第17話 誤り
「そう、だよ、ね。私は……疫病神、だ。だから、果歩もっ……」
冷たい水をかけられて、自分の存在意義がわからなくなった。
不慮の事故により果歩が亡くなって、家族のためになるならと、受け入れた偽りの姿。
自分らしさなんてない。今までの自分を殺し、「高坂理歩」の存在を消した。
果歩と理歩。
性格も好みも違えど、見た目だけははそっくりな双子。
いくら似ていても、みんなが求めるのは、可愛い妹の果歩。
高坂理歩は誰も求めてなんかいない。必要とされていないのだ。
全てを失った。
家族にも愛されない。必要とされない。
居場所もない。
生きる意味さえも、失った。
だったら――。
理歩はゆっくり立ち上がる。
髪から、顔から水が地面にしたたり落ち、染みを作る。
必死になって練習したメイクが、水によって崩されていく。
(果歩、ごめんね……私が死ねばよかったんだ。ここに、私がいるからいけないんだよ)
父親の顔を一切見ない。見るのが怖かった。
ゆらりと立ち上がり、最後の力を振り絞り、理歩はある場所に向かう。
ずるずると歩く理歩の背中を、父親も見なかった。
もう、全てが終わりだと、父親も思い、血管が浮き出るほど力強く拳を握っていた。
☆
理歩が家についてから、再び姿をくらませて三十分後。
理歩の家に、総太の姿があった。
使い回した原付バイク。真っ黒のヘルメットを被り、音を鳴らしてやって来ると、理歩の家の前で急停止させて降りる。
そしてヘルメットを被ったまま、その扉を開けた。
「いらっしゃ……なーんだ、総太くんじゃない。どうしたの? そんなに慌てて……」
総太を迎えたのは、理歩の母親だった。
エプロンを身に付け、相変わらずほっそりとした体で店内を掃除していた。
もうすこしで営業時間を迎える。ほとんど客はこないので、騒がしい音にすぐに気づき、母親は手を止めほほ笑んだ。
「あのっ! 理歩、ちゃんは!? こっちに来てねぇっすか?」
「理歩……? 理歩が、こっちに帰ってきてるの?」
「見てねぇんすか? まだわかんねぇんす。あっちでちょっと色々あったから、もしかしたら帰って来てるかもって……俺の早とちりかもしれないっすけど」
母親の驚いたような顔は、理歩と会っていないということを語っていた。
「こっちには来てない……? でも、誠士朗からの連絡はないし、どこに……」
総太がグルグルと考えている間、母親は急いで父親の元へ駆け出した。
理歩が帰ってきているかもしれないのだと、それを伝えに行ったのだった。
直後に、店の奥からのっそのっそと、父親が姿を現す。
もっと詳しく聞かせてくれと、母親の方が無理矢理連れてきたのだ。
だが、理歩が地元に戻ってきていることを知っている父親は、総太の前で低く重い声を出す。
「娘はもういない」
「はい? いやいや、死んだのは妹って聞きましたけど? 姉の方は……」
「うちに娘はもういない」
「え、ちょっ、まっ……!」
すぐ店の裏へ戻ろうとし、頑なに理歩を認めない父親に、総太は戸惑いを隠せない。
最愛の娘の死を受け入れるのに時間がかかるということはわかっても、生きている娘の存在を消すなんて訳がわからなかった。
きょろきょろと目線が泳ぐ総太。
その時、店の外に人影が現れた。
「あのっ……!」
息を切らしてやって来たのは誠士朗だった。
ちゃんとした身なりをすることもなく、乱れた髪に乱れた服装。急いで駆けつけたことが明らかだ。
「誠士朗? なんでここに?」
「誠士朗くん……」
総太、母親が続いて驚きの反応を見せる。
「何でって……それよりもっ! 理歩ちゃん、こっちに来てません、かっ……?」
店内をきょろきょろと見るも、そこにいるのは理歩の両親、そして総太のみ。
ヘルメットをかぶったままの総太の顔は不安に満ちており、理歩がまだ見つかっていないのだとすぐに悟った。
「誠士郎、なんでこっちに来たんだよ。もしかしたらこっちじゃないかもしれないだろ? 手分けして探してたのに」
「いや、理歩ちゃんはこっちに帰ってきているはずなんだ……」
「なんでわかるんだよ? わかんねぇだろ、どこにいるかなんて」
総太がなぜだなぜだと繰り返し聞けば、誠士郎はまっすぐな目を総太に向けて答える。
「彼女の手帳だよ。申し訳ないけど、勝手に読ませてもらったんだ。果歩ちゃんの代わりになると決めてから、どんな思いだったのか。それを彼女は日記に書いていたんだ」
そう言って誠士郎は、斜めにかけていたバッグから手帳を二冊取り出した。
それに見覚えがあった両親は一歩、後ろに下がる。
「すみません。僕は果歩ちゃんが亡くなったことも知りませんでした。ですが、お二人が果歩ちゃんが亡くなってから姉である理歩ちゃんに何をさせていたのか、全てここに書いてありました。あなたたちは、僕たちの結婚を喜んでいたとばかり思っていましたが、その理由はただ、お金のためだけだったんですね」
「ち、違うのよ、誠士郎くんっ……私たちは果歩の幸せを……」
「……何が違うと言うのですか。理歩ちゃんは、実の両親のお二人のことを考えて、自分を捨てて生きようとしたんですよ? それなのにあなたたちは、お金のことばかり……僕の家が会社をやっているから。だから娘が僕と結婚すれば、生活が安泰する、そう思っていたのでしょう?」
母親が必死に否定をするも、誠士郎は珍しく譲らない。
双方の家族の顔合わせの際には見せなかった一面だ。
「だ、だって、私たち……私たちだって、生活があるのよ? 娘が御曹司と結婚するんだって言うんだもの。少しぐらい援助されることに期待してもいいじゃない! じゃないと私たちが、私たちが生活できないのよ! それに、果歩が死んだことを伝えたら、誠士郎くんも悲しむでしょう!? だったら秘密にしておいて、おんなじ顔の理歩が嫁ぐことでみんなが幸せになれるの!」
母親の方も譲りたくなかった。
自分の行いは間違っていない。そうかたくなに言い張る。
自分たちが生きるためにも、みんなが幸せに暮らすために、最善の選択だったのだと。
強く叫ぶように言うその姿に、聞くだけだった総太がまるで信じられないというような顔を浮かべ、唾をのんだ。
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