2-2.初めてのお泊まり
「冒険者ギルド」
その響きが耳に届くと、そっか、ここはハイリク村じゃないんだ、そう実感する。
なぜって、ハイリク村には、冒険者ギルドというものはなかったから。
知識としては、冒険者ギルドの存在は知っている。一応、冒険者が村を通過することがあったし、そういう人に話を聞く機会はあったからね。
冒険者とは、いろいろな依頼を受注して解決し、それによって対価を得る、いわば何でも屋だ。魔物や盗賊を討伐したり、旅人の護衛をしたり、洞窟やダンジョンなどで素材やアイテムを探したり、まあ、ありとあらゆる事が、冒険者の仕事になるといっていい。
冒険者が仕事をするには、冒険者ギルドという互助組織に登録する必要がある。基本的に、依頼主から冒険者ギルドに対して依頼があり、ギルドを介して冒険者が受注し、成果に応じて報酬を受領することになる。ギルドは国家横断的な組織になっており、あるギルドで冒険者登録をしておけば、別のギルドでもそのまま身分や業績、地位が引き継がれることになっている。
冒険者ギルドへの登録条件は、ほとんどなかったはず。子供ならいろいろ制限がかかったりするはずだけど、十六歳のわたしなら、何の問題もないはずだ。
「まあ、詳しいことはメシの後にしてくれや。悪いけど」
「あ、いえ、こちらこそ、お忙しいところありがとうございます」
ぺこりと頭を下げてから、手渡された鍵を持って部屋へと向かう。
割り当てられた部屋は、小ぶりながらもきちんと清掃が行き届いていた。低いベッドにマットレス一枚、そして毛布二枚。小さなスツールがあるけど、椅子として使うのか、小テーブルとして使うのか、どちらともとれそうだ。
施錠を確認してから、荷物を下ろして、服も全て脱いで生まれたままの姿になってから、部屋全体、そしてわたしの体を対象に、霊法と魔法を続けて行使する。
「<清化><清浄>」
<清化>は、霊法の基本的なもので、邪霊、あるいは邪へと向かいつつある霊を、清の方向へ戻す。清といい邪といっても、結局は人間にとって都合がいいかどうかだけなんで、自分勝手ではあるけどね。それでも、自分の体の周囲に邪の気配を残しておくのはよくないし、それが肉体をむしばむことにつながる。あまり潔癖になると、今度は邪への抵抗力が落ちるうえに、悪質な邪霊から狙い撃ちされることもあって危険だから、ほどほどが肝心で、これが実はけっこう難しい。実際、片っ端から除霊する方が、ずっと楽なんだよね。完全にイっちゃったアンデッドを滅するより、こじらせた邪霊を立ち直らせる方が、百倍は疲れる。
<清浄>は、生活魔法の一つ。霊法の<清化>とは違って、要は人間にとって不快または有害なものを物理的に除去する魔法。ただし、不快または有害なものといっても、それは無生物に限るようで、長く伸びた爪に<清浄>をかけても爪垢が取れるだけで、爪は切れない。また、指先に虫を乗せて<清浄>をかけても、虫に触れた汚れだけがきれいになって、虫自体には影響はない。肉や魚をさばく時など、血糊や臭気などを除去するには、この魔法が欠かせない。でも、これを使えない魔術師も意外といるようで、ハイリク村を訪れた魔術師が、こまめに水魔法で水を出しては手を洗っていたのを何度か見たことがある。
すっかりきれいにしてから、ボスッ、とベッドにダイブ。仰向けに寝転んで両腕を天井へ向け、ういーっ、と体を伸ばす。
「ふーっ、疲れた!」
《よく言うよ、半日も歩いていないし、ろくに荷物も持ってないのに》
わたしは、すぐに出し入れできる身の回りのものを、霊法<ストレージ>で生み出した保存スペースに収納しているから、荷物はほとんど持っていない。
一般的に知られている収納方法は、空間魔法<アイテムボックス>。これは、魔法を使える者ならほぼ誰でも使えるもので、空間を魔力で変成し、擬似的な収納スペースとするもの。<アイテムボックス>の容量は魔力に、維持時間は魔術の制御精度に依存する。わたしの魔術は下の下もいいところなので、わたしが使える<アイテムボックス>は、たかが知れている。ごく一時的な収納はできても、旅のお供にするには無理がある。
