめた。
「片手ずつ使えばいいよ」
「いいってば。どうせ駅までなんだし……」
そういうと楓は不服そうに頬を膨らませた。大人びた彼女にしてはだいぶ幼い反応だ。
「わかったわかった。じゃあこっちは--」
手袋をしていない右手をするりと楓の左手の指に絡める。楓は満足そうに微笑んで、きゅ、と軽く握り返してくる。
「策士だなぁ」
「何のこと?」
とぼけた様子の楓に、笑いながら帰路につく。
駅までの大通りに出るまでは静かな住宅街を通る。いつも静かな道は、まるで新雪があらゆる音を吸ってしまったかのように何も音が聞こえない。
「中学の時もこうして歩いたよね」
「中学の時?」
「うん。覚えてない?」
「……ちゃんと覚えてる。京都に修学旅行に行ったときでしょ?」
「そうそう。二日目の自由行動の時にさ」
京都を散策中、今日のように楓と二人で手をつないで歩いた。京都の町並みを見るのに夢中でどこかに行ってしまいそうな楓の手を私が引いていったのだ。
「あのときも、今日ほどじゃないけど寒かったね」
「そうだね。受験が終わって、大学生になったらまた行こう?」
「京都?」
「うん。京都でもいいし、他の場所でも良いし」
「楓は? どこか行きたいところはないの?」
「ん~温泉とか、行きたい」
「いいね、温泉」
「ひとまず大学生にならないと。落ち着いたらアルバイトして……」
「ははっ、もうそこまで考えるの?」
吐く息は白く、澄んだ空気は肌を刺すように冷たい。
それでも確かに私と楓はあたたかい時間の中にいる。
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