第5話 嘘偽り


「ふわぁ……こんな幸せな生活が続くっていうのなら、僕は幸せ者だな」


 笑顔のままぽろっとこぼれた誠士郎の言葉は、理歩の胸を突き刺す。

 誠士郎が言う幸せと言うのは、愛する果歩との生活のことだ。すでにこの世にいない果歩との生活はもう叶わない。今、目の前で展開されているのは、理歩が成り代わって行っている偽りの生活である。

 騙しながらの生活が続いてもいいものなのかわからないために、理歩は何も言えず、作り笑顔でほほ笑むだけに至った。


「ふう、ごちそうさま。とても美味しかったよ。僕はこれから仕事に行かなきゃだけど、その間にさ。今度の週末に行きたいところ、考えておいてよ。久しぶりにデートに行こう?」

「でー、と?」


 よそったご飯をきれいに食べ終えた誠士郎が言った聞き慣れない単語に理歩の言葉は片言になる。いきなりの提案に頭が働いていないのだった。証拠に、理歩の手は止まり、ポカンと口が開く。


「うん。だって、もう一か月以上会えてなかったからね。お互い忙しかったからかな? なかなか連絡も取れなかったし……こう見えても僕、寂しかったんだから」


 頭を搔きながら照れるように言う。


「だからさ、うーんっといいところにでも行こう? 温泉でもテーマパークでもっ。果歩ちゃんの好きなところでいいよ!」

「そ、そう言われると難しいなー……うーん……どこだろう……」


 理歩のまま、行きたいところを提案するとすれば、体を動かすことが好きなのでキャンプやサイクリングなどアウトドアでアクティブなことが出来る場所と言うだろう。しかし、今は理歩ではなく、果歩に成りきっている。だから、果歩らしい提案をする必要がある。

 果歩だったらどうするだろうか。

 いくら双子でも、考えが全てわかるわけじゃない。果歩の好みを考えて、そこからどんな場所へ行きたいと言いそうかと想像する。

 しっかり頭を働かせなければいけないため、時間がかかってしまっていた。


「あはは。そんなに眉間にシワ寄せないでっ。具体的じゃなくてもいいからさ。時間もたくさんあるし、ゆっくり考えていてよ。いくつでもいいから! あ、部屋の片づけは僕もやるから無理しないでね。必要な買い物とかはネットで頼んでね。部屋まで荷物持ってくるの大変だろうし。早ければ明日にでも届くよ。それと――」


 新しい生活について、あれやこれやと誠士郎は考えているようで、次々に指を折りながら説明していく。

 生活必需品がどこにしまってあるか、どのサイトで購入するか、支払いは、配達は。すらすらと話す姿は、希望に満ちあふれていて、とても輝いている。それに対して、理歩は安堵とも喜びともとれる笑みを浮かべた。


「おっと、もう時間だ。それじゃあ、行ってくるね。今日は会議もあるし、帰りが遅くなると思うから先に食べて寝ていていいからね」

「うん、わかった。誠士郎さんの夕食は準備しておくね」

「……うん、ありがとう」


 誠士郎は手早く食器を片づけると、歯を磨いて髪をセットし、スーツ姿へ早変わりする。もたつくことなく素早く準備を終えると、理歩は玄関まで誠士郎を見送る。


「いってらっしゃい」


靴を履いて、荷物を持った誠士郎に手を振る。すると、彼は扉に手をかける前に振り返ると、理歩へと近づいて、肩を寄せた。


「いってきます」


 耳元でそう言ってから離れると、バタンと扉が閉じ、足音が遠のいて聞こえなくなった。耳を澄ませば聞こえなくなっていく足音。近くにはいないことがわかると、へなへなと壁に背中を預けて座り込んだ。


「ふうー……」


 耳まで熱くなったのがわかった。果歩のふりをするのには労力がいる。いくらいつもより長く眠れたとしても、精神が辛い。

 いつバレてしまうかわからない。

 嘘つき。

 そう言われないか心配だ。

 嘘をついていることは確かだし、バレてしまったときのことを思うと胸が苦しくなる。


「果歩……あたし、ちゃんとやれてるかな……?」


 ポケットから自分のスマートフォンを取り出した。

 果歩が亡くなったとき、父の指示によってスマートフォンは、果歩の名義を理歩へ変更。もともと使っていた理歩のスマートフォンは解約した。


 通信機能はないものの、解約してしまったかつての自分のスマートフォンはカメラとして使うこともできるし、本体に保存されている写真を見るだけなら問題なく使うことができる。

 肌身離さず今までのスマートフォンを持ち歩いているのは、自分の支えとするためであり、理歩自身の存在を隠しつつ、忘れないためである。慣れ親しんだスマートフォンの電源に触れれば、すぐに画面が点灯する。


 明るくなったロック画面に写るのは、理歩と果歩の写真。うり二つな二人がピースをしている。

 高校生時代に撮った写真であり、かなり若く見えるこれは、こっそり貯めたお金を使って、レストランで食事をしたときのものだ。


「まだ、やれるかな……やらなきゃだよね、果歩の代わりに。ううん、家族のために、みんなのために……」


 暗闇に向かう理歩の言葉は、部屋に溶けて消えていく。


 誠士郎がいる間は偽りの姿をキープし続ける、そんな生活がいつまで続くのだろうか。

 誠士郎は優しい人だ。本当に果歩のことを好きでいるし、新生活を楽しみにしている。

 でも、果歩はもういない。いるのは果歩のふりをする理歩だ。


 誠士郎のことは嫌いじゃない。初対面でわかるほどに、いい人だと思う。

 だからこそ、嘘をつくのが辛い。


 唯一、誠士郎が仕事でいない時間が、理歩にとってリラックスできる時間である。

 下手に気を張らなくて済むし、理歩の姿で落ち着くことができる。自分を偽らなくてすむ時間だ。一人でいることがどれだけ気楽か。ゆっくりと目を閉じで、深呼吸を繰り返す。

 気持ちを落ち着かせたのもつかの間、仕事に向かった誠士郎に代わり、手が空いている以上必要な家事はやっておかねばならない。だから、長くくつろいでいるわけにはいかない。

 ほっと一息理歩は自分を取り戻した後、すぐに偽りの仮面をかぶる。そして果歩としてあるために、家事をこなすのだった。

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