第1章 精霊女王の後継者

第1話 異世界からの訪問者

 遠くに稜線が浮かび上がる平原を、二頭の馬が進んで行く。

 金属の薄い板を仕込んだベストの上にローブを身に付けた男――カートは、目深に被ったフードを少し持ち上げて辺りに視線を巡らせる。街から距離のあるこの平原は、ぽつぽつと大きな木が生えている。もうこの辺りに整備された道はない。

 この星の二つの月のうちのひとつ、いびつであまり恒星の光を反射しない見た目の小さな月が、低い高さに浮かんで見える。

 日々少しずつ上る時間を変える大きな月とは違い、丸みを帯びた菱形のような小さな月は、この星を公転する周期が短い。この歪んだ月は、特定の生き物の精神に影響すると言われていた。


 二頭の馬と二人の男は、先刻、頭上を流れていった光の向かった方角を目指していた。

 カートは隣に並んだ馬上の男に声を掛けた。


「ディー、その場所とやらはまだ遠いのか?」

「……いや、近い。もうこの辺り――」


 声を掛けたカートと同じようにフードを目深に被ったディーと呼ばれた者は、何かに気付いたように少し身体を乗り出して軽く馬の腹を蹴ると、言葉を切って馬を走らせた。

 カートは慌てて後を追う。


 ディーの身に付けているゴーグルは、ディーの眼に僅かな光さえも増大させて見せている。その事を抜きにしても、カートには絶対に見えない距離をディーは見据えていた。

 カートは軍人という仕事柄、夜に活動する事もあり、そのために採光率の高いシールドで片目を覆っていたが、そのカートにもディーが何を見つけたのか分からなかった。


 普段から冷静沈着なディーが、周囲を警戒する事も忘れたように馬を走らせる。その事に驚きつつカートが後に続くと、遠くの方で小さな影が動いた。


 その影は、寝転んだ状態から上体を起こしたような人影に見えた。きょろきょろと辺りを見回している。

 近付いていくと、肩より少し長い、黒い髪をした女だった。どこかの公的機関の制服のような、かっちりとしたスーツを身に付けている。足元は簡単に脱げてしまいそうな華奢な靴を履いているようだ。


 さっき街を出る前に見えた、大きめの火球のような光。星が瞬き始めた空を、輝きながら通り過ぎていった。

 教会の神官であるディーによれば、転移者・・・を運んだと神が示した光だと言う。


 ディーから『神託があった』と聞かされてすぐに外に出たカートの眼は、一瞬だけその光の中に、鳥のようなシルエットを捉えていた。

 自分の知る、戦闘機を含むどんな飛翔体よりも速く空を横切ったその光は、ディーがその方角を確認した途端に見えなくなった。


(この女が、異世界からの転移者か)


