第2章 #4-1 長禅寺会談
#4-1 甲斐国 大井郷 長禅寺 大永元年十一月二十八日 1521.11.28 side遊行上人不外
長禅師は室町幕府開府の足利尊氏公が師事した夢窓疎石の開山であり、その御手植えと伝わるビャクシンが寺院に聳えている。甲斐は夢想疎石の幼少を過ごした地であり、また甲