緋と蒼のセイヴィア
檪木 惺
序章
絶望への転落 前編
敷き詰められた石畳の道を両側に沿わせた、その間にある広い道をひた走る。背後から追ってくる気配を振り切ろうと、俺は必死の思いで逃げる。
俺が向こうの世界で見慣れていたアスファルトよりも、もっと硬質な道には窪みもヒビもない。
一体、何の材質で出来ているのか、以前から気になっていたが、今はそれどころではない。
追っ手を撒くために人混みに紛れた夜の繁華街は、俺が元いた世界よりも賑やかだ。
見慣れたビルよりも装飾が華やかな高い建物。その間を縫うように走っているのは、無人タクシーのような乗り物で、空中の決められたルートを飛んでいる。
街路灯は明るく、自動車やバイクのような乗り物は排気ガスを出していない。そしてこの街には、電線は見当たらない。
街の喧騒から逃れるように俺は走る。気付くと周囲の人波は閑散としていて、灯りの消えかけた店舗が並ぶ商店街に出ていた。
歓談しながら歩く人々、家路を急ぐ人々。その中に俺は不穏な気配を感じている。
何かが追って来ている。その気配が
俺は、この世界に転移してきた。
食っていくために通っていた小さな会社は、俺から見たらバカばかり。誰も俺の才能を見抜けない。
時折趣味の世界で会う友人は、普段何をしているかも知らない程度の付き合いで、彼女なんていたこともない。
つまらない毎日に嫌気が差し、ずっと『此所ではない何処か』に憧れていた。
夢の中に現れた
憧れていた、剣と魔法の溢れるファンタジー世界。
そこで俺は剣を振るい、究極の魔法を放ちながら無双するはずだった。
誰もが俺を讃え、黙っていても女どもが俺にすり寄る。
だけど、この世界は違っていた。
(異世界転移したら、チートになるんじゃなかったのかよ?)
ステータス画面が目の前に浮かんだ時は歓喜した。
喜び勇んで転移した山を降りて街を目指し、冒険者ギルドを探した。
だけど、街の何処にも冒険者ギルドはなかった。ラノベでは隔壁に囲まれた街の入り口付近にあるのが定番だったはず。
だが街にあったのはギルドではなく
冒険者ギルドがないのはこの街が田舎だから、という訳ではなかった。
『冒険者? 何だそれは? 冒険などと、子供の遊びか?』周囲の屈強な男たちにそう嘲られた。
そもそも街の様子を見た時点で気付くべきだった。
この世界は異世界転移によくあるような中世風ではない。俺の居た世界によく似て――いや、元の世界より、発達しているようにすら見えた。
狩人――猟師よりは傭兵の方が格好いいとは思ったが、傭兵の訓練を見て諦めた。とても自分に出来るとは思えなかったからだ。
俺は狩人協会に登録し、協会から貸し出された剣とわずかな防具で、街の近くの山で獣を倒した。弓は使えないし、剣の方がマシな気がした。
銃を薦められたが、俺は日本で銃を扱った事がない。――剣を振るった事もないのだが、銃の手入れを怠って暴発するよりは安全だろう。
そう、この世界には銃がある。
その時に俺は、夢見ていた異世界とは違う事を理解するべきだった。
たった一頭の小さな猪に似た獣。
俺のステータスには僅かな経験値が表示された。
俺は、弱かった。小さな猪相手に、ぼろぼろだ。
治癒魔法をかけてもらおうと教会に行ったら、医師のいる医療院に行けと言われた。せめてポーションを手に入れようと探したが、どの店にも置いていない。『ポーションとは何か?』と真顔で聞き返される始末だ。
街から近い山には魔物など出て来ない。
野生の動物を探して必死にレベルを上げたつもりだが、自分の力が強くなっている実感など全くなかった。
何度剣を振るっても、全然慣れない。
日本で剣を振り回す機会なんてなかったから、当然かもしれないけど。
魔法もおかしい。はっきり言ってショボい。
異世界転移したら、現代人ならではの豊富なイメージを持って、強力な魔法を使えるんじゃなかったのか?
……まあ、俺をこの世界に連れてきた男は、そんな事は言っていなかったが。
だけど、そういうもののはずだろう?
ここは異世界なんだから。異世界に転移したら俺は勇者になるはずだろう?
(…………本当にここは、異世界なのか?)
確かに、微妙に前の世界とは違う体つきの人間を見かける。獣耳の美少女はいないが。
言葉は通じるけど、使われている文字は明らかに俺の知る言語のどれにも当てはまらない。
それにステータスと経験値とレベル。
これは前の世界にはなかった物だ。
――だけど
目の前に現れるステータス画面の数値と、実際の実力が釣り合っていない。
これは何かおかしい。ゲームの中でいくらレベリングしようとも、現実のプレイヤーの身体は脆弱なまま。それと似たような感覚。
そう思ったが、俺にはどうする事も出来ない。
現代人の知識を使った魔道具やら料理やらでチートする事も出来なかった。
この世界は、俺のいた世界よりも進んだ文明を作り上げていたから。
化石燃料のない世界。
コンクリートに似た、もっと硬度のある建物や道路。
馬車や馬もいるが、この街ではタイヤのない単座、複座の乗り物が道路から僅かに浮いて走っている。
様々な方法で作り出した効率のよい電力と、精霊召喚石と呼ばれる宝石のような石が作り出す
それはファンタジー定番の、魔物から採取する魔石とは違い、元の世界の鉱脈のような所から掘り出される。
魔物らしき物もいるとは聞いているが、弱い俺は街からあまり離れる事が出来なかった。
中世の欧州のような場所を夢見ていた俺が、打ちのめされるには充分だった。
こちらの世界で必要とされる知識は、俺には何一つない。
ハンターとしても三流以下。周囲と話してもどこか噛み合わず、呆れたように笑われる。次第に俺は人と会話する事もなくなった
すっかり荒んだ俺は、ちまちまと稼いだ金で都会に出る事を決めた。
俺が最初にたどり着いた街は、この国でも小さい州の田舎だった。異世界特有の点在する集落や、町から町までを繋ぐ魔物の出る街道などはない。ごく普通に歩いていてもいつの間にか隣町に入っている。
市街地と農村部の違いはあるが、元いた世界とあまり変わりはない。
街を隔壁が囲んでいたりはしないし、服装も元いた世界とそんなにかけ離れてはいない。
山も川も特別な違いはなく、家やビルの様式が少し日本とは違っている程度。
そんな風景を、俺は宙に浮いたレールの上を超電導リニア以上の速度で走る、電車のような長い乗り物から眺めた。
この国の首都であるプリームスとかという州は、俺がリニアに乗るために訪れたオクターウム州の州都より遥かに大きかった。
それでも俺の生活は変わらない。スキルを冒険者向けに――しかも賢者を目指して魔法寄りに振った俺は、都会でもまともな職には就けなかった。日雇いや短期の臨時雇用の仕事などをしながらのフリーター生活だ。
俺は冒険者になる事を諦め、ちまちまと色んな仕事をして暮らしながら、こんな生活から抜け出す準備をしていた。
俺は、以前から目を付けていた近所に住む可愛らしい幼女を拐うことにした。彼女を連れて首都を出る。その後のことはまだ考えていないが、しばらくは山にでも潜んでいようと思っている。
それともう一人、十代半ば位の、胸の大きな美少女。
どちらも自分の好みを優先した。ハーレムの最初はやはり好みの女がいい。後は獣人の美少女がいれば完璧だったが、この首都でも見つけられなかった。
少女たちを言葉巧みに連れ出し、監禁する。その場所は俺だけが使える術で周囲の眼から隠された。
後はこの、つまんねー国から逃げ出すだけだ。
(うまくいく筈だったのに、どうしてバレたんだ?)
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