第3話 故郷の星

『大変、お見苦しい所を……失礼しました』


 再び馬を走らせて市街地に駆け込んだ頃、サクヤがようやく顔を上げた。

 先刻、我を忘れたように吼えた事を恥じているのだろうとカートは思った。自分が威圧された程の気配は、今は鳴りを潜めている。

 サクヤはカートが考えた以上に、落ち込んでいた。


 確かに、突然宇宙船UFOに拐われ、明らかに別の地に運ばれたようで混乱していた。それでも少し取り乱してしまった事はかなり恥ずかしかった。


 見上げた夜空には、おかしな天体が浮かんでいた。まるで、火星の衛星、フォボスのようだと思った。

 では、ここは火星なのか? と思ったが、大気の酸素濃度は地球よりも高いような気がした。

 ――ここは、何処だ?


 そう思っていたら、目の前にローブを纏った人間を乗せた馬がやって来た。

 ローブに馬。中世の騎士様かコスプレか、と言いたくなった。

 見知らぬ土地に突然放り出される。

 これは、どういう事だろうと思ってローブ姿の一人に尋ねてみれば、転移者などと言われた。

 何の事やら理解出来ず、サクヤの情緒は著しく不安定になっていた。



 カートは先程サクヤが見せた、口先ばかりの転移者たちとは一線を画すようなその身体能力に、思わず声を失ってしまった。

 一体この者は何者なのか。そんな探るような視線を送ってしまう。

 ディーは考え込むように黙っていたが、サクヤの謝罪に小さく息を吐く。


「……こちらこそ、護りきれず、申し訳ないです」

『いえ、あの……神官さんに護って頂くような立場じゃありませんし。神官さんの仕事は存じ上げませんが、護衛のような事もされるんですか?』

「いや、今回は……」


 どう説明したらいいのか迷うように、ディーは再び黙り込んだ。




 遠目に見ても人工的な灯りだと気付いていたが、街の灯りは電気だ。だが、市中に入っても電線のような物は見当たらない。

 コンクリート製に見えた建物も、もっと滑らかな素材に見えた。石材のような継ぎ目もない。

 きょろきょろと視線を彷徨わせていると、少し大きめの尖塔のある建物の裏手に案内された。

 教会のような雰囲気に思えたが、特に十字架のような意匠はなく、かなり高い位置に幾何学的な飾りのような物が見えた気がしたが、暗くてよく分からない。

 ただ建物の所々に青白く光る石のような物が飾られていた。


 大きな不安と、よく分からない焦燥感を抑え、建物内に入ったところでサクヤは前を歩くディーに問い掛ける。


『ここは、どこなんでしょう?』


 長椅子の並んだ広い礼拝堂のような広間を見下ろし、益々教会っぽい、とサクヤは思う。


「ここはアーク派の教会です。ミュートロギア国のクァルトゥム州、その州都の端の方ですね。いきなり多くの情報を告げても、貴女には混乱させてしまうばかりでしょうから、情報は、追々伝えさせて頂きます」

「……ディー、お前、彼女の言葉が分かるのか?」


 ディーは一瞬、カートに怪訝そうな眼を向け、すぐに納得したように頷いた。


「彼女の話す言葉、それ自体は私にも分からない。だが、彼女が話す言葉とこの世界の言葉が二重に聴こえる」

「……お前が神の言葉を聴く時と同じように、と言うことか?」

「そういう事に、なるな」


 困ったように少し首を傾げるディーから、カートは空から降ってきたらしい女へと視線を移す。


「こちらの言葉……俺が話している事は理解出来るのか?」

『分かります。二重音声になっていて、慣れるのに時間が掛かりそうですが』


 何を言っているのか分からないが、微笑みながら即座に返答したと言うことは、聞き取る事が出来ているのだろうと思った。

 翻訳機器はあるが、彼女の言葉が翻訳できる言語でなければ、意思疎通は難しそうだと思案する。


「どうやら貴女には、私と同じように、そのままの言葉と翻訳された言葉が同時に聴こえているようですね」

『そうみたいですね。なるべく早く言葉を覚えるようにしますが……』

「是非、そうして頂きたい。私もいちいちカートに説明するのは面倒ですので」

『…………はい』


 ディーの冷たい言葉に、カートは僅かに目を瞠った。

 元々、そんなに愛想のいい方ではないと思っていたが、転移者に対していい印象を持っていない自分よりも、態度に問題がある気がした。

 同時にカートは首を傾げる。


 これまで出会った転移者は、こちらの言葉で話していた。

 彼らが言うには、ナーキ派の神から【翻訳】の能力をもれなく与えられているという話だったはず。

 なのに、この女の言葉は自分には分からない。しかも、神託と同じような仕組みで言葉を聞き取るらしい。


(何なんだ、この女は……今までの転移者とは違うのか?)


