第5話 佐久夜
「なぁ、さくやちゃ~ん。そんなに怒るなって」
山道の中腹にある広い駐車場に停められた車のハンドルにもたれながら、男がへらへらと笑う。
佐久夜は不快そうに視線を助手席の窓の外に向ける。この男に限らず、ねっとりとした『ちゃん』の言い方には漏れなく不快感を覚えていた。
こんな場所まで連れて来られたのも不快だった。
「その呼び方、やめてもらえませんか」
「なんだよ、まだ怒ってんの?」
(この状況で平然と笑うとか、ないわー)
男とは友人を通じて知り合った。
友人もそんなに親しくはなさそうだったが、半ば強引に紹介させられたと聞いていた。
お試しでいいから付き合ってみてくれないか、と申し訳なさそうに友人に頼まれ、承諾してしまった自分を叱りつけたい気分だった。
ひとまず『まあ、会ってみる位なら』と友人を通じて答えたその日、この男は合コンで女性を口説いていたらしい。
そのまま二人で抜け出したと、合コンに参加していた同僚が伝えてくれた。
責める口調の同僚に、全く悪びれた様子もなく『でもさー、あの女は二人で飲んだだけだし。オレの本命はさくやちゃんだからさー』と笑っていたと聞いた。
そんな軽い男とお試しでも付き合うなど、普段の自分だったら考えられない。
紹介させられた友人も怒り心頭だった。
二度と会うまいと思いながら会社を出たところ、駅に着く前に車で待ち伏せされていた。
往来で騒ぎ立てられても困るので、仕方なく車に乗り込んだ。
連れて来られたのは、そんなに低くもない山の中腹にある駐車場。
「もしかして、妬いてる? オレ、絶望させちゃったかな?」
「…………」
呆れた物言いに無言でいると、嬉しそうに笑う。
どうあっても自分に都合のいいように受け取るのだろうと思った。
ならば、何を言っても話が通じるとは思えない。
「大丈夫だよ~、絶望の先には希望があるものだからさ~」
馬鹿なのか、こいつは。
それは今、お前が言っていい台詞ではないだろう、と思った。こいつは、やはり馬鹿だ。
何も考えずに口が動いているとしか思えなかった。
黙ってドアロックを解除し、車から降りる。
どこに行くのかと問う声が聞こえたが、完全に無視して小走りに道路を下る。
どうやら他に近隣を走っている車は無さそうだった。
それでも再びあの馬鹿の車に乗るつもりはない。
山道でも構わないから、脇道に逸れて追われないようにしようか。
そう思った瞬間、佐久夜の身体は真っ白な光に包まれた。
「それで気付いたら、宇宙船の中だったんです」
軽い食事をしながら話したサクヤの言葉に、ディーとカートは思い切り眉を顰め、司祭は困ったように苦笑していた。
馬鹿なのか、と思ったサクヤの気持ちがよく理解できた。
カートは、これまで自分が出会った転移者の事を思い出す。彼らとその馬鹿男には、何か符合する物を感じていた。
「そうでしたか。その者の愚かさに、早々に気付いたのは僥倖でしたね」
「そうですね、そう、考える事にします」
無表情に告げるサクヤに、ディーとカートも気の毒そうに彼女を眺める。
そんな嫌な出来事の直後に、宇宙船に拐われるなど、彼女が人生に絶望するには充分なのではないかと思ってしまった。
「すみません、宇宙船の中で真っ白な女性と会ったのは覚えているのですが、何を話したのかはどうしても思い出せなくて……」
「構いませんよ。いずれ思い出すでしょうし、敢えて混乱しないように情報が保護……いえ、ブロックされているのかもしれません。こちらから確認させて頂きたいことは数多ありますが、貴女もお疲れでしょう。部屋を用意してありますので、今宵はゆっくりと、お休み下さい」
「……ありがとうございます」
司祭の案内でサクヤが部屋を出て行く。その背を見つめていたカートが、頬杖をついて大きく息を吐き出した。
「ディー、精霊王の後継者なのに『精霊とは何だ』とは――」
「言うな、カート。私にも信じられない」
「そうか。……彼女は精霊の加護のない星から来たのかもな」
