第22話 縁り

「……寝ちゃったね」

「そっか。そりゃよかった」



 総太の家へ向かっている途中で、理歩はすっかり安心して眠ってしまった。

 その様子を見て、誠士郎は優しい顔になる。

 眠る理歩の顔は、果歩とうり二つ。まるで果歩が眠っているように受け止めた誠士郎の胸はぎゅっとしめつけられる。



「泣くなよ」

「そりゃ、僕だって泣くよ。こんなことになるなんて思っていなかったんだから」



 誠士郎はずずっと鼻をすする。



「じゃあ今のうちに泣いとけ。理歩ちゃんが起きたときはしっかり笑えよ」

「ははっ……そうだね。僕が泣いたの、秘密にしてよね」

「言わねえよ、んなこと」



 男二人、寒空の中をまっすぐ歩いた。




 ☆



「んっ……」



 理歩はゆっくりと目を開けた。

 瞳にうつるのは見慣れない古めかしい天井、見慣れない風景。

 自分がどこにいるのか、それを理解するまで少し時間がかかった。



「ぐぅ……んがっ」

「すぅ……」



 体を起こせば、床で大の字になって眠る総太と、その隣で潰されながら小さくなって眠る誠士郎がいた。

 理歩が総太のベッドを占領したことで、二人が床で眠ることになってしまっていたようだ。

 性格が出る寝相に理歩はくすりと笑う。



「……あ、服……」



 自分が着ている服を見れば、ずっと来ていたワンピースではなく、ゆったりとしたスウェットだった。

 サイズも大きく、理歩が着るにはかなりだぼだぼだった。



「あっ……おはよう。体、大丈夫?」



 誠士郎が寝ぼけ眼で起き上がり、理歩を見る。

 まだ頭が覚醒しておらず、寝癖のついた頭で目をこすっていた。



「うん、多分……」

「そっか。ならよかった」



 そう言う誠士郎の目元は、よく見ると赤かった。おそらく泣いていたのだろうということがばれてしまうほどに。

 だが、理歩はそこに触れはしない。誰でも聞かれたくないこともあるとわかっているからだ。



「ああ、安心して。僕たちが理歩ちゃんの着替えをさせたんじゃないからね。総太のお母さんにお願いしたんだ。でも、足の手当てだけは僕らだったけど……」



 濡れた体のままでいれば、風邪を引いてしまう。だから、総太の母親に着替え等を任せたのだろう。その間全く起きなかったことに、理歩は驚いていた。



「足、大丈夫? まめとか、腫れてたりしたけど、歩ける? 風邪ひいてない? 寒くない?」



 両足は何重にも巻かれた包帯。氷の入った袋も置いてあることから丁寧なケアを行われていたことはすぐにわかる。



「……ありがとう、ございます……私の、ために、こんなに……」



 どこか自分の存在を卑下にしながら出た言葉。

 それを誠士朗は聞き逃さない。



「僕も人のこと言えた立場じゃないけど、自分を大切に、ね」

「……はいっ」



 理歩は毛布に顔をうずめた。


 ――ぐぅぅぅ。

 理歩のお腹が盛大に鳴る。

 その恥ずかしさから、理歩は今度は毛布を頭から被った。



「そうだよね、お腹空くよね。ほらっ、総太。朝だよ。僕、お腹空いた」

「んぐぅぅ……んがっ!」



 誠士朗は総太の鼻をつまむことで、無理矢理目覚めさせた。

 目をごしごしこすって、「朝か」とぼやく総太は寝ぼけている。



「総太、ご飯」

「んー……あー……せいしろ……理歩!」



 誠士朗を視界に入れてやっと目覚めたようだ。

 ベッドの上で毛布を被る理歩を見て、あたふたし始める。



「おい、寒いのか!? もしかして風邪!? えっとそんなときは、首にネギを巻いて……」

「そんな古典的な……それより温かいものをたべよ? その方が体にもいいよ」

「おう、そうだな。消化にもよさそうなやつねぇか、聞いてくらぁ」



 ドタバタと総太は部屋から出て行った。

 残された理歩と誠士朗は何とも言えない空気になる。



「ごめんね、僕が無茶させて。本当はちょっとだけ、果歩ちゃんと違うなって思ってたんだ」

「え?」

「ほら、最初にマンションに来たとき。歩き方がさ。あまりにも真っ直ぐだったから。果歩ちゃん、内股だったんだよ」



 まさかだった。

 歩き方が違うなんて、気づくとは思っていなかった。

 誠士朗は他にもまだあるようで、次々に話す。



「あとね、高いところが平気だったり、料理が上手だったり。極めつけは、あのデートのとき、行ったことない場所なのに、行ったことあるように言ってたこと。その帰りにピアスの穴が多いなって果歩ちゃんは怖くて左右一つしか開いてなかったんだ。だけどいっぱい開いてるから、果歩ちゃんじゃないなって思ってたんだ」



 いくら見た目を似せても、安定してしまったピアスのホールまでは減らせなかった。

 理歩は髪の毛で隠れているし、まさか見えていないだろうと思っていた。

 また、誠士朗の言葉にも上手く返せていると思っていた。

 だが、最初から違和感を持たれていたことに、少し理歩の肩は沈む。



「果歩ちゃんはもういない……それは紛れもない現実なんだよね。だから……僕も前を向くよ、これからは」

「ま、待って!」



 誠士朗はスッと立ち上がり、自分の荷物を持つと部屋を出ようとする。

 それを理歩が止めた。

 理歩の声に誠士朗は扉の前で振り返る。



「どこに、行くんです?」

「……どこって、そうだな……どこだろう。大丈夫、僕は死んだりしないよ」



 くしゃっと笑う誠士朗。だがそれが偽物の表情だと思い、理歩はベッドから飛び出して、誠士朗の手を掴んだ。



「……?」



 理歩の行動の意図をくめずに、誠士朗の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。



「その、えと……」



 今ここで見送ったら、二度と会えなくなるような気がして、理歩は誠士朗を止めたのだった。



「行かないで、ください……」

「え?」



 小さな声は誠士朗にも聞こえていた。だけど、思わず聞き返してしまう。



「だから! 行かないでください!」



 今度は理歩は、大きな声で言った。

 その声は家中に響いていたようで、バタバタと総太が部屋にやって来た。



「……なにしてんの?」

「僕にもわからない。わからないけど、わかる……気がする」



 ムスッと頬を膨らませる理歩。

 何があったのかわからず、呆然と口を開いたままの総太。

 その二人の顔を見て、誠士朗は少しため息をついた。



「……わかった。僕はどこかに行かないよ。ちゃんと、わかりやすいところにいよう。そうだな……果歩ちゃんにも誇れるようなことをやろうかな」

「何言ってんの、お前」

「ふふ、そういうことだよ。あとでビックリさせるための秘密だよ」

「はぁ? またお前はそうやって……」

「大丈夫。無茶なことはしないよ」

「……ならいいけど」



 男二人の会話は理歩にはさっぱりだった。

 それでも誠士朗は、確かにどこかに行かないと言ってくれたことに安堵して、理歩は誠士朗から手を離した。



「ほれ、飯。母さんどっかいったから、俺が作ったお茶漬けだけどな」



 テーブルの上に、三つの茶碗が並べられ、囲うように三人は座った。



「「「いただきます」」」



 三人の声が揃うと、少し面白くなって、笑い合う。

 そしてお茶漬けを一口食べれば、乾ききった体に染み渡っていく。

 しばらく何も口にしていなかったから、



「あ……」



 理歩の目から、一筋の涙が流れた。

 何故涙が出たのかわからないまま、涙はとめどなく流れ続ける。

 慌てて目をこすっても、一向に止まらない。



「そんなうまかったか?」



 総太が聞く。

 決してそれが理由ではないはず、そう思っても声が出なかった。



「泣きたいときは泣いていいんだよ」

「うっ、うわぁぁぁぁん」



 誠士朗が優しく微笑めば、理歩は声を出して泣いた。

 食べ物の温かさ、人の温かさ。

 それが身にしみて、心が溢れた。


 わんわん泣く理歩の頭を、総太がポンポンと優しく手を当てる。

 その優しさがより一層、理歩の涙を促す。



「好きなだけ泣けよ、理歩ちゃん。一人にしねえからよ」



 一人じゃない。

 果歩じゃない。

 理歩として認められたように感じ、総太にもたれかかるようにして理歩は泣いた。

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