第4話 M31銀河
あまり広くはない部屋の中央にあるテーブルには、既に湯気をたてたティーカップが並んでいた。
カートは一瞬室内に視線を走らせ、窓から一番遠い席へとサクヤを導く。ローブを脱いで、自分がその隣に座った。
ディーがサクヤの向かいに座り、ようやく司祭がサクヤに声を掛けた。
「サクヤ様、失礼にあたるかもしれませんが、こちらを起動させて頂きます」
そう言いながら、テーブルの中央に小さな立方体を置いた。
「こちらは、貴女の言葉をこの星の言葉に変換するための機器になります。どうやら貴女の言葉はディーにしか通じていないようですので。――ああ、申し遅れました。私はこの教会で司祭をしております、クレストと申します」
「ご丁寧に、ありがとうございます。
サクヤの声に僅かに遅れて、似たような声色で翻訳された言葉が聞こえてきた。
この星は転移者だけではなく、近隣の星系から【ナーキ派】によって連れて来られた異星人もいる。稀に、他星系からの移民もあるため、翻訳機器類の性能はかなりいい。
どうやら彼女の言語もきちんと翻訳されているようだ、と思ったカートがそっと覗き込んでいると、隣のサクヤも興味深そうに翻訳機を見つめていた。
「同時翻訳出来るんですね、凄いな……」
「貴女の星にはないのか?」
カートが尋ねると、サクヤは小さく首を振る。
「声を一旦聞き取って、言語を翻訳してから声を再生する、という性能までは見たことがありますね。同時にだと、少し難しいのかもしれないですけど」
「そうなのか?」
「はい。私の居た星ではたくさんの言語があって、文法が違っていたりするので」
「文法? 例えば?」
「私の国だと『私は本を読みます』という文章が、他の国だと『私、読む、本』という並びに……ああ、直訳なので、本当はそんなに単純じゃないんですけど」
「貴女の国の言語とこの星の言葉は文法が似通っている、という事でしょうね。私には貴女の発する声の調子が違和感なく伝わっています」
カートとサクヤの会話に、静かにディーが割り込んだ。
その言葉に、サクヤは少し嬉しそうに微笑む。
「でしたら、単語を覚えたら何とかなりそうですね。頑張って覚えます。――いつ、帰れるのかも分かりませんし」
「…………帰る?」
「はい。……あの、何か?」
サクヤの『帰る』という言葉に、ディーと司祭が視線を交差させた。カートは隣に座るサクヤの横顔をそっと見つめる。
どうやら本気で言っているらしいと判断した。
少し言いにくそうに、眼を伏せながらカートはサクヤに告げた。
「サクヤ殿、転移者は帰れないというのが通説となっている」
「…………は?」
「転移者は、向こうの世界で亡くなって、こちらにやって来る。そのためだと思うが」
「でも、私は死んでいないです。……多分」
「そうか。だが、どうやって帰るのだ? ここから貴女の住んでいた銀河までの距離は250万光年と言われているが。
カートの言葉に、サクヤの表情が強張った。
250万光年。その数字で、サクヤの頭には巨大なディスクを持つ、地球からは靄にしか見えない銀河が思い浮かんだ。
「M31……」
「やはり、貴女もそう呼ぶのですか。そうです、この星は貴女の居た棒渦巻銀河――天の川銀河と呼ばれる銀河系から遠く離れています。そして、この星には隣の銀河まで行く技術はありません」
眉を寄せたディーを見返し、サクヤは俯いて唇を噛み締めた。ワープ技術までは到達していないらしい。それでも、有人航行する技術は地球より進んでいるはずだ、と思った。
宇宙船でやって来た自分を難なく受け入れているのだから。
自分をここに連れて来た者たちになら可能だろうが、どうすれば接触できるのか分からない。
黙り込んだサクヤを気遣うように、三人がこっそりと視線を交わす。
ふと、サクヤが顔を上げた。
「そうだ、さっきの……ディーさん、あのさっき見せて頂いた象徴、思い出しました。回転していたから気付くのが遅れましたが、あれはメタトロンキューブではないですか?」
「メタトロン……?」
「はい。正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体が組み合わさった物だったと思ったんですが。そういえば教会の正面の高い位置にもありましたね」
「……確かに、その組合わせです。貴女の星にもアーク派への信仰があるのですね」
「いいえ、アーク派というのは初めて耳にしました。あの形は私の星では、普通にスピリチュアルなシンボルとして有名でしたので。地球では正多面体に十三の球を組み合わせた物になりますが。特に教会で聖なる象徴としては扱われていなかったですね」
「シンボル? 何のですか?」
「エネルギーバランスを整えてバリアーを張る、だったと思います」
「…………」
「ディー?」
眉間を寄せて眼を伏せるディーを、カートが怪訝そうに覗き込んだ。
「どうかしたのか?」
「……何故、アーク派への信仰を持たない貴女が、それを知っているのだ?」
上目遣いにサクヤを見るディーの眼が険しい。
サクヤは、そんな視線を向けられた事に驚いて、眼を見張った。
司祭がふっと笑いながら、ディーの肩を叩く。
「ディー、忘れているようですが、彼女はアーク派によって転移させられたのですよ。信仰はなくとも、何かの繋がりはあるという事です」
「…………はい。サクヤ殿、失礼しました」
「さて、ではサクヤ様。この星に参られた事情を教えて頂けますか?」
にこやかな司祭の笑みに、サクヤは戸惑ったように僅かに首を傾げる。
「この星に来たのは、宇宙船に拐われたからですが」
「はい。その宇宙船の方々に、何か指令や指示を受けておられませんか?」
「指令……?」
サクヤがそう呟くと、左手の小指の爪の辺りからオルゴールの音に似た音が聴こえてきた。ポロロン、という音は、オルゴールのドミソの音階に聞こえた。
反射的にサクヤが左手を見ると、小指の爪の根元に小さな青い物が付いている。
透明な1㎜程の輝きは、極小の宝石に見える。
「何、これ……いつの間に……」
《もう一人の護り手と共に、星を救いなさい》
全員が息を飲む。
どう考えても、今の声はサクヤの小指の石から聴こえてきた。
弾かれたように立ち上がったディーが、思わずサクヤの手を掴む。
「どうやって、救うというのか!」
《精霊王の後継者は、精霊の声を聴く》
咄嗟に問い質そうとしたディーが、ようやく我に帰る。サクヤの手を離し、ゆっくりと椅子に座り直した。
「精霊の……王?」
再び四人の間に静寂が訪れる。
ようやく震える声を発したのは、カートだった。
「精霊王? 精霊とは、精霊召喚術で召喚される『力』のことだろう?」
「そうですね、精霊召喚術は精霊を通して
カートに答えたクレスト司祭を、ディーは複雑そうに見つめる。
「ディー、事情はよく分からんが、彼女は精霊たちを統べる王となる資質を持つという事か? それとも、王だからこの地に降臨したのか? そんなスキルが存在すると聞いたことはないが」
「…………先の言葉が真実なら。過去にも王のスキルを持った者がいるとは伝えられている」
「真実、でしょうね。神託と同じ声でした」
蒼褪めながらも淡々と話す司祭に、ディーが頭を抱える。
「…………何故、異星人が……」
「…………すみません」
ディーの悲痛な呟きに、思わずサクヤは謝罪してしまう。よく分からないが、突然やって来た異星人が自分の星の王だとか言われたら、それは納得したくないだろう、と思った。
自分が何やら王の後継者とか言われたのは、後でじっくりあの白い女を問い詰めたい所だ。――会う方法があれば、だが。
カートはテーブルに頭を擦り付けそうな親友に声を掛ける。
「彼女は精霊の声を聴くのだろう? それは、この星が抱えている問題を解決出来る、という事じゃないのか? お前は他の者――しかも異星人に頼るのは不満かもしれないが、この星の生命力が戻るなら、それだけでも歓迎すべき事だろう」
「……そうだな。――それではサクヤ殿、お聞かせ頂けますか。この地の精霊たちは、どのような事を伝えておられるのかを」
彼女――サクヤは、ゆっくりと数度、瞬きをする。
『あの……何の事だかさっぱり分からないです。精霊って、スキルって何ですか?』
カートは長い付き合いの中で初めて、ディーが呆然と固まるという場面に遭遇した。
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