でも、わたしはこれに加えて、霊法<ストレージ>を使える。これは<アイテムボックス>とは異なり、霊力を使って、現在の空間とは別の次元の空間へ接続し、その異次元空間で他者からアクセスできない場所を確保し、物理的な収納スペースとするもの。<ストレージ>の容量は、霊力と、発動時の霊術の練度の積に比例し、維持には負担がかからない。入れっぱなしでいいのがうれしい。
<ストレージ>に収納する物は、<アイテムボックス>に収納する物に比べて、いろいろな使い方ができる。
まず、<アイテムボックス>はあくまでも現実の空間を変成するため、物質をいったん物理的に再編成した上で、空間の隙間に分散配置するという形を取る。だから、生きているものをそのまま入れることはできない。また、時間も環境もそのままだから、ナマモノを入れるのは危険だ。さらに、維持している間は魔術を常に行使している必要があるため、継続的に使用するには、魔力の安定制御が必須となり、一日中使い続けるのは難しい。なお、魔術が制御できなくなった場合、収納していた物が全てその場にぶちまけられることになる。
一方の<ストレージ>は全く異なる次元へつなげるため、物質はそのままだから、生きているものもそのまま収納できる。また、空間内の時間経過をかなり細かく調整することができ、時間を停止させることも、加速させることもできる。このため、食材を劣化させないまま保存させることもできれば、酒などの熟成を促成することも可能だ。さらに、接続時にわずかな霊力を使うだけで、維持には霊力が不要。しかも、<ストレージ>のスペースは霊術師本人だけでなく、他に霊術を行使できる者が居れば、アクセス権を付与して共有スペースを設けることもできる。
つまり、<ストレージ>は<アイテムボックス>の強力な上位互換機能を備えるといえる。しかし、もともと霊術師の絶対数が魔術師に比べてはるかに少ないこともあって、<ストレージ>自体がほとんど認知されておらず、このため魔法を使わずに<アイテムボックス>を発動させていると誤解される可能性もある。だからといって、便利なものを使わないのはもったいない。なのでわたしは、<アイテムボックス>の収納口をそのまま<ストレージ>の入口に接続して、外見は<アイテムボックス>に出し入れしているように見せかけつつ、<ストレージ>に出し入れするという技を使っている。この場合、<アイテムボックス>は入口部分だけ発動させていれば足りるので、<アイテムボックス>には入れられないものも自由に出し入れ可能だ。
もっとも、完全に手ぶらだと不審に思われるから、ダミー同然のバッグを持ってはいるけどね。
そんなこともあって、使役霊のフェリットが、ため息交じりにツッコミを入れてくるけど、疲れたものは疲れたのだ。
《だってさあ、生まれて初めて村を出て、知らない人ばかりに囲まれて、それで丸一日過ごしたんだよ? 体はともかく、神経は疲れたよ》
《わからんでもないけど、まだ最初の夜も迎えてないのに、疲れたってのが、気に掛かるよ。今はまだ、興奮の方が強いものじゃないの?》
《いやいやいや、こんな風に、何もかもに目を奪われて興奮したからこそ、疲れたんですよ。それで、宿屋の個室っていう場所でのんびりできて、こう、いろいろ開放的になって》
別に、これまでの生活が窮屈だったわけじゃない。ああしろこうしろと言われたことはないし、やりたいようにやってきて、それで喜んでもらって、ご飯を食べることができていた。
それ以上を求めるのは、不相応な業なのかもしれない。でも、それが叶うのなら、足を踏み出してみようとするのは、決して悪いことではないはずだ。
希望に満ちた第一歩が、まずは穏やかに踏み出せたという安心感。知らず知らずのうちに緊張していた反動が出るのは、当然だと思う。
そんなことを考えていると、いつしかうとうとしていたようで、気が付くと、窓の外はすでに暗くなっている。