 カートは転移者に対して、全くいい印象を持っていなかった。

 彼らは傍若無人な振る舞いや暴虐非道な行いを繰り返していると聞いている。


 ディーは一体、何のために転移者の元へとやってきたのだろう。わざわざ転移者が現れた事が神託されたことは、無かったはず。

 これまで彼が転移者と関わったという話も聞いていない。何より彼は、住まいである教会からほとんど出て来ない。



 黒髪の女は少し怒ったような表情で辺りを見渡していたが、自分の近くまでやってきた馬に気付いて見上げた。

 こんな所に何故、馬がいる? とでも言いたそうに馬を凝視する女の傍に、ディーが降り立った。


 身体を起こそうと身体の後ろに付いた腕を、警戒するように強張らせたままの女の傍に、ディーがしゃがみ込む。


「……貴女が、『護り手』ですか?」


 ディーの声に、女が怪訝そうに眉をひそめる。

 言葉が通じていないのか、言われている意味が分からないのか、その表情からは読み取れなかった。


 この女もここ十数年で増加している『異世界転移』とやらで召喚された者たちと同類なのだろう、とカートは目を細める。

 違っているのは、おそらく召喚したのがいつもの連中ではないことくらいだろうか、と考えていると、ちらりとディーがカートを見た。


 余計な事は言うな、そう眼で制される。


「貴女を保護するよう、仰せつかりました。急ぎ、ここから離れます。こちらを――」


 ディーは女に、彼らが身に付けている物と同じローブを纏わせる。胸元のボタンが淡く光って、ローブに組み込まれた阻害機能ジャマーの起動を示した。

 カートが女の手を引いて立ち上がらせると、ディーの愛馬が女に近付く。ディーの目線だけで察して動き出す、賢い馬だ。


「……馬には、乗れますか?」


 不安そうな色を隠しもせず、ディーの言葉に従って女は黙って馬にまたがる。こちらの言葉は分かっているように見えた。

 カートは少し感心したように目を細めた。馬に乗れるのか。

 女の後ろにひらりと飛び乗ったディーが、馬の首を返す。


「カート、戻るぞ」


 そう言うなり馬を走らせ、一気に速度を上げた。




 ディーは、【アーク派】と呼ばれる教会で神託を受ける神官だった。

 街外れにある教会の司祭が、ある日どこからか連れて来た。もう十年ほど前になる。

 ふわりと波打つ長めの銀髪に少し浅黒い肌。滅多に人に見せることのない眼は淡い金色をしており、普段は目元を覆うゴーグルの奥に隠されている。

 ほとんど教会の外に出て来る事はないが、神官として驚くほどに有能だと言われている彼が、神託を受けた。

 そしてカートを護衛にこの草原までやって来た。


 カートが高等教育課程で自分の進路を決めた頃、ディーが教会に引き取られて来た。

 カートは高等教育を終えて軍事専門課程で二年間学び、この州都にある軍部に所属した。機械類の扱いに長けていて、州軍の第一軍と情報通信部隊の両方に籍を置きながら、特殊部隊の訓練を受けている。

 白い肌に濃い金の髪、緑の眼をしており、筋肉質の身体はいかにも軍人らしく見えた。


 人当たりも愛想もいいカートを、無口なディーは何かにつけて『暑苦しい』と鬱陶しがるものの、ディーのおかげでカートは教会の護衛をよく任されている。


 だが、自分が護衛すべき対象に、恐らくディーは含まれていない。そう、カートは思っていた。

 普段は司祭が、そして今のこの場は転移者の女が護衛対象となる。

 軍の特殊訓練を受けているカートですら敵わないディーが、この街の神官をしていた。


 カートは並走する馬上のディーから、その腕の中に納まっている女に眼を留める。

 ――ごく普通の、街によくいる娘に見えた。


「……ディー、そろそろ教えてくれ。護り手とはどういう意味だ? 彼女は本当に転移者なのか? 何故モービルではなく馬を使った?」

「ローブを身に付けていれば生体センサーの探知を受けないが、モービルの電磁波は奴らに探知される恐れがある。それと、彼女は転移者で間違いない」

「近くに奴らが潜んでいる可能性は?」

「ないとは言えない。奴らが近辺にいない時間を考慮されて、あの草原を指定されたらしい。だが、降臨の気配に気付かれる可能性がある。あれだけの光だったからな。だから念には念を入れてお前を呼んだ」


 彼女の身は、自分たちの信仰する【アーク派】とは敵対している派閥に狙われている。それは『護り手』だから、と。

 それだけをディーから告げられ、カートは街から連れ出された。

 カートには『護り手』という言葉の意味が分からなかった。護り手を護衛するという不思議な依頼の理由も聞かされていない。


 敵対派閥の【ナーキ派】は、偵察型グレイ・タイプ疑似生命体を使役してこの星を監視している、と言われる神を信仰していた。

 この星の資源、特に黄金や力の込められた玉石を信者に捧げさせて、褒美として何かの力を与えるらしいと言われていた。

 そして、異世界から転移者を送り込んでは各地で問題を起こさせている。

 一番の問題は、一部の異世界転移者が星の命を削るような真似をしている事だった。


 対して【アーク派】は、この星をはるか昔から見守ってきた神を奉る。

 この星と、人々の生命を護る、という教義が伝わっている。


 だが、この女は転移者だ、とカートは眉を顰める。

 しかも、異世界転移に否定的なアークの神が降臨させたという。


 転移否定派のアーク派がわざわざ召喚したというこの娘は、何者なのだろうとカートは考える。

 自分の問いをディーがさらりと躱したのは、同行している女に聞かせたくない何かがあるのだろう、と思うことにした。

 今はこの場をさっさと離れて、問い詰めるのは安全な場所に戻ってからでも遅くはない。


『――あの……』


 女が首を捻って背後のディーに声を掛ける。


『何の、事ですか? ここはどこで、どうして私は宇宙船に乗せられていたんですか? ここは地球ではないですよね?』

「宇宙船に、乗せられた……? え? 宇宙船で、ここに?」

『はい。ちょっと……不愉快な事がありまして、山の途中の駐車場から歩いて麓に向かおうとしたら、気付いたら宇宙船の中にいました。降ろされたと思ったら、見た事もない月……のような物が浮かんでいるので』


 神託と共に現れた火球を、ディーは宇宙船だとは思っていなかった。単に【アーク派】の神が示した合図だと思っていた。

 ディーはカートに視線を向ける。


「カート、あの火球は宇宙船だったのか? デブリや流星ではなく?」

「……見たことのない形状だったが、多分そうだ」

「宇宙船が火球ほどの光を放つなど、聞いた事がない」

「俺もだ」

「…………異世界転移とは、そのように行われるのか?」

「初耳だな」


 ディーとカートは同時に女の顔に視線を向けた。

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