2-9.霊を縛るもの
「ふう……」
地面に両膝をついて、そのままペタンと腰が折れてしまう。地べたに正座をするような形になってしまった。
霊力自体もかなりカツカツになっていたし、それより何より、長時間にわたって細心の注意をもって浄霊に取り組んだから、気が抜けちゃった。これ以上集中を続けるなんて、もうムリ。
《大丈夫かい?》
《うん、まあ、疲れたかな。少し休みたい。眠りが必要なほどじゃないから、小半時も座ってれば戻ると思う》
脚を伸ばしてから草の上にごろんと横になって、フェリットに言葉を返す。こういう時には、やり取りできる相棒が居るというのが、たまらなくありがたい。純粋に独りだけだったら、どうなっていただろう。
だって。
自分の手で、自分が修得した術をもって、意思ある存在を、滅したのだから。それも、その直前まで、同じ目線で話していた相手を。
いや、わかってるよ。心の底からの願いを、聞き届けただけなんだって。要望に対して、わたしだからこそできることを、やっただけなんだって。
それでも、どうしても、ストンとこない。
《ヤーセミン様。ありがとうございました》
《え?》
浄霊を望むという選択をせず、この場に留まった三体の霊のうち一体が、穏やかな調子で語りかけてきた。
《あなたさまは、我々の存在を認めてくださった。我々にとっては、それだけでも十分に、十分に満足なのです。あの場で浄霊を望んだ方々は、自分たちを、自分たちの存在を認めてくれた、それに喜びを感じて、未練が解消されたのです》
《認めた、って……そりゃ、霊術師なんだから、わかって当然で……》
《そうではございません。自分たちは、ここに居てもいいんだ、存在を許されているんだと思うことで、どれだけ安心できたか。そういう“安心”をもたらしてくれたからこそ、我々は、あなたさまに全てを委ねたい、そう思ったのですよ》
《安心……》
《はい。生きている者であれば、死に怯えるものですし、わたくしも生前は当然そうでした。しかし、いざ死して霊のみになってみると、消滅すること自体は、特に恐れることではないのです。それより何より、自分がそこに存在していること、それ自体が、恐ろしくて仕方ないのです。人の理、天の理、主の理に背いている、自分が、霊たる自分が、今なお現世にあることそれ自体が》
そんなこと、考えてみたこともなかったな。でも、当たり前なんだよね。
人間にとって、いや生きとし生けるもの全てにとって、死は絶対に避けられないもので、いつしか必ず迎えることになる。だから、死生観というものが出てきて、それを踏まえて、人生観が成立する。死を意識しない生は、やはり浅薄なものになりがちだ。だからこそ、生きるための唯一の方法は自らがいつか死ぬことを忘れることなり、なんていわれる。
その点、霊には、寿命というものが存在しない。未練がなくなって消滅することが霊にとっての死にあたるとはいえるけれど、霊自体が劣化して自然に亡くなるという現象は確認されていない。いわば、霊自体は、不死の存在といえる。だから、死=消滅に対して、畏れを抱くことがないのだろう。
その裏返しといっていいのだろうか、存在意義自体が、非常にネガティブなものとして、頭に埋め込まれている。
《そっか。人と違って、そこに“居る”ことが、大きな悩みの種になっていたのね》
《はい。それが、本来の未練を徐々に薄めることになる一方、逆に新たな未練になっていったのです》
なるほど。未練は、途中で別のものに置き換わることがあるとは知っていたけど、そういうことなのか。
《だけど、“居る”ことを悩む理由、ねえ》
人と違うのは、この世に居る、在ることが、認められているかどうか。
でも、認められているって、いったい、どういうことなんだろう。
《わたしには、その、人の理、天の理、主の理というものが、どこまで説得力を持つのか、疑問なのよね。確かに、死せる魂が霊として残るのは、変則的な事象でしょうし、法則性から外れるという点では、道理に合わないという表現も間違ってはいないわよ。でも、それって、正道や常軌を逸脱しているのかしら。そもそも、神はそのような現象を、邪悪なものとされているのか。だいたい、真正教でも真一教でも、基本の教典はおろか、預言者伝承録などでさえ規定されていないのに》
