最終話
月曜日の放課後。保健室の担当医に向かってしばらくは俺を見張っていてください、と告げた浜辺は桜井と共にその場を去った。
しかし浜辺は相変わらず委員長気質で、詰めが甘い。
保健室の担当医は俺のことを虐めの被害者だとしか認識していないのだ。
そんな被害者が、荒業に訴えようとは心にも思っていないに違いない。
「先生、トイレ行ってきていいですか?」
俺がそう言うと、保険医は俺についてトイレの前までやってくる。
しかし女性ということもあってか、中にまでは入って来ない。
トイレの窓はただ開けるだけでは人が通れる隙間がないから安全だと思っているのだろう。
確かに窓は、縦にずらして開けるタイプだから隙間も小さい。
しかし枠全体を叩き割れば、人が一人ギリギリ通れるぐらいの隙間はできる。
俺はトイレに置いてあったモップの柄を手に持ち、ブラシの反対側の先を窓に叩きつけた。
ガシャン!と大きい音を出して割れる窓。
その音を聞きつけて男子トイレに走ってくる保険医だが、俺が窓をきちがいのように叩きつける様子を見て近づくことを恐れた教師は、救援を呼ぼうとトイレを去り、他の男教師を呼びに行った。
俺は泰然とした動作で開放された窓を乗り越え、校門を出て、周囲を見渡す。
現状の行為だけでも停学は免れないだろう。
そう考えながら見回した視線の先に、桜井と浜辺の姿があった。
俺はすっかり安心しきっているであろうふたりの後を追った。
◆
幸いなことに、羽崎の家は電車を経由しない、徒歩で行ける場所にあった。
尾行も楽に済んだ。
羽崎の家は裕福そうな面構えの一軒家だった。
そこに入っていく二人。
俺はその家の前で待機していた。
――二人が再び家の門をくぐって出てきたあとも。
今あの二人から話を聞き出そうとしても無駄なのは分かりきっている。
軽くあしらわれて終わりだ。
ただ一つ、家を出てきた浜辺の顔に怒りの色が滲んでいるのが気になったが。
◆
俺は一日どころか、一週間程度はそこで羽崎を張り込む覚悟だった。
しかし運の良いことに、羽崎は浜辺たちが帰ったその日の深夜11時に家を出てきた。
恐らくコンビニかどこかに行くのだろう。
「おい」
俺が低い声でそう呼びかけると、羽崎の背中がビクッと震える。
恐る恐るといった様子で振り返る羽崎。
「岸宮、なんでここに…」
「単刀直入に済ませようぜ」
俺は羽崎を睨み据える。
「どうして、広瀬を庇った?」
威圧するように言ったつもりだったが、羽崎は必死に拒絶する。
「い、言える訳ないだろ!!よりにもよって、おまえなんかに…」
「そうか――」
俺がそう言い、拳を振り上げると、羽崎は健気にも言いつのろうとする。
「お、俺だって伊達に今まで腹を殴られてきたわけじゃ――え?」
言葉を張り上げる最中に羽崎も気づいたのだろう。
俺が殴ろうとしたのは羽崎の腹じゃない――顔だ。
丸眼鏡を砕くつもりで羽崎の顔面に拳を振るった。
ぎゃああと悲鳴を上げる羽崎。
眼鏡の破片が目に入ったのかと思ったが、観察している内に違うと分かる。
普段殴られなれたという自信があった腹に来ると思っていた攻撃が顔にきて予想外だったためか、それとも古河たちは顔を滅多に殴らなかったのか――。
どちらにせよ、目が無事で安心した。
脅迫するためにも、希望は少し残しておきたいからな。
「よく考えろ。
ここで俺に全てを話して開放されるか、それともおまえの大事な目を握りつぶされるか」
「おまえに、そんなことが――」
「出来ないと思うか?」
好奇心とは恐ろしいな。
自分でもそこまでできるかは疑問だったが、ハッタリを含めて睨みを効かせる。
「どうだ?おまえの大好きなアニメも見られなくなるぞ?」
「か、勝手にアニメが好きだと思い込むなよ…」
「無駄な話をする気はない。5秒以内に答えろ。広瀬を庇った理由を。5,4――」
「分かった!分かった話すって!!」
どうやらアニメを見られなくなるのは相当な痛手らしい。
「おまえがそんな奴だったと知ってたら、広瀬を庇うこともなかったかもな」
「……どういう意味だ」
「俺がお前の手を止めたのは…おまえより下になりたくなかったからだよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の思考が鈍くなるのを感じる。
そうだ、俺は既にその答えを知っていた。何故なら――。
「おまえも俺というサンドバックを毎日見下してたんだから、分かるだろう?」
俺の思考を先読みするように、羽崎は言う。
「俺は――正直古河たちに虐められているときから、岸宮、おまえよりは“上”なんだと思っていたんだ」
「……」
「だってそうだろう?クラスで役割も持たず、周囲と関わろうとしないおまえよりも、クラスで古河や黒崎に暴力を振るわれている俺の方が、より大勢の人間を楽しませている。
自分の役割を全うできている。
そんな気がしていたんだ」
役割を貫きたかった。
そんな風に言っていた浜辺の答えが決して間違いなんかじゃなかったと、今になって思う。
「でも、今、広瀬を殴ったときのおまえの顔を思い出して、心の底から思うよ――」
ああ、その言葉の続き、分かる気がするよ――。
「おまえは、俺よりも上の人間だ、ってね」
だからこそ。
「いや」
俺はそれを否定しなければならない。
「おまえは広瀬を殴ろうとした俺を止めた。
自分を虐める側の加害者である存在に制裁を加えようとした俺を止めたんだ。
それがどんな理由であれ――。
それは立派なことだと、俺は思うよ」
そう言い残し、俺はその場を去った。
◆
その日、家に帰ってから、俺は鳴り続ける電話のコードを引き抜き、ひたすらFPSをした。
ただ、今は誰を殴ったとしても、性欲に近い感情を抱くことはないような気がしていた。
◆
火曜日、普段通り登校しようと家を出た俺を、一人の女が待ち構えていた。
浜辺だった。
「おまえ、なんで俺の家を…」
「金曜日」
「え?」
「金曜日、映画が終わった後、こっそり岸宮くんをつけたの。
岸宮くんホントに酷かったんだよ?
私が必死に盛り上げようとしてるのに、ガン無視だもん。
まあお蔭で、無防備な岸宮くんの背中を追いかけるのは簡単だったけど」
「…そうか」
それだけ言い、学校に向かおうとすると、浜辺が俺の手を掴む。
「なにしてんだ。殴るぞ」
「岸宮くんはそんなことしないよ」
「……」
「ねえ、一緒に、学校さぼらない?
どうせ行っても、古河くんたちの暴力の標的になるだけ――」
ドッ!!
俺は浜辺の腹を軽く殴る。
浜辺は何が起きたか分からない様子だ。
「俺を、おまえの尺度で測るな」
そう言うと、その場を後にした。
◆
火曜日。俺が普通に登校すると、教室で教師が数人待ち構えていた。
メイクを施した広瀬も今日はいる。
まあ俺が見落としていただけで、昨日もいたかもしれないが。
古河たちは様子を伺っている。
流石に教師のいる前ではなにも出来ないらしい。情けない男だ。
「昨日、トイレの窓を壊したのは君だと聞いているが、どうなんだ」
大柄な体育の教師がそう質問してくる。俺はそれに対して、
「ええ、自分です」
と答える。すると黒崎が、
「ひゅ~~!!岸宮くん、やるじゃん!」
と教師の目も気にせず捲し立てる。
しかし体育教師が一睨みするだけで沈静化する。
「岸宮くん、君には一週間の停学処分を言い渡す」
体育教師がそう告げたことでクラスの緊張感が高まり、一瞬静かになる。
どうやら広瀬は俺に顔を殴られたことを教師に言っていないようだ。
もし言えば、停学は一週間では済まないだろう。
「一つ言っておく」
静まり返った教室の中で、俺は言う。
「もし停学が終わったら、そのときは古河、黒崎、大平、広瀬――おまえら全員、覚悟しておけよ」
その言葉が予想外だったのか、教師たち一同は静まりかえる。
――そんな中、ただ一人。
パチパチと拍手をする、男がいた。
クラスの王、古河だ。
「歓迎するぜ、岸宮」
その言葉を胸に刻み、俺は教室を去る。
どういう意味だ、と体育教師が追おうとしてくるが、古河に何かを言われて足を止めたようだ。
教室を出て廊下に足を踏み入れた瞬間、目の前に羽崎が立っていた。
まさか今日も登校してくるとはな。
羽崎は俺の行動を見ていたのか、見ていないのか。
そう疑問が頭をよぎったが、無視して羽崎の横をすり抜ける。羽崎も俺に声を掛けてきたりはしなかった。
欠陥だらけの岸宮くん 小田 @Oda0417
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