3-11 星と、未来と

 寸劇が終わり、初日の全体日程は終了となった。まだまだ喋るぞという人も、もう休もうという人もいる中、私は陽向ひなたと顔を見合わせる。空き時間にも少しずつ練習しておこう、と決めていたのだ。

「どうします、疲れてるでしょうし無理しなくても」

 自分の身体の感覚と、陽向の顔色を確かめる。夜更かしすると明日に響きそうだが、今日はリードの練習ができていない。

「そうだね……明日の合わせに向けて、ちょっと練習に付き合ってくれない?」

「ええ、勿論!」


 連れ立って庭に出ると、満天の星空に目を奪われる。高原の夜空は綺麗だと聞いていたが、想像以上だった。

「わあ、綺麗……!」

 歓声を上げる私の横、陽向も顔を輝かせていたが、ぽつりと呟く。

「……寒く、ない?」

「まあ、十月の山だもんね」


 セーターも着込んできたとはいえ、体感は冬並みである。冷えていく手は無意識に陽向に伸びて、気づいて引っ込める。急に悪いかなと思ったけれど、陽向も同じ気持ちだったらしい。


「……つなごっか」

 見上げたまま陽向が答える。陽向の左手を右手で包むと、ぎゅうっと握り返してくれた。体の温度を寄せ合いながら、寒空に散らばる宝石を眺める。

 その景色から思い浮かんだ歌を口ずさみ始める。合唱曲としてもポピュラーな「COSMOS」だ。今年の部で歌ったことはなかったけど、陽向も知っていたらしくすぐに歌声を重ねてくる。

 陽向がキープする主旋律を信じて、私は去年歌ったソプラノパートに移る。高めの音域がゆったりと伸びて、美しく主旋律に絡まっていく。その快感に、陽向への信頼に誘われて、欲が出る。教わった楽譜から、逸脱していく。


 自分の知っているパートを思い起こしながら、好きな部分をつなぎ合わせていく。陽向と私が一番綺麗に響き合える、そう直感した和音を辿って、新しい旋律が生まれていく。陽向は驚いたようだったけれど、ぶれずに歌い続けてくれた。


 歌は、音楽は、私たちはこんなに自由だ――他に誰も聞いていない、再現もできないアンサンブルだったけれど。私が合唱に惹かれた理由が詰まった一瞬だった。やったら楽しそうだなと前から思ってたけど、もう叶えられる私になっていた。


 一通り歌い終わって、息を吐きだす。

「いま歌ってたのって、どこかのパート?」

 陽向に聞かれて、正直に答える。

「前に歌った混声四部……が、イメージにあったのは間違いないけど。実は自分で考えてのアドリブでした」

「……え、即興!?」

「そうそう。昔から、こんな風にハモったら楽しそうとか考えることはあって。みんなでハモリ方を考えるときに意見出したとき、まれくんが褒めてくれたりしたことはあったんだけど」

 顔に驚きを浮かべた陽向が愛しくて、彼女の頬を撫でる。部活みんなのおかげだけど、誰よりも陽向と一緒だったから見つけられた私だ。

「ヒナちゃんと練習するようになって、どうやったら綺麗かが分かるようになって……だから試してみたんだけ――え?」


 ぎゅう、と。陽向が強めに抱きついてきた。彼女の感動が乗ったように、強く。

「綺麗だったよ、ビックリしたよ。詩葉さん、ほんとにすごいよ」

 気に入ってくれたことに安心して、その熱烈さに驚いて、笑ってしまう。笑いながら、陽向の背中に手を回す。

「私もね。自分にできることってこんなにあったんだって、驚いてるんだ。けどそうなれたのは、頑張ったらもっとできるって自分を信じられるのは、ヒナちゃんが隣にいてくれるからだよ」


 歌ったばかりの「COSMOS」の詩になぞらえなて、感謝を贈る。

「私の星は、ヒナちゃんなんだよ」

「……私だって、詩葉さんが星なんだよ。詩葉さんがいなかったら、どこを歩いたらいいか分からないくらい」

 陽向の腕に力がこもる。少し苦しいけど、温かい。命の温度が、心の高鳴りが、全身に伝わる抱擁だった。

 