後半は、ほとんど独り言になっていたけれど、それでも、止めることはできなかった。
だって、霊と接してきた、触れてきたわたしの体験、それを否定することは、たとえ神であろうとできないと思っていたから。
《それは……》
《ううん、違うね。正解なんか、どうでもいい。大事なのは、自分が存在していること自体が、自分に浸透した意識と衝突(コンフリクト)を起こして、それに苦しんでいるということ。それが、生者という“外部の存在”による規定なのに、判定しているのは自分という存在。……地獄だわ。でも、いわば“同志”が多数、同じ場所に残っている。大声で叫んで自我を保とうとするのは、必然か》
死んだ人間が霊になっても、そこに自我がある限り、それは純真な理性的存在にはなり得ない。生前の記憶があるわけだから、その価値観も当然、人間時代のものを踏襲する。
そして、人間時代の価値観では、霊は、この世に留まるべきでないものとされている。
そうなると、自分たちは居ていいのか、という考えに陥るのは、真面目な思考の持ち主なら、当然のことなのかもしれない。つまり、生前に内省的だった人ほど、霊となって思い悩むことになるわけか。
わたしがこれまで接してきた霊は、多分、わたしと会話を重ねることで、それを自然と克服していったに過ぎないのだろう。
なんてことだ。
霊術師だ、霊法の修行をしてきた、それを頼りに、霊のことならかなりのことを知っていると思っていたけど。何もわかっちゃいなかったんだ。
自分が自分としてあるどころか、自分が自分として居ること自体が、倫理的に認めがたいなんて。
だからといって、後悔してはいけない。
《うん、大事なことを……生きている間には、恐らく知ることができなかったことを、教えてくれたんだと思う。だから……もう、ほとんどのみんなが、消滅しちゃったけど……わたしからも……ありがとう……》
そして、わたしの両目から漏れ出てきた液が、だらだらと、絶え間なく流れるようになって。
気持ちが落ち着くようになるのは、しばらくたってからのことだった。
《まあ、いい感じでスッキリしたようだし。よかったよかった。それはさておき、キミたちにお願いがあるんだけど》
隣に居たフェリットが、途中で視線をわたしから三体の霊たちに向ける。
《この娘を支える手助けをしてくれないかな? ボクと一緒に》
《えっ?》
わたしは驚く。
《この娘さん、疑り深いくせに人と話すとすぐに信じるお人よしだし、自分の能力がどの程度かわからず無自覚にやらかすし、道を歩くとすぐにドブへ脚を突っ込むほど鈍くさいし、意欲はあるけど根性がないから長続きせずに放り出すし、度胸はあるけど判断力が怪しいからすごく危なっかしいし、知識はたくさんあるのに世間を知らないし》
《おい、ちょっと待てい》
《能力はあるけど、こうと決めたら猪突猛進。人の話を聞かないわけじゃないけど、ぼっちだから止めてくれる人がそもそもいない。結果として、知らず知らずのうちに、戦場の最前線に飛び込んじゃう》
《やかましいわ、この駄犬》
どうしてそこまで人の悪口をポンポン出しやがりますかね。しかも、いちいち心当たりがなくもないから、なおさらタチが悪い。
《でも、性格も頭もいい娘なんだ。それだけに、悪目立ちしやすいと思うけど、ボクだけじゃ、あまり力になれない。前世はしょせん犬だし、知っている世間も狭かったから。でも、キミたちなら、他の世間を知っているし、何よりも、彼女と違う場所で生きてきたし。だから、よければ》
《もちろん》《願ったりだ》《喜んで》
フェリットが言い終わらないうちに、三体の霊が、一斉に合意する。
何ということでしょう、わたしが何も言わないうちに、お供が増えてしまったようです。
いやまあ、仲間が増えてくれるのも、悪いものじゃないけどね。
《うーん、何だか、コイツが勝手に決めちゃったけど……ともあれ、よろしく》
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次回は12月22日(水)投稿予定です。
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