第21話 弱り


「理歩ちゃん、僕は君に抱えきれないほどの負担を背負わせて、とても無理をさせてしまっていたね……果歩ちゃんが亡くなって、お父さんに言われて、果歩ちゃんの代わりに僕の所へきたんだよね」



 理歩は果歩の葬儀を思い出す。

 両親からも、誠実な誠士郎からも。誰からも愛されていた妹が突然亡くなった現実、そして悲しみを受け入れる暇もなく与えられた「果歩に成り代わる」という仕事は理歩にとって荷の重いものだった。

 でも、自分がやらなきゃいけない。自分にしかできない。だから必死になって、果歩のことを調べた。


 自分の好きなことはすべて封印し、自分らしさを手放して。自分を殺す。そして好きじゃない服を着て、好きじゃないネイルを施し、好きじゃない相手と共に暮らす。決して果歩でないことが気づかれないように。気を緩ませることは、家族ともども死に直結する。それだけ精神的にすり減らして過ごす日々。


 自分の存在が曖昧になり、結果的には家族にさえ愛されていないのだとわかったときには、生きる理由をなくした。


 だから、果歩が命を落としたこの場所で、理歩も同じ道を辿ろうとしていた。



「苦しい思いをさせてごめんね……ふがいない僕でごめんね……」



 誠士朗の目から涙がこぼれた。

 失った果歩のこと、辛い生活を強いられた理歩のこと、二人を思って流れたものだ。

 どうしてこんなふうになってしまったのか。

 何がいけなかったのか。恋をする相手が果歩でなければよかったのか。でも、彼女に惹かれてしまったことを罪とは思いたくない。何が正解で何が不正解かわからなく、ただただ胸の中がぐちゃぐちゃに乱されていく。



「僕のせいでっ……僕のせいで二人を苦しめたっ……本当に死ぬべきなのは、僕、だ……」



 ふらっと手すりに身を寄せる誠士朗は、下で止まっている車を見る。

 死ぬべき、とは思っても、死んで何か変わるわけもないとわかっている。でも、視線を落としたのは、ここで亡くなった果歩のことを思ってのことだ。

 苦しかっただろう、痛かっただろう。ひとりにさせて申し訳なかった。そんな思いが募る。


 理歩の位置からは、乱れた髪で誠士朗の表情は見えない。しかし、彼が飛び降りようとしたように見えた理歩は、慌てて誠士朗に駆け寄って抱きついた。



「理歩、ちゃん……?」



 後ろによろっとしたが、理歩の体を誠士朗は受け止める。

 その体はまるで氷のように冷え切っており、小刻みに震えていた。



「私、の、せいなんです……全部、私が……果歩の代わりに、私が死ねばよかった。私が、私が……」




 誠士朗の服を掴む理歩の手に力が入るが、それはとても弱い。振り払うのは容易なほどに。こんな弱い姿だっただろうかという戸惑いから誠士郎は何も言うことができなかった。

 その間にも、理歩は小さな声を絞り出す。



「私が生きててごめんなさい……必要のない私は、もう、いなくなりますので……あなたは。これからも、生きてください」



 理歩はそっと誠士朗から離れ、歩道橋の上に上ろうと足をかける。

 下はトラックが行きかう大通り。スピードは緩めず、落ちれば命はない。さらにそこは果歩が亡くなった場所でもある。一瞬で血の気が引いた誠士郎の顔は青ざめる。



「待って! 駄目だ!」



 誠士朗の体は動いた。とっさに理歩の手を思いっきり引っ張る。

 力も体力も無くなっていた理歩の体は、あっけなく誠士朗の腕の中に収められた。



「離して! こんな私、誰も必要としてない! 生きてなんかいたくない。果歩に会いたいっ……果歩にっ」



 誠士朗の腕の中で理歩はもがく。

 死なせてほしい。愛されないのなら、生きていながら死んでいるようなもの。

 だったら潔く死ぬ。そのためにここへ来たのだから。

 死ぬなら果歩に会える。太陽のような妹に。冷えた体も心も温めてくれるだろう。理歩にないものを全部持っている彼女の元へ行きたい。

 だから早く、離してくれ。そう考えていくらジタバタしても、すでに力がなくなっている状態の理歩では、誠士朗の力に適うことはない。

 誠士朗は後ろから理歩を抱きしめるような体勢で、首元に顔をうずめた。


 冷えた体が、誠士郎の熱と鼓動を伝える。首元からは顕著に息遣いが伝わっていた。



「それは、僕も同じだったよ……みんなが必要としているのは、社長の息子の僕。ただの志倉誠士朗は誰も必要としてない、そう思ってた……でもっ」



 何を言い出すのか、と理歩は動きを止めて声に耳をかたむける。



「僕のことを心配してくれる人がいたんだ。今まで気づかなかったけど、ずっと心配してくれてて……。気づかなかっただけなんだ。考えなかっただけなんだよ。理歩ちゃんにだって、そういう人もいるから。理歩ちゃんは一人じゃないから……」



 誠士朗の言葉が途切れたとき、ふと、他の人の気配を感じた。

 理歩がおそるおそる顔を前に向ければ、そこに総太が息を切らして立っていた。



「理歩ちゃん! よかった、無事だったぁ……」

「そう、た……」



 総太はへなへなとその場に座り込んだ。

 ずっと心配していた理歩が生きている、それだけで総太は安心して力が抜けたのだった。



「なん、で……? 総太がここに……?」

「なんでってそりゃ、心配だからだし……聞いてた職場に行ったらもう辞めたって言われて、かといって家に行けばいないとか言われるし、電話したらこの番号は使われておりませんって……生きてたならよかった、まじで」



 頭が整理できない理歩は目をぱちぱちさせる。

 久しく顔を合わせていない総太がどうしてここまで自分の心配をしてくれているのかわからなかった。



「理歩ちゃんのことをずっと思っていたんだよ、総太は。さぁ」



 誠士郎は理歩を総太の元へ向かうよう背中をそっと押す。

 誠士郎から解放され、よたよたした足で歩くと、総太が立ち上がり、理歩を抱きしめた。

 誠士郎とは違い、その力は強い。熱も鼓動も、ずっと強い。



「ほんっとに、よかった……俺、理歩ちゃんがいなくなったらっ……」



 苦しいほどの力。だけど、それによって理歩の凍った心は溶かされていく。



「どうし、て……?」



 抱きしめられながら、理歩は震える小さな声を振り絞った。

 すると総太は、バッと理歩の両肩を抑え、視線を合わせる。その際の総太の顔は、真っ赤に染まっていた。



「決まってるだろ! 俺、ずっと……ずっと好きだったんだよ! 心配して何が悪い! お前も馬鹿だ!」



 一世一代の告白のつもりで言った。最後は理歩から目を逸らしたが。



「ふふっ……」

「おまっ……笑うんじゃねぇよ!」



 理歩から出たのは、久しぶりの笑顔だった。

 果歩の真似をして笑うのではなく、素の理歩の笑顔だ。

 歯をちらつかせて、首を少しまげて笑っていた。



「ったく……とりあえず、その恰好、どうにかしねぇとな。家にも帰りにくいだろ? 俺んちこいよ。さみいだろうし」



 頭をぽりぽりと搔きながら、総太は着ていたコートを理歩にかける。

 今まで総太が着ていたから、ぬくもりがそこに残っている。それを理歩はぎゅっとつかむ。

 体と心があったまっていくのを感じていた。



「誠士郎! お前も来いよな。無職なんだし、時間は有り余ってるだろ?」

「え? 仕事……」



 総太が誠士郎に向けて言えば、理歩がぎょっとした顔で誠士郎を見る。

 誠士郎は苦笑いをしながら、「まあ、そうだね」と返したのだった。



「誠士郎、原付押せるか?」

「うん。なんで?」

「だって、理歩ちゃん、足やばそうだから、おぶっていこうかと……痛いだろ、その足」

「えっ? いやっ、私、歩けっ……くしゅん」



 背負われるのは恥ずかしい。だから歩けるよと意思表示したが、理歩の体は限界が近かった。

 痛みと寒さ、それに加えて疲労がたまっている体。飲食もしていないので、正直に言えば立っているのもしんどい。

 遠慮の意を込めて両手を前で振りながら一歩下がったとき、ガクンと体が傾いた。

 転ぶ。そう思ったが、地面に手をつくことはなかった。理歩の体を誠士郎が受け止めてくれていたのだ。



「誠士郎もへなへなだし、背負ってくのしんどそうだし。俺が一番体力余っているからな」



 理歩がこれ以上歩くのは無理、そう誰もが認識した。

 総太が理歩の前にしゃがみ、背中を向ける。理歩も覚悟してその背中に身を任せる。

 すると総太は難なく理歩を背負って立ち上がった。



「俺の原付あっちだから、そっちから帰るぞ」

「うん、わかった」

「理歩ちゃんも、ガタガタするだろうけど、しばらく辛抱してくれよ」

「うん、ありがとう」



 総太の背中はたくましく、温かかった。

 何年も合わないうちに、頼りになる人になっていたのだな、と思いながら背中でゆっくり目を閉じた。



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