 カートは転移者が嫌いだったが、眼の前の女に少し興味を持った。その召喚が宇宙船により行われたというのも、興味深い。どんな様子だったのか、ゆっくり聞いてみたいと思った。

 宇宙船で他の銀河まで行くなど、この星ですらまだ実験段階までも届いていない。数光年先の有人惑星までがせいぜいだ。

 彼女が居た惑星は、この宇宙のどの辺りにあるのだろう、と思う。


 彼女が口元に手を当てて考え込んでいる。

 これまでの転移者が誰も答えられなかった問いに、この女ならば答えられるのではないか。ふと、そう思った。


「貴女は、何処の星系から来たのだ?」

『……星系?』


 首を傾げた女を見て、ディーが呆れたように言う。


「カート、これまでの転移者でその質問に答えられた者は一人もいないはずだ」

「……そうだな」

『宇宙空間での座標をどう説明したらいいのか、私には分かりません。私が居たのは、直径十万光年超、厚さ千光年の渦巻き銀河の端。本当に端っこにある46億年ほど経過した赤色矮星を恒星とする星系の、第三惑星です。……名称も単位もこちらと共通していないかもしれませんが」


 サクヤの言葉に、ディーの眼が見開かれる。

 その一瞬、フードの奥でディーの瞳孔が僅かに動いた。


『あれ? 今……」

「その、銀河から来たのですか? 光年というのは光の速度、というこちらと同じ認識でよろしいか?」

『そうですね。光が一年かけて進む距離、とされていました』

「貴女の星の一年とはどの位の時間になりますか?」


 肩に手を掛けたカートを振り切るように、ディーはサクヤに向かって身体を乗り出す。

 戸惑いもせず、サクヤは得心したように笑った。


『ああ、そうですね。一年って言っても、それぞれの星の公転周期は違うのか……。失礼しました。私の居た惑星、地球の自転は23時間56分4秒ほど、公転周期は365日と四分の一ほどです』

「……光の速度で一秒間あれば、どれだけ進むとその星では言われていますか?」

『えっと、29万9700km超でしたか』

「惑星の大きさは?」

『うーん……光速で赤道を回ったら一秒で七回転半なので――』

「その星は、テッラと呼ばれていなかったですか?」


 ディーの言葉で、サクヤの顔が強張る。

 サクヤの記憶にあるその呼び名は、イタリア語だ。それと、もう一つ、ラテン語でもそう呼ばれていたはず。

 探るように、フードで影になったディーのゴーグルの奥を見つめた。


『…………その呼び方は、ごく一部の国や古い言語で使われています。何故、貴方がそれを? イタリアからも転移者が来ているとか……』

「古い文献と、あとは…」


 ディーが言い淀んでいると、祭壇の奥の部屋へと通じる扉が開いた。

 薄茶の髪の、痩せた壮年の男性が微笑みながらドアに手を掛けている。


「司祭……」

「いつまでそんな場所で話しているつもりですか? 彼女も色々と疲れておられることでしょうし、言葉が分からず付き合わされるカートも気の毒です。詳しい話は奥でゆっくりしたらどうですか」


 司祭の言葉に、ディーは小さくと頷く。

 つい気が急いてしまった。


「わかりました。――サクヤ殿、まずはこれをご覧ください」


 ディーが小さく何かを呟くと、祭壇の高い位置に、ゆっくりと光が集まる。

 その光は、いくつかの幾何学模様を重ねたように見えた。多数の光の線が組み合わさったその立体は、宙に浮いたままで回転している。


『これ……何ですか? この教会――宗派の御神体か何かでしょうか?』

「御神体? ……貴女の星では神のご尊体が人の傍に居られるのですか?」

『えーと……そのごく一部といいますか……』

「これは、アーク派のシンボルです。神々と繋がるための聖なる象徴となっています。この形に覚えはございますか?」

『…………えっと、ちょっと思い出せないです』


 魅入られたように、回る光を見つめているサクヤの肩を、カートが静かに叩いて奥の部屋へと促した。


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