部屋を出て階段を下りると、牛乳を煮込んだ香りが鼻をくすぐる。一回のロビースペースが、そのまま食堂になっていた。
席に着くと、わたしよりも二、三歳くらい年下の男の子が、料理を運んできてくれる。
「おねーさん、今日はオークシチューだぜ、うめえよ」
「……オークシチュー?」
ポークシチューならわかるが、オークシチューとはこれいかに。
「やだなあ、オーク肉をじっくり煮込んで作ったシチューだよ。豚よりも脂が少ないけど、その分うまみがあって、シチューにすると最高だよ」
「オークって、魔物のオークだよね? 食べられるの?」
「おねーさん、食べたことないの?」
驚かれてしまった。生まれてこの方、魔物なんか口にしたことなかったし、そもそも、食べられるかどうかさえ、意識したことはなかったなあ。
それはさておき、早速いただいてみるとしよう。冷めちゃったらおいしくなさそうだしね。
「……おいしい……」
「だろっ!」
ニヤッと男の子が笑う。オヤジのシチューは絶品なんだぜ、と言うけど、中に浮いているタマネギの溶け方を見ると、ちょっと強めの火力で、いささか力任せにかき混ぜた印象がある。村の外で食事をしたことがないから何とも言えないけれど、これなら、わたしが自分で作った方が、とも思う。もちろん、そんな野暮なことはおくびにも出さないけどね。
オークの肉は、スプーンでつつくと、意外にもほろっと簡単に崩れる。舌の上で転がすと、甘みは豚肉そのまま、舌触りは牛肉に近いけど少し筋っぽい。臭みはほとんど感じられないけれど、煮込んでしまえばそんなものはわかるはずもないか。
「魔物の肉っていうだけで警戒していたけど、けっこういけるのね」
そもそも、魔物と生物の違いって、明確に線引きできるものでもない。それなのに、タブーだの何だの知るかい、食欲は人間最強の生理的欲求だと言って、何でもかんでもガツガツ食べてきたわたしでさえ、何も考えずに食材としては頭から除外していた。わたしも偏見にとらわれていたのかもしれない。
この世界におけるエネルギーは、物理エネルギー、魔法エネルギー、霊法エネルギーの三種類に区分されているけれど、かつては、魔物が魔法エネルギーを基に活動していると考えられていた。そして、その魔法エネルギーを供給するのが魔人で、魔人に魔法エネルギーを供給するのが魔王。つまり、魔物の上には魔人が、魔人の上に魔王が居ると言われている。けれど、誰もそんなものを見たこともないし、傍証もない。そもそも、誰がそういうことを言い出したかさえ、わからない。いや、見たことがないというなら、神だってそうだけど、それでも神の存在を伝えた預言者は、生身の人間として実在している。でも、魔人だの魔王だのと言うのは、出所不明の伝承の域を出ない。
そういうしだいで、魔人とか魔王とかいうものは、すでに架空のものと片付けられているけれど、魔物が魔法エネルギーで動くというのは、今でもけっこう根強く信じられているらしい。邪悪な魔法使いを魔女と呼んで忌避するのも、この魔物との連関を想起させるからだろう。
ちなみに、霊術師については、うさんくさいと見られることはあっても、忌避されることはないらしい。邪を払うという、いわば掃除屋のような印象が強いからかもしれない。
そんなことを考えながらシチューを平らげると、おっちゃんがやってきた。
「おう、どうだい?」
「とてもおいしかったです。わたしの生まれ故郷では食べたことのない材料と味付けで。香辛料も随分しっかり使ってあって」
「ほう、わかるか。このあたりにはな、けっこう質のいいリーフが取れるんでな。そういうのを採取するのも、冒険者の仕事ってわけさ。それで、さっきの続きだが」
そして、冒険者、そして冒険者ギルドについて、いろいろ詳しく教えてくれた。なんでもこのおっちゃん、若い時には冒険者として活動していたけど、おかみさんと結婚したらさっさと引退したんだって。
興味深い話も聞けたので、礼を言って部屋に戻る。
「明日は、冒険者ギルド、か」
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