第二章 ヤーセミン、冒険者になる

2-1.町に着いたらまずはバイト探し

 いよいよ到着したのは、サブレネフという名前の町。わたしにとって、出身地であるハイリク村を出て、最初の場所になる。


 どんな人が、どんな風に生活しているのだろう。胸が高まる。この先、旅を続けていけば、“初めての場所”は何度も経験することになると思うけど、““最初の”初めての場所”だしね。


 町に入ろうとすると、門番に止められる。何でも、町民以外の者が町に入るには、入町税というのが必要なのだそうだ。これまで、生まれ故郷のハイリク村から一歩も外に出ていなかったわたしは、何も知らなかったので、驚く。それでも、門番のおじさんは特に高圧的な態度を取るわけでもなく、事務的に淡々と対応している。不審者とは思われていないようだ。


 「身分を証明する物を持っていれば銀貨一枚、そうでなければ銀貨三枚だ」


 支払うのに抵抗を感じる額じゃないけど、こういう支払いはなるたけ抑えたい。この町だけじゃなくて、他の町にも行くつもりだしね。でも、身分証明か、どうしたものか。


 そうだ、アレならどうだろ。


「これで、証明になりますかねえ」


「うん? ……ほ、ほう、これなら問題ない。通りなさい」


「いえ、お気になさらず、お勤めを全うしてくださいませ。主、賜えよ、汝に」


 わたしがアイテムボックスから出して示したのは、オラリという、真正教古典派で使う帯。ここに入っている銀色のラインは、保有者が輔祭の地位にあることを示す。それを片づけながら、おじさんの前で指を三本掲げてから、十字を切る。主への祈りを相手と共に捧げるポーズ。


 そう、わたしは実は、教会に籍を置く聖職者なのだ。信徒なのかさえ定かではないんだけど。


 どうしてなのかと言われても、わたしもよくわからん。小さい頃から古典派の教会に出入りしていて、そこで執り行われる儀式を見ては、その由来を調べたりしているうちに、方法や手順をすぐに覚えてしまって、その意味を信徒のみなさんに説明していた様子が見た司祭様にいたく気に入られてしまって。そのあたりだったと思う。


 真正教古典派における聖職者の神品(位階)は、主教、司祭、輔祭となっていて、司祭に叙聖されるには輔祭であること、主教に叙聖されるには主教であることが条件なので、単純化すると、輔祭、司祭、主教の順に任が重くなるといえる。ただし、女性が司祭に叙聖された前例は皆無だし、司祭以上になると専従でのお勤めが事実上強制されて在俗での活動ができない。だから、わたしが司祭になることはないし(前例がないだけで否定されているわけでもないらしいけど)、なるつもりもない。


 そっだ、思い出した。古典語を勉強していたとき、古典派教会の儀式に関するテキストが古典ゴリーギル語で書かれているのをたまたま見つけて、教科書にぴったりだからと読み込んでいるうちに、儀式が面白く見えてきたんだった。


 そもそもわたし自身、一応聖職者としての身分を持っているとはいえ、日頃の行いを省みると、信徒としてとても褒められた状態ではない。それでも、主要な儀礼が執り行われるときには必ず立ち会っていたし、教典の朗読もするし、香炉も振るし、ロウソクも持つし、まあ、何でも屋としてちゃんと仕事してたよ。有資格者のバイトとも言うけど。


 もっとも、朝には教会で儀式に立ち会って、昼前には真一教の礼拝所で礼拝呼びかけの声を上げていて、それを村人みんなが知っていた。いいじゃん、唯一絶対の神に祈りを捧げる点じゃ、何の違いもないんだし、って。いい加減なことこの上ない。


 そうすると、ひとまず教会に行ってお手伝いというのが、正しい方法なんだろうけど、それはやめよう。教会で身分を明かすと、ここで根を下ろすことになるし。もうちょっとあちこち行ってみたいし、動きにくい立場は避けたい。真一教系ならともかく、真正教の聖職者は、本来、フラフラ気ままな旅をしたりしないからね。お偉いさんなら巡行する口実も作れるだろうけど、機密(儀式のことを教会ではこう言う)さえ行う権限のないペーペーだし、下働きを続けるつもりはない。


 でも、根を下ろすのが嫌だからといって、すぐに次の町へ移動するのも、なんかもったいない。少なくとも一週間ぐらいは滞在したいな。何もかもが、ハイリク村と違うんだから、できる限りのものを吸収したいし。