 いつもと違う陽向の表情、その意味を確かめたくなったけれど。今、私が返したいのはこの気持ちだ。

「ヒナちゃんといるときの私、好きだよ」


 陽向が息を吞んで、ゆっくりと吐き出す。彼女が言葉に迷うのが珍しいぶん、その想いの大きさが伺えた。


 ――もう少し、もう少し、待ってほしい。もう少しだけ、私に心の準備をさせてほしい。


「さて。じゃあ、練習しよっか」

 そう声をかけると、我に返ったように陽向が離れる。

「うん、じゃあ曲かけるね」


 スマホから音源が流れる、二人の意識がすぐに切り替わる。

 頭上には星空、足下には柔らかい草地、隣には大好きな人。歌は伸びやかに、ステップは軽やかに、夜を幸せに染めていった。


*

 

 翌日。今日は一日かけて、本番順に曲を演奏しながら演出を詰めていく。スムーズに演奏するために、あるいはより魅力的な時間にするために、考えることは山ほどあった。


 例えば、入場の段取り。

「暗転からギターとリードボーカルだけで始めるとして、まず陸斗りくと和可奈わかなちゃんだけにする?」

「あ、見せ場もらっちゃっていいんです? じゃあ俺がリフ弾いて、和可奈が歌って……」

「わわ、頑張らなきゃ……お客さん温めたいですし、クラップ煽りますね。それで八小節回して」

「その間に上手側がステージ入って、クワイヤだと僕らテナーから歌に合流しますよね」

「一緒に楽器組も入って、私がフィル入れーの、ずーみんがシンセ弾きーの……試してみます?」


 リードボーカルのポジション移動。

「ここで俺のギターソロが終わって、音が薄くなってから結樹ゆきちゃんが喋るよね」

「はい。それに合わせて、キヨが前に出てきます。ラップの一小節前から掛け合いしたいですね」

「出てくるタイミング、足りなくても余ってもダサいっすよね……まず二小節目の真ん中からで試します」


 照明の演出。

「ここの前奏、熊さんベースと智香ちかさんサックスが交互に見せ場じゃないですか。いっそ、クワイヤがしゃがんで後ろにスポット当ててもらっても」

「いいと思います、ただ私たちの立つタイミングが……」

「ジェフさんと香永かえがオウッ! してるのに合わせて、ウチらがバッ! バッ! って立っちゃえば」

あきちゃん名案! ……できる、よね?」


 一日で全曲を扱う必要があるため、一曲で長引かせるとよくない。松垣先生を中心にタイムキープが徹底され、午前練習はテキパキと進んでいく。



 昼食はバーベキューだった。

「うお、これは……」

 先生含め、若者が十八人。食べる側も多いが、それでもビックリする量の肉と野菜が並んでいる。ご飯の入ったお釜もかなりのサイズだ。

「皆さんどうぞどうぞ、ほらどんどん焼いちゃってますから!」

 オーナーさんに招かれ、ぞろぞろと焼き網の周りへ。

「肉に対してはまさに喰らうべし、ですね!」

「曹操に謝るべし! けど同意だよ、肉!」

 香永と山吹やまぶきさんの、漢文――たぶん三国志ネタでの先陣に続いて、女子チームは続々と箸を伸ばす。どこか遠慮がちに様子を見ていた男子チームも、「すぐ食われるわ」と危機感を覚えたらしくすぐにやってきた。


 その一人の熊岡さんは、空いている所を探して結樹ゆきの隣にやってきた。年上の男性と結樹の会話、珍しいのでつい聞いてしまう。

「ごめん結樹ちゃん、そこいい?」

「勿論どうぞ! すみません、先輩置いて」

「いいのいいの、女の子が食っててくれないと俺らも動きにくいし……けど高校生の食欲、ちょっと舐めてたわ」

「肉が並んでいたら減らす方向に傾く、ルシャトリエが言いたかったのもそういうことですよ」

「化学平衡の拡大解釈ワロタ、結樹ちゃん理系?」

「ええ。熊岡さんは院で研究されてるじゃないですか、その手の話も聞きたいです」

「ラボの話なんてただの愚痴大会だからなあ……けど高校生の印象も気になるのよな、ちょっと研究の話していい?」

「ぜひぜひ、分からなかったら聞きますので」


 結樹と熊岡さん、だけじゃなく。看護師志望の春菜は、看護学部の山吹さんに話を聞いていた。数学が好きだけど進路への活かし方が分からないと言っていた沙由も、情報系の陸斗さんに相談していたのを見かけた。


