第5話

 ついでに兄弟たちを紹介しておこう。

 最初に生まれた牡がネロ。ネロとはイタリア語で「黒い」という意味で、この子犬は片頬が黒毛で覆われていたのでそう名付けられた。「長男の甚六」という言葉があるが、その言葉通り、おっとりしていておとなしい子犬だった。二番目に生まれた牝がカティア。この名前はお父ちゃんたちが知っているイタリア人の娘さんの名前。可愛い娘さんだったので名前をもらった。子犬たちの体毛は焦げ茶と白。この二つの色によって背中にはいろいろな模様が描かれている。それが子犬たちを識別する目印にもなっていた。カティアは焦げ茶の領域の先端が能登半島の形をしているのが特徴だった。まだこれといった個性を表してはいなかったが、活発な子犬であることは確かだった。

 三番目に生まれた牡がマロン。亡くなった子だ。背中の焦げ茶の領域はこの子が一番広かった。それでお父ちゃんは辞書を調べ、「栗色」を意味するイタリア語、マロネからマロンと名付けた。四番目に生まれた牡がカーネ。カーネとはイタリア語で「犬」の意味。この子は大食いで、マロンが病気になってからはこの子が一番長くワラシの乳首に吸い付く子犬だった。体も一番大きかった。サークルに給水器を取り付けていたが、そのノズルを口で押し上げて水を飲む回数もカーネが一番多かった。お父ちゃんはそれで〈水飲みカーネ〉と呼んでいた。カーネには悪癖があった。ウンチを食べるのだ。食欲がありすぎるのか。これには二親は手を焼いた。自分のも兄弟のも食べる。油断も隙もないのだ。お父ちゃんは〈くそ食いカーネ〉と、もう一つ仇名をつけた。実はカティアにもこの悪癖があった。

 ツムジだけがイタリア語によらない命名だった。二親はこの子犬にもイタリア語の名前を付けようとしたのだが、良い名前が出てこず、この子の場合、頭頂の旋毛があまりにも特徴的だったので、その名となったのだ。

 子犬のなかでお父ちゃんに真っ先に懐いたのはカーネだった。ある日、居間で横になっていたお父ちゃんは、ふと顔を動かした拍子に、側にいるカーネと目があった。あどけない目がお父ちゃんの顔を見つめている。お父ちゃんもカーネの目を覗きこんだ。こういう時、なにか照れ臭くなって視線を逸らしてしまうお父ちゃんだが、その時はなぜか引き込まれるように視線が外せなかった。カーネは、この人はなんだろう、というようにお父ちゃんの顔を見ていた。お父ちゃんはカーネの、モジャモジャの毛の奥の黒目だけの目(白目の部分は表れない)を見つめた。その時、カーネの目の中で、何かが閃いたような気がした。同時に何かが通じ合ったと感じた。カーネが身じろぎした。嬉しそうにちょんと跳ねた。お父ちゃんはカーネを引き寄せ、顔に鼻をこすりつけた。カーネはお父ちゃんの鼻の頭をペロリと舐めた。それはお父ちゃんにとって犬と気持が通じたと実感できた不思議な体験だった。実際、それ以後、カーネはお父ちゃんを見ると真っ先に尻尾を振って近づいてくるようになった。お父ちゃんの動きを注視し、後を追うようになった。

 賑やかな日々が始まっていた。朝、サークルを開くと、飛び出した子犬たちは部屋中を駆け回り始める。あっちに行き、こっちに来、何か興味をひくものに皆が集まる。音であれ、物であれ、関心を引くものがあると、それに向かってドドドッと一斉に動く。それが物であれば奪い合いが始まる。一人前に唸り声をあげて争う。お父ちゃんが出勤の支度を始めるとその周りに集まり、一挙手一投足を注視する。お父ちゃんが動けばその後を追う。下から見上げる熱い眼差しにお父ちゃんも応じることを強いられる。さて、どうしたものか。お父ちゃんはポケットに手を入れ、「いいか」と言って子犬たちを見回す。子犬たちは一心にポケットを見つめている。「それっ」と言って、お父ちゃんはバイクのキーを投げた。子犬たちは突進し、一番素早い者がキーに噛み付く。キーには革のホルダーが付いており、噛むには適している。お父ちゃんは定期入れを投げることもある。お父ちゃんの定期は半年定期で、落とさないよう鎖が付いている。定期入れに噛みつけなかったものはこの鎖を噛む。定期入れと鎖を噛んだものの間で綱引きが始まる。

 共通のターゲットがない時は、子犬たちは互いにじゃれ合う。ツムジはよくカティアにちょっかいを出す。皆より少し体が小さいカティアはちょっかいを出しやすいのかも知れない。カティアも反撃する。ツムジは他の子犬にもよく突っかかっていく。その反動か、ツムジが他の子犬たちから追われることがよくある。カティアとカーネが連合してツムジに襲いかかる。ツムジは唸りながら対抗しているが、衆寡敵せず、逃げ出す。それを二匹が追う。時に追手にネロが加わることがある。普段争いごとには我関せずと、鷹揚に構えているネロだが、時には気晴らしがしたくなるのかも知れない。

 通常は子犬たちとは離れて、傍から眺めているワラシだが、たまに子犬たちの遊びに加わることもある。子犬たちが奪い合っているカメラの皮製ケースに、ワラシが食いついた。体が三倍以上もある母親の介入だ。しかし子供たちは譲らない。しっかりケースを噛んで放さない。ワラシもウーウーと唸りながら引っ張るが全力は出していない。手加減をしている。遊びなのだ。そのうち、興ざめしたというようにワラシはケースから口を離す。どういうわけか、ワラシが子犬たちから追いかけられることもある。四匹の子犬に追われてワラシはワンワンと吠えながら部屋の中を逃げまわる。そんな情景を眺めていると、〈ワラシファミリー〉という言葉がお父ちゃんの頭に浮かぶ。


 

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