 そうなると、先立つものを確保しておきたい。ひとまず、真一教の礼拝所に挨拶に行って、清掃なんかの雑用で小金をもらって食いつなぐのが現実的なんだろう。真一教は、教理を学ぶ者は旅をするべしって考えが強くて、旅人を支援することも多いから。だけど。


「礼拝所、どこにもないな……」


 どうやら、この町には真一教の信徒があまりおらず、需要がないということのようだ。真一教では、礼拝自体は必須の信仰行為だけど、礼拝所での礼拝はマストではなく、ベターとされているだけだし、極端にいえば清潔な布があれば、それを平らな場所に敷いて、そこで礼拝するだけでも構わないし。一目で真一教信徒とわかる格好の商人もいるから、聞けばわかるだろうけど、その程度の情報のために、あまり多くもない手持ちの金を使いたくはない。


 商店やら工房やらもけっこうあるけど、組合のようなものはなさそうだし、求職者向けの掲示も見当たらない。もっとも、文字が読める求職者って、かなり限定されるのかもしれない。


 まあ、日も傾いてきたし、今日は素直に宿に泊まるとしますか。


 目に止まった宿屋は、二軒。


「ふむ、こちらの方が、霊的にはより安定しているのね」


 霊的に安定している、つまり霊の動きが落ち着いていれば、外部から不意の攻撃を受ける可能性は低い。霊的に安定した空間は、攻撃したいという意欲を削ぐ効果がある。これは、必ずしも邪霊のような存在に限らず、魔物でも、動物でも、さらには人間でも。だから、重要度の高い空間は、霊的に安定した用途に割り当てられるのが合理的だ。


 ただし、合理的、というのがミソ。例えば、城郭の防衛施設や兵器庫などは、霊的に安定した空間が望ましいのはいうまでもない。でも、そういう場所は、いざという時にすぐ使えるようにしておけば十分で、平時は物置同然になっていることが多いし、それが当然。その結果、霊的に安定させるというための維持がおろそかになりがちという。さらに、町レベルならまだしも、都市とか国とかになると、権力抗争なども発生して邪念も大きくなるから、霊的には非常に不安定になる。その結果、政治や軍事の心臓部が、霊的には一番不安定ということも珍しくないという。


 領主お抱えの霊術師というのは、だいたいそういう維持を担っているらしい。らしい、というのは、そういう人は持ち場から動けないし、その手の情報も又聞きにならざるを得ないから。


 それはともかく、宿屋のようにリラックスしたい場所なら、霊的に安定している方がいいに決まっている。劇場や遊技場のような場所なら、霊的に活発なところの方がいいんだけどね。


 建物はかなり古いけれど、清掃も行き届いているようだ。ドアを押し開けて中に入ると、正面にカウンターがあって、恰幅のいいおっちゃんが、何か作業をしている。


「ごめんください、一人なんですけど、部屋ありますか?」


「ああ、空いてるよ。素泊まりで銀貨二枚、鍵付きなら銀貨一枚追加。夕食は大銅貨六枚、朝食は大銅貨四枚。自炊するなら、薪代が大銅貨二枚。風呂はなし、湯を使うならタライに入れて大銅貨三枚。基本的に前金払い、必要なら都度払い、初めてならツケは不可。それでいいかい」


「それじゃ、二食付き、お風呂は結構です」


「あいよ。階段を上がって三番目の部屋だ、これが鍵。夕食は六つの鐘が鳴ってからだ。何か質問とかあるかい」


 口下手そうで、態度はつっけんどんだけど、仕事はキッチリするという、職人肌みたいな感じのおっちゃんだね。親切そうだし、明朗会計なのもポイント高い。


 生活魔法の<清浄>で清潔は維持できるし、水魔法と火魔法を組み合わせればぬるま湯くらいすぐに作れるから、お湯にお金を払う必要はない。湯船にゆったり浸かるとなれば、それはとても魅力的だけど、お風呂がないなら仕方がない。


「えっとですね、この町で短い間お仕事をしたいのですが、どこか職業紹介所みたいなところってありますかね」


「あー、この町で仕事、なあ。それほど大したものはないと思うぜ。一応、口入れ屋もあるにゃあるが、あそこだけは行っちゃいけねえ」


 どうやら、ろくでもない仕事を押し付けるタイプみたいだね。


「嬢ちゃん、力仕事とか、でっかい魔法とか、できるか?」


「あー、体力あまりないですし、生活魔法だけなんですよ。あ、でも、手先は器用ですし、料理とかも」


「うーん……修行するつもりじゃねえんだろ? それなら……」


 手に職を付けようとすれば、親方に弟子入りして修行するという形になるらしい。


「冒険者ギルドで相談してみるのがいいかもしれねえな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る