2-16.聖水ぶっかけ作戦なんか採らないよ

《大丈夫かね、あの二人。ヤッセのこと、すごい目で睨んでたけど》


《いや、ヤーセミン様にどうこうはしないでしょう。ヘタに手を出せば、自分の命に関わるかもしれないから》


 フェリットに対して、ヤンが言葉を返す。冒険者に限らず、荒くれ者をまとめてきた経験者だし、その話には説得力がある。


《それなら、心配ないよね。それよりも》


 姿勢を低くして、くだんの嫌な塊を観察するのと、土の具合を調べるのを同時に行っていく。


「あ、ウサギ……ホントだ、今になって慌てだして、それでも身動きは取れる……逃げた先に……いや、あれは」


 ウサギは、黒い塊から逃れようとして、その場から動くけど、その動こうとした先に、また塊が生じて、その体に取り憑こうとしている。


 しかし、よく注意して見てみると、塊がもともとあった場所には、何もない。


「転移する、ってこと……? 厄介ね。攻撃の前に、動けないように囲い込みが必要なのか」


 相手が悪霊、あるいはそれに近い存在なのは、ほぼ間違いないだろう。


 その前提で考えれば、単純に攻撃するのではなく、悪霊が逃げられないように周囲を固めた上で、追い込んでいくのが賢明だ。霊法で攻撃しても、ふらりと逃げられては、いつまでたっても有効打を与えられない。なにせ相手には、重力という制限がないから、とにかく身軽なんだよね。よかったよ、聖水ぶっかけ作戦なんかを採らないで。


 そして、土の方はというと、四人一緒にいた場所に比べて汚染されているのは確認できたけど、予想とは少し違うようだ。


 悪霊は、概して攻撃的になる。それも、獲物を見つけた場合に狩猟モードに移行するわけじゃなくて、攻撃する相手を常時探して、あちこちへさまようことが多い。そして、一定程度の攻撃で満足すると、少し休んでから、また相手を求める。まあ、肉食獣が餌を求めて動き回るようなものだ。つまり、一つ所に留まるわけじゃないから、悪霊が発する邪気が土に残ることはほとんどない。いや、残っているんだろうけれど、獣の通った後は人間の鼻では追えないのと同じで、霊能力的に追跡が困難なのだ。


 それなのに、ここの土は、悪霊が放った邪気の気配を、強く残している。つまり、悪霊がによって汚染されたといえる。自然に瘴気が蓄積したものじゃない。


「さっきは、土の瘴気を養分にしているかもって言ったけど、実際は逆なのね。悪霊が土地を汚しているってこと」


 そうなると、戦略は決まった。ウサギが食い尽くされるまで、あと二分ぐらいといったところか。急がないと。


「ザヒースチ・ミニェ・ビットゥ・ブルードゥ……」


 邪を遠ざけようと、自分で普段から使っている文句を口に出す。これ自体は邪を祓う力があるわけじゃないし、そもそも日常語に近いもので、要は気分を落ち着かせるためのおまじないに過ぎない。


 悪霊を取り囲むように円状に動きながら、タルール文字の書かれた護符を配置しつつ、印を結ぶ。恥ずかしながら、護符に書かれている文字も、読み方も、意味さえもわからないけれど、暇があったときに気分転換に書き写していたら、それなりにストックが溜まっていた。悪霊を封印する効果があるが、強力な悪霊の場合も、安全に封印できるかは定かじゃない。そりゃそうだ、何もわからずに、オリジナルを書き写しただけなんだから。


 この作業を、だいたい一分以内で、それも、相手に気付かれないように行う必要がある。急げ、急げ。


 ある程度囲い込みが終わってから、両の手のひらを耳の脇に立てて、唱える。


「クスタル・ウシュク、ベニ・コル!」


 これは、自分の身を邪から守る呪文で、光系の霊術を使い、擬似的に聖魔法と類似の働きを持たせるもの。トゥック人の巡礼者から教わったものだ。効果はかなり大きく、弱い悪霊なら、ざっと三分は近寄らせない。


 ただし、あくまでも邪の働きによる攻撃を防ぐという効果で、攻撃の意思を弱めるわけではない。むしろ、呪文を行使する事で、敵がここに居るよと伝える形になる。


 つまり、悪霊を攻撃できる準備が完了した状態で唱えるものだ。


 案の定というべきか、その悪霊はこちらを向いてくる。


 一般的な魔物とは違い、声を出すことがないから、音が伝わってくることはない。ただ、まがまがしい空気が、ビリビリと肌を逆なでするように襲ってくる。


 そして、わたしが霊力を意識的に込めたところが、軽くしびれるような状態になるのを感じる。見ると、右手の小指が、ほんの一瞬だけ邪気に覆われ、そこにあった霊力を引き出しにくくなっている。


「なるほど、敵を認識したら、相手の霊力をこうやって段階的に無効化していくわけか。よくできてるじゃない」


 敵に直接霊法攻撃を行うには、相手の能力次第でリスクがある。かといって、敵の霊力を直接奪うには、高い練度が求められるだろうし、そんな技能を持つ存在なんか聞いたことがない。


 そこで、敵の霊力を無効化していくという方法を採るわけだ。どれだけ霊力を多く備えていても、それを行使できなければ意味がない。そして、戦闘の所要時間を考えれば、長い間無効化する必要もない。


「でも、それは悪手よね」


 悪霊が転移しているように見えたのは、実は錯覚。本体は一箇所にあって、分身を自由自在に動かしているのだ。


 そして、わたしの霊力を抑え込もうとするなら、その作用がどこから働いているかは、目をつむっていてもわかる。


「そこね。……地の霊よ、邪を解き放て! 聖なる光よ、清き気をもたらせ!」


 ターゲットが確定しているなら、後は、闇系魔法で邪気を希薄化させてから、光系魔法で除霊するだけだ。


 一般的に、霊術師が行使する霊術は、光系、闇系、動系、静系の四種類に分けられる。大雑把にいえば、光系と闇系は霊力に対して化学的に作用させるもの、動系と静系は霊力に対して物理的に作用させるものといってよい。


「よし、いっちょあがり、っと。他には悪霊の気配は……なし。でも、このあたり一体の土地も、まだまだひどいもんだわ」


 念のために、土に染み込んだ瘴気も、除去しておく。戦闘になったわけではないけれど、むしろこちらの方が、術式の面でも消費霊力の面でも大きかった。


 あと、護符をかなり使っちゃったから、またいっぱい書いておかないと。市販されているかどうかわからないし。


「お待たせ、終わった……えええ!?」


 元の場所に戻ると、カールリスさんが、血塗れになって倒れていた。

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次回は2022年1月19日(水)投稿予定です。

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