絶望への転落 後編

 少女と幼女を拐った翌日の宵の口、彼女らを隠している地下室のある空き家の前に、一人の女が立っていた。

 夜陰に紛れて街を抜け出そうと考えていた俺は、思わず眼を見張った。

 透明感のある濃紺の髪、ぴったりとしたレザーパンツにショートブーツ。

 赤い皮革の短い上着を羽織って片手を腰に当て、ゆったりと立っているように見えた。


 こちらに背を向けているが、その気配に俺は息を飲む。

 周囲の眼から完全に隠されているはずの空き家を、この女は認識している。


(なんでこの場所が……俺の特異能力ユニークスキルは絶対のはずだ)


 この世界に来る時に選んだ、特別なスキル。

 それが【隠密】だった。

 いざという時に役立つはず、と考えて、ここに案内した男にそのスキルが欲しいと告げた。


「……なるほど、スキルで隠していたのか。それでは警備隊も軍部も、探偵でも見つけられない訳だな」

「……!」


 女がゆっくりと俺を振り返る。

 薄青の瞳の視線が俺に止まった。


(……なんで……)


「残念だったな。私にはお前の隠したかったモノがはっきりと見える。未成年の子女、二名の誘拐。お前の仕業で間違いないな?」


 冷たい声を聞き終える前に俺は走り出した。

 もちろん、自分の姿を【隠密】させることも忘れていない。


 この世界は人権侵害に対して厳しい。

 二人の少女を誘拐したとなれば、確実にお縄になる。

 この世界には警備隊という警察組織のようなものと、そして軍組織がある。

 どちらに捕らわれる事になるかは知らないが、捕まれば長期に渡り収監されてしまう。この国に奴隷制度はないが、犯罪者に対する強制労働はあると聞いていた。

 ハンターの資格は取り上げられ、今以上の底辺の暮らしが容易に想像できる。


 だから俺は、逃げ切らなくてはならない。


 なのに――


《そろそろ息切れか? 姿を隠しても私には通用しないと、伝えてはいなかったか?》


 聞いてねえよ! と思いながら俺は走り続ける。

 耳元で聞こえたように感じた声に、身体が竦みそうになった。

 どうやって追って来ているのかは分からないが、立ち止まったら終わりだ、ということだけは明白だ。


《おっと、市街地を抜けてしまうと依頼の管轄外になるな》

《構わないだろう。お前には大義名分付きの許可証がある。向こうの連中も喜んで下手人こいつを差し出すさ》


 聞き覚えのない男の声が聞こえ、俺は膝から崩れるように倒れ込んだ。――もう、走れない。


「あまり楽しくはない逃げっぷりだったな。スキルは【隠密】だけなのか?」

「こいつ、基礎訓練前の隊員より能力値が低いぞ。本当に転移者なのか?」


 唐突に俺の前に立ちはだかった二人の男女。

 女の方は俺の隠れ家の前にいた奴だ。

 もう一人の男は濃い茶色の髪と茶色の眼。

 二十歳前後に見える二人は、俺を見降ろすように立っている。

 男の方は俺に小さなビデオカメラのような物を向けている。そのモニターで俺のスキルを確認しているのだろうか。


 息の整わない俺とは対照的に、呼吸が乱れている様子もない。


「転移者で間違いない。ハンター協会からの証言を考慮しても、よくある転移者だろう」


「……よくあるって、どういう意味だ?」


 やっとの思いで絞り出した声に、女の薄青い眼が笑う。


「お前のような、テンプレートを期待した転移者が何人も送り込まれている。自分が強いと勘違いして無駄に暴れたり、女性に対する扱いが非常に眼に余る。本当に迷惑しているんだ」

「この男もナーキ派から送り込まれたクチか?」

「だろうな。基礎的な仕様スペックもないのにおかしな特異能力を持たせるなど、あいつらのやりそうな事だ」

「……それで生きていけるはずもないだろう」

「だからこうして犯罪者になるんだと、お前の兄上も言っていただろうが」


 俺を無視したような会話に、不安が沸き上がる。

 ナーキ派?

 何人も送り込まれた?

 それよりも、だ。


「……基本的な仕様スペックがないとは、どういう意味だ?」


 女の眼が冷ややかに俺を見下ろす。


「そのままの意味だ。何の訓練もなしに剣が振れると思ったのか? 力のことわりも知らずにお前らの言う【魔法】とやらが使えるとでも?」

「…………」


 女の言葉に思わず頷きそうになるのを堪え、俺はゆっくりと深呼吸をした。女の冷たい視線が俺を見下ろす。


「生まれ落ちた状況が気に入らないからと異世界へ逃げ出し、また今度も逃げ出そうというのか。そんな心根では、何もかも上手くいかなくて当然だと思うぞ」


 俺は、再び全力で【隠密】を発動させる。

 そのまま目の前の二人の脇をすり抜けるように走り出す。


 ぱちり、と火花が散った。

 俺の身体のあちこちで、次々と火花が音をたてる。

 【隠密】が解けていくのと同時に、女の腕が伸ばされ、俺は吹き飛ばされた。何が起こったのか分からない。

 俺の身体は、堅い道路で何度もバウンドしながら転がった。



「だから無駄だと言っただろう」


 呆れたように女が呟き、男が苦笑しながら俺に近付いてきた。

 ゆっくりと腕を掴んで立たせられる。身体中が痛い。


「あのな、アスラ――あの女にはお前らのいう所の【スキル】は通用しないんだよ。お前の【隠密】は、絶対に見破られる」

「……なんでだ?」

「あいつ自身は何のスキルも持たない。だが、自分に向けられた悪意のあるスキルを消滅させることが出来るんだ」

「……は? この世界では誰もがスキルを持つと……」


 俺の視線から、アスラとかいう女の姿を隠すように、男が少し身体をずらす。


「よく知ってるな。……ああ、ナーキ派の連中に吹き込まれたのか。そうだよ、この世界では誰もがスキルを持って生まれてくる。――あいつはこの世界で唯一『スキルを持たぬ者』と言われているんだ」


 俺は茫然と男を見返した。


 スキルを持たない。

 それはこの世界ではあり得ない事だと聞いている。

 誰もが何らかのスキルを持ち、またはスキルを取得するべく努力をして身に付け、スキルを活かしながら生きていく。

 スキルがなければ剣の一つもまともに使えない。俺のように。


「さて、悪いが連行させてもらうぞ。お前がしたことは、ここでは重罪なんでな」


 男が俺の両手を揃えさせ、手首の辺りに細長い金属の棒を当てる。


拘束ロック


 男の声に従い、金属の棒がその形状を変える。俺の両手に巻き付いて、手錠のようになった。

 ボードのような物で宙に浮いたまま、制服に帽子の警察――警備隊らしき男が近付いてくる。

 そのまま俺を捕らえた男と何やら話している。

 俺は、アスラと呼ばれた女を振り返った。


 スキルがあって当然の世界において、それを持たぬ異質な者。

 誰かが大衆酒場のような場所でそんな話をしていなかっただろうか、と、ふと思い出す。


『努力しても欲しいスキルが身に付かないってことは、その才能が無いって事だ。さっさと諦めるんだな』

『お前には【料理】のスキルがあるんだ。無理に商売人を目指すより、そっちで頑張ればいいだろ』

『【商売】のスキルが無いって事は、お前は商売人としては役立たずってことだよ』


 スキルの無い者は役立たず。

 この女もこれまでずっと、そう評価されて生きてきたのだろうか。


「ハンター協会所属、登録名ゼロ・テークス。本名は――ああ、なるほど。あなたを未成年者誘拐の罪状により連行させて頂きます」


 俺に丸いレンズのような物を向けていた警備隊の男が無表情に告げると、俺の手首に巻かれた手錠が淡く光る。

 警備隊の男のボードと俺の手錠とが、鎖のような物で繋がれる。


 俺はもう一度、女――アスラを振り返る。

 俺の眼には多分、憐れみが込められていたと思う。

 役立たずと言われ続けたであろう、彼女に対して。これから自分が数十年の間、罪を償う立場である事を棚に上げて。


 落ち着いて考えてみれば、そんな筈もない事は分かっただろう。

 彼女には『スキルを消滅させる』事が出来る。その能力は明らかに何らかの【スキル】だ。

 それに、俺を一瞬で吹き飛ばした力。何をされたのかも理解出来ない早さだった。

 そんな彼女を、スキルを持たない役立たずなどと言える筈がない。


 何故、彼女はスキルを持たないのか。

 二度と彼女に会う事のなかった俺は、その後、何度も彼女の噂を聞く事になる。

 孤島の監獄で。そして地中深く掘られた坑道で。


 絶望と共に連行される俺の頭上を、大きな流れ星のような光が横切って行った。

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