「精霊の加護が? いや、古い文献で同じ星から降臨したとされている賢者は、精霊の事を告げていたらしいと……」
「それは賢者だからではないのか? 一般的な者たちでは認識できないのだろう。こちらでも精霊の気配が分かる者とそうでない者がいる。何より、これまでの転移者どもは精霊召喚術を魔法、元素力を魔力と言っていたし、元の世界では使えなかったと言っていた」
「…………なるほど」
「彼らは、この世界には魔素という不思議な要素があり、その魔素で無限に魔法が使えると信じているらしい。魔素を過剰に摂取した獣が魔物に変わるそうだぞ」
「なんだ、その世界は。転移者はこの星がそうだと、一様に信じているというのか?」
「そうなんだ。
ディーは嫌そうに顔を顰めながら同意の頷きを返す。
「彼らが行使する力が何なのかは知らないが、その力はこの星の命を無理に削り取り、治療された者は骨が歪んだままになったり、患部は治癒しても他に不具合が生じていると聞いているぞ」
「まさに、その通りだ。――サクヤ殿は、どうなんだろうな」
「…………」
カートとディーは見つめ合ったまま、深い溜息を落とした。
ベランダから見上げた夜空には、満天の星が輝いていた。
街の灯はまだ華やかに煌いているが、その光は指向性を持たせ、きっちりと地上に向かって放たれている。
やはりサクヤが見知った星座は一つもない。空を縦断するこの星の天の川は、地球よりも太くはっきりと見える。
本当に、地球ではないのだ、と実感したサクヤは、小さく鼻を啜る。
見知らぬ地で、ただ一人。
じわじわと不安が足元から這い上がってくるようだった。
「……眠れないのか?」
密やかな声にサクヤが振り返ると、短い金髪の頭が隣のバルコニーから覗いた。
護衛と言っていたのでカートには隣の部屋があてがわれたのだろう、と思った。
先程、馬で迎えに来られた時の厳しい目付きは鳴りを潜め、深い緑色の眼が笑っている。
『……大丈夫です。少し頭が一杯で――あ!』
答えかけてサクヤは、カートには言葉が通じない事に気付いた。
胸元に手を当て、微笑みながらこくこくと頷いてみせる。
『大丈夫だ』と伝えたいのが分かり、カートは苦笑する。
「無理する事はない。突然故郷から遠く離され、意味の分からない事を告げられたら誰でも不安になる。――先刻は、失礼した。不快な態度を取ってしまった事を詫びたい」
バルコニーの手摺から身を乗り出すようにカートが頭を下げる。
「いずれサクヤ殿にも分かると思うが、これまでの転移者の所業が酷かったもので、つい貴女を警戒してしまった。貴女も、望んでこちらに転移したものと思っていたのでな」
静かに話すカートを、サクヤは黙って見つめる。
筋肉質の体躯に、鋭さを含んだ整った顔立ち。
性格は固そうには見えないが、丁寧な口調であり、軍人だと聞いているので真面目なのだろうと単純に思った。
本音は分からないが、気遣っているのは伝わり、サクヤはゆっくりとお辞儀をした。
その様子にカートは、ほっとしたような顔をした。
「眠れなければ、ゆっくりと深呼吸を繰り返すといいらしい。明日は自分とディーが貴女のスキルを確認がてら、街を案内する事になっている。楽しんでもらえるといいのだが」
「楽しい、はい。カーティス、様」
「……カートでいい、サクヤ」
「はい。……えー、話す、楽な? うー、話す、軽い? 近く……」
「――もしかして、もっと気楽に話せ、か?」
こくこくとサクヤが頷く。
この星の言葉を口にしたサクヤに、カートが思わず破顔した。
「分かった。少しでもサクヤが気遣わずにすむよう、楽な言葉にさせてもらう。……もう休んだ方がいい、疲れているだろう?」
微笑みながら小さく手を振って部屋の中に戻るサクヤを見送り、カートは首を左右に傾けて、こきりと鳴らす。
「さて、急いで作るか。あの娘と話すのは面白そうだ」
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