邂逅まではまだ遠く

 そこは光に溢れた水の中のようだった。私は水の中に浮かんでいるようだ。

 こぽり、自分の口元から泡が出て行く。

 水の中? 呼吸、苦しくない。どうして?


 ここは、どこだろう?

 さっきまでは暗い山道を下っていたはず。

 ヒールだったので、つま先が痛い。


 ふわり、痛みが消えた。


『他に不具合はないか? 緋色の子』


 ――どういうこと?

 不具合って何よ、と可笑しくなる。

 機械じゃあるまいし……って、今の声、変な反響してたな。


『間もなく、インストール完了。他に質問は?』


 質問って、私、何か聞いたっけ?

 ああ、頭の中が情報で溢れている。

 パンクしそう。


『では、少し情報を遮断しよう。必要な時に引き出せるよう』


 必要な時って?

 ちょっと待て、何故、私は水の中にいるんだ?

 どんなに目を凝らしても光が眩しすぎて何も確認できない。


 声を上げようとするが、喉の奥まで水が入り込んでいるように声帯が動かない。


 まって、ちゃんと説明して! この状況と、それから、それから……


『必要な時は呼べば応える。私の名は――』


 いや、そんな事より今だよ! なんで水の中なんだ!


『貴重な、良き器。貴女の幸運を祈る。――では、良い旅を――』


 旅? 何だそれ。それが溺れている人間に掛ける言葉か?

 ……溺れて、いるような感覚じゃないけど。


 光が強くなったその一瞬、真っ白な中に人影のような物が揺らいだ。

 全体的に色素の薄い、――女?


 ふざけんなよ、何だよこれ……


 光が急速に失われる。

 闇に包まれる刹那、澄んだ藍色インディゴの光が闇を切り裂くように視界を横切っていく。


 ――ああ、そうか。あの子は、こうして一人で、ずっと……


 ごめんね、たった一人で闘わせて。

 少しだけ、待ってて。




 私の意識はどこかに落ちていった。




 ☆  ☆  ☆




 闇の中で、気付くと私は眼を開けていたようだ。

 少し腕を上げれば、背中が汗で貼り付いているようだった。


 ベッドから身体を起こす。


 どうやら、嫌な夢を見たらしい。内容は覚えていないが。


 ふいに、今日の任務で確保した転移者の視線を思い出す。


 憐れむような、少し蔑みを含んだ眼。

 自分を遠巻きにしていた連中から、時折向けられていたのと同じ、色。


 気にしない、そう決めたのに。


(あの者たちは羨ましいのですよ、貴女が)


 羨ましいって、何だ?

 スキルすらない私の、何が羨ましいというんだ?


(気にすんな、あいつらは妬んでいるだけだ。お前は頑張ってここまでの技術を身に付けた。努力しない者の妬みなんか、聞き流しておけよ)


 頑張った? 本当にそうか?

 他の人だって、きっと努力している。

 まだ、まだきっと足りていない。


『まだ貪欲に、強さを求めるか、蒼の子』


「――――誰だ?」


 暗闇に視線を凝らすが、何の気配も掴めない。

 息を止め、眼を閉じる。


 自分の周囲からゆっくりと気配を探る。

 急速に拡げられた意識は、小さな虫の動きすら捉える。


 ふいに、ぽつりと頭上に火が灯った気がした。


 ――上か、油断した。


 そちらに意識を向けると、小さな火の中で何かが動いている。

 ……人?

 何かを掲げるような、人の姿が視える。……ような気がする。


 ――誰? 知らない人影。なのに、何か胸騒ぎがする。いい意味で。


『待たせて済まなかった、蒼の子』


 待たせた? 何のこと?

 ふわり、私の周囲に淡い色の花びらのような光が舞う。




 朝の陽射しに目を開けると、夢の残滓が頭の片隅をすり抜けていく。

 私が摑まえる隙を許さず、あっさりと消えていった。




 ☆  ☆  ☆




 遠く離れた星から、自分の選んだ愛しい娘たちの様子を眺めていた彼女は、ゆっくりと目を閉じた。


 瞼の裏に、緋と蒼の光が踊る。


 蒼の気配を纏い、双剣を手に低い体勢で駆け出す娘。

 その背後から、緋色の髪の娘が隙間を縫って風を、上空からは氷の刃を、大地からは火柱を上げて蒼の娘を援護する。


 二つの光に寄り添う小さな光がいくつか見える。


(私の選んだ娘たち。大丈夫、貴女たちの未来には光が集う)


 娘たちだけでも、おそらくは人々の願いを成し遂げてしまうだろう。

 だが、彼らの真摯な願いは彼女らに届き、引き寄せ合った。


(これまで以上に向こう・・・が介入する可能性もある。――我が主、どうかこの娘たちにご加護を)


 眼下にはくすんだ色彩の惑星。死に向かおうとしている、小さな惑星。




 遠い、遠い星の話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る