昼下がりの死神
新井葛
第1話
東條は早く帰りたいと思っていた、彼は高校が終わり一駅先の自宅に帰るところだった。
普段と何ら変わらない帰り道だが、夏の訪れを感じさせるには如何にも勢いが良すぎた。尋常ならざる強い陽の光と湿った初夏の熱気が疲れた彼女の額を仰いでいった。
「まだ七月中旬だというのにこの暑さはどうしたものだろう、やむを得ん、そこの喫茶店で涼んでいこう。」
東條は喫茶店に入り、冷房の効いた窓側の席に座った。
「ああ、生き返るようだ、折角だからアイスクリームでも食べていこうかな」
東條はバニラアイスを注文し、心地よい冷房の空気に身を委ね、ついうたた寝をしてしまった、その時だった。
「もし…」
気がつくと目の前の席に男が座っていた。
「や、なんですあなたは、席なら他のところが空いてるでしょう。」
特徴のない顔立ちで歳は二十代前半くらい、痩身で、この暑い中真っ黒なスーツを着た男だった。
「いきなりどうもすみません、俺はこちらの世界で言うとこの死神というやつなんですけども…」
急な出来事に東條は一瞬固まってしまったが、冷静になって言った。
「おかしな事を言う、暑さにやられてしまったんじゃあないですか、少し頭を冷やしたほうがいい。」
東條はウエイトレスを呼び、水を一杯、目の前の男に持ってくるよう伝えた。だが、様子がおかしかった。
「お客様、一体どなたの事をお話しなさってるんでしょう?」
「何ですって…」
東條は軽い悲鳴をあげた、見えていないのだ、自分以外にこの男の存在が。
「まあ落ち着いて、俺と話をしましょうよ」
男は慣れた口調で、退屈そうに言った。
「俺は死神です、俺の仕事は死が近い人間の元に現れて、確実に魂をあの世に案内する事、あなたは今からきっかり三十分後に電車に轢かれて、死にます。」
東條はあまりの出来事に呆然としていた、全身の力が抜けていくのを感じ、やがて泣き出しそうになりながら声を絞り出した。
「信じられるわけないじゃないか、第一何故今現れるんだ知らなければ良かったものを。いくら何でもあんまりだ。」
運ばれてきたアイスクリームを見下ろしながら、死神が言う。
「要件はもう一つ、あんたがこの世に未練を残さないよう一つ願いを叶えて差し上げます。どうです、やり残したことくらいあるでしょ、あ、これ食べてもいいですか?」
アイスクリームを頬張るこの死神を目の前に、東條はもはや泣き出していた。
「どうかお願いです。私はまだ死にたくない、何とか助けてください。」
「みなさんそう仰りますがね、そればかりはだめです、俺も仕事なんでね。」
東條は未来を見据えるのを諦めたように心底絶望していた。何を言っても自分の未来は変わらないのだろうという確信があった。
「ああえらいことになってしまった、どうしたものだろう、何もかもおしまいだ。こんな事なら自分の未来など知りたくなかった、ならばせめてあなたに出会ってからの記憶を消してくれ、それが私の、願いだ。」
死神は、満足そうにスプーンを置いた。
「いいでしょう、むこう十分間のあんたの記憶を消し、私の事も認識できなくなります。それでは、良い余生を。」
死神は消えた。いや、見えなくなっただけで実際は判らないのだ。
東條は、深く眠りかけた時のようになんとも言えない気分で首を傾げていた。
「何だか悪い夢を見ていたような気がするが。しまった、もうこんな時間じゃないか、早く帰らなければ。」
食べた覚えのないアイスクリームの代金を支払い、喫茶店を飛び出した、不愉快な熱気が身体を包んだが、構わず東條は駅の方へと急いで足を進めた。
昼下がりの死神 新井葛 @Katsura_1231
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます