2-6.遠きみやこにかへらばや
町のすぐ近くにある森にお化けが湧いていて、人が近付くとボロボロにされるので、手出しができなくなっているという現場に踏み込んでみたら、たくさんの霊たちが、ゴキゲンに歌って、踊っていました。
事態は把握したけど、理解できん。あまりしようという気も起きん。
目の前で繰り広げられる、生まれて初めての風景に、あんぐり。声も出ないわ。
《ヘーイ、お前! もっとノリよく歌おうぜ、踊ろうぜ、楽しもうぜーい! 声を出せば、力が湧くぜーい! なあみんな、そーだよな!》
《イェーイ!》
《よぉーっし、ひっさびさのギャラリーも居ることだしなあっ! ここはノリよくいかねーと、カッコつかねーよなっ!》
《イェーイ!》
……。
一事が万事、この調子。
冒険者として初めて受任したお仕事。そのうちの一つって、この妙な連中を説得して、人に害を加えないようにすることなんだよね。手段は問われてないから、力技でもいいけどさ。
一応、念話でやり取りしようとしてみたけど。こっちの存在自体はわかっているみたいだしね。でも、こいつらみんな全力でシャウトしているので、人の話なんか聞こうとしない。まあ、人と霊の間でコミュニケーションが成立するのは、人側の霊能力が十分に高く、それなりに経験を積んでいる場合に限られるから、そもそも会話が通じるかもと思いさえしないのだろう。それは仕方ない。
うーん、なんつーか、困ったな。
会話が通じない相手なら、問答無用で除霊しようと思ってたんだけど、この連中には理性がしっかりある。確かに会話は通じないけど、単に人の話を聞かないだけだ。生前からこういうヤツだったのかもしれない。かといって、完全に壊れちゃった霊というわけじゃないから、力尽くは避けたい。
おいたが過ぎるよ、とばかり、ちょいとダメージを加えてみようか。いや、今のこいつら、頭に血が上っているから、下手に邪魔をすると逆上するかもしれん。ざっと見たところ、騒いでいる霊は、かれこれ二十体ぐらいか。そいつらが組織的にこっちへ向かってきた場合、単身で無事に切り抜けられるか、不安が残る。
霊が抱いている感情自体は、そう悪いものじゃなさそうだし、害意も敵意もなさそうだ。わたしの脇に使役霊が居るから警戒しているってわけでもない。
ちょっと待て。警戒してない?
《フェリット、どしたん?》
脇を見ると、丸くなって、耳を押さえてうずくまっている。怖がっているんじゃくて、ここで歌ってる連中がやかましいってわけね。前世が犬なら、この騒音同然の大音量はたまったもんじゃないだろう。
フェリットを介して話をしようかとも思ったけど、これじゃ、元ワンコは戦力にならん。説得するにせよ、お仕置きするにせよ。わたしが一人で対応しなきゃだめってことか。
ちなみに人間の耳には、音としては何も入ってこない。邪気が湧いているわけでもないから、精神が汚染されるわけでもない。ただ、近付きたくないというか、関わり合いになりたくないというか、そういう気配を感じさせる。だから、用がなければ人は立ち入らない。そして、霊の発する声が力強いものになったり、複数の霊の声が重なったりすると、さらに気分を悪くすると思われる。意図したものかどうかはしらないけど、音声張り上げのイェーイ!が効果を発揮しているわけだ。
《イェーイ!ねえ……単に一定のテンポで叫んでいるような。うん? ……踊り自体は見たことないけど、この旋律……》
お貴族様が社交の場でたしなむダンスなんぞは見たことさえないけれど、庶民が触れるレベルの歌や踊りについては、それなりの心得があると自認している。
事実上複数の宗教の間で二股三つ股しながら育ったし、いろいろな言語の集団と触れていたし、子供に対しては教師として接したし、いろんな歌や踊りになじんできた。ディルジニー教団というグループが村にやってきて、彼らの踊りを見た時には、ウットリした眼になって、彼らに付いていきたいと親にゴネた事もあったらしい。らしいってのは、もう覚えてないからだけど。
特に重要なのは、子供に対して教鞭を執った経験だと思う。
机の上で読んだり書いたりするのは、教育の方法として必須だ。学習習慣という面でも大事なこと。でもそれだけでは、理解や習得へのとっかかりへ届くのに、どうしても時間がかかる。初等教育といえども、抽象概念を理解させる必要はあるからね。
そこで、わたしが取った方法が、子供たちの前で歌い踊り、その中で霊気を細かく動かして、すんなりと思考を整理させるというもの。誰に教わったわけでもなく、もとはごろ合わせで覚える時にメロディーを付けて口ずさんだら、子供たちの反応が急に活性化したのにヒントを得た。
正直なところ、霊術師の間でさえ、汎用性のある方法なのかどうか、今でも自信はない。でも、わたし個人が行うには、それなりの力を発揮するという自信がある。
相手に自我と意識があるのなら、人間だろうが霊体だろうが、効果に違いはないだろう。
そして、この旋律なら。うん、大体見当はついた。軽く屈伸運動などをしてから。
《~~~♪、~~~♪、~~~♪、~~~♪》
《――あン?》
彼らに聞かせるように歌を流し、見せるように踊りを披露すると、うん、反応した。歌には歌で、踊りには踊りで、だね。
ちなみに、霊と対話する時に使う念話には、言語というものは基本的に存在しないし、従って文法というものもない。
でも、個別に単語を入れることはできる。
そこで、彼らになじみがあると思われる、いや、非常に強い思い入れと懐旧を喚起するフレーズを、随所に入れてみた。
《~~~♪、~~~♪、~~~♪、~~~♪》
《お……おお……おおお……》
ビンゴだ。
わたしは、この地域ではそれほど一般的ではなさそうな、ポリュシュ語のフレーズを入れてみた。彼らの歌や踊りは、とにかく破天荒でハチャメチャなものになってたけど、その動きから、ポリュシュの民族舞踏の特徴らしいものを感じたからだ。
どの地域でもそうだとは言わないけれど、農業や漁業で食糧供給が成立する地域では、大多数の人間は一つ場所に定住して一生を過ごす。遠距離を移動する商人だっているし、修行のためにあちこちを回る職人や学生だっているけれど、それはごくごく少数派だし、生涯にわたってそういう行動を取るはずもない。流浪の民といわれる民族もいるけれど、個別でみれば、大多数は一つ所に居着くものだ。
そして、定住している人は、そこから離れると、生まれ育った場所で身に付けたいろいろなことを、とても大事に思い出す。住んでいた時には何とも思わなかったことでも、その環境から離れると、急に懐かしく思い、自分のルーツがそこにあると再認識するようになるのだ。それが、自分の意思ではない事情で、元の場所から離れざるを得なくなった場合は、その思いはさらに強くなる。
いや、逆に、もう二度とあんなところに戻りたくない、と思っている可能性もある。やっとのことで、そこから逃れることができた、それが実態かもしれない。それでも、今ここに居ることの意味を再認識するために、故郷が触媒として機能しているのは間違いない。生まれ育った場所を取り上げれば、感情が高まり、そして心情を表に出すのに、必ずプラスに働くはずだ。
しかも、うらぶれて異土の乞食になりぬれば、なおさら。
《~~~♪、~~~♪、~~~♪、~~~♪》
《う……うう……うおおおぉ……》
シャウトが驚きの声になり、うめき声になり、嗚咽へと変わっていくのに、それほどの時間はかからなかった。
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次回は12月12日(日)投稿予定です。
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