 みんな、いずれ大人になっていく。高校を出て、進学したり就職したりして、人生の間の距離は遠くなっていく。こうして同じ場所に集まることも珍しくなる、あるいは集まる顔ぶれが変わっていく。


 昔はそれが怖かった、けれど。今はそれだけじゃない。

 変わるのも離れるのも寂しいけれど、再会したときには新しい一面だって見つかるんだ。そのせいで心の距離ができてしまうことだってあるだろうけれど、好きな理由が増える方がずっと多いだろう。


 だから今は、ちゃんと今を楽しんでいい。分かち合った楽しさが増えても、離れる悲しみは増えたりしない――やっと私も、そう思えるようになった。


 熊岡さんとの話がひと段落したのを見計らって、結樹の横へ。口に食べ物が入っていないのを確認してから、えいっと体をぶつける。

「っと……お前か」

「えへへ、BBQってすごいね、大学生みたい!」

「みたいって、半分は大学生だろうが」

 結樹の好きなの……肉は少ない、この辺だとエリンギかな。焼き頃のを箸で摘まんで、結樹の方を向く。

「……なんだ詩葉」

「あ~んしてあげるから、あ~んしてほしいなって」

「していただかなくて結構だ、そもそもお前は猫舌なんだから気を付けろ」

「は~い、けど猫舌もちょっと直ってきたんだよ」


 少し息を吹きかけてから、かぶりつく。思ったより熱かったけど、ちゃんと味わえる。

「詩葉のお子様味覚も変わったな……そろそろコーヒーのブラックも飲めるか?」

「去年から飲めるよ、サンマの内臓も美味しさ分かってきたし」

「へえ、苦い系も平気になってきたか……意外と酒もいけるんじゃないの?」

「それ、成人したら一緒に飲もうってお誘い?」

「せっかくだしな……いやダメだ、お前は絶対に酔うと面倒」

「え~いいじゃん! 」

「分かった、同期会とか女子会とかその辺でな、サシだと対処しきれないっての」


 結樹とじゃれているうちに、「女子で記念写真を撮ろう」という話が持ち上がっていた。和可奈さんが呼ぶ方に、みんな集まる。


「ねーえ、陽向! 女の子で写真撮ろうって!」

「はーい、行きます!」

 明に呼ばれて、陽向もやってくる……陽向は希和と二人で話していたらしい。それも、何か真剣そうな話を。

 笑顔の陽向の向こう、希和の表情はすぐに見えなくなったけれど。

 彼は彼で、何かを決めようとしている、それは分かった。


 自意識過剰かもしれないけれど。私に関わることかな、そんな気がした。



 午後の練習で、初めてバンド演奏と共に、私と陽向のリードボーカルを披露した。マイクでの音量調節は慣れてきたし、拍とコードの基準になる音も掴めてきた。最後の一回は「もう本番に出れるよ」などと絶賛されたし、自分たちにとっても会心の出来だった。


「君たち本当に凄いね。十何年の音楽人生でも初めてだよ、こんなに自然に息が合うの」

 休憩中、真銀まがねさんに褒められた。昨夜の茶番以来、すっかり打ち解けていた。

「私もビックリしてるんですよ。だってヒナちゃん、部活で合唱やるのはこの春からですよ?」

「マジ? せめて中学からやってたんだと思ってたよ。詩葉ちゃんもまた二年目よね、恐ろしいわ……何か急成長の秘訣あるの?」


 ちらり、陽向と目を合わせる。フィードバックの工夫、集中力のメリハリ、お互いへの理解と信頼――数えればいっぱいある、けれど。


「愛です、よね?」

「うん!」

 陽向の答えに、全力で頷く。

「何その青春感、ずるいぞ!」

 真銀さんの拗ねた顔が可愛らしくて、また笑った。

 

 勿論、課題だって沢山ある。全体の音量バランスは不安定だし、磨いてきたハーモニーだって所々で崩れかけだ。リードボーカルだって、私たちのように上手くいってる人たちばかりじゃない。沙由は果敢にチャレンジしているけれどまだまだ迫力不足だし、希和も自分で作ったラップを再現できていない。


 けど、きっとみんな、気持ちは負けてない。最後の最後まで頑張りきる覚悟はできている、そんな空気だった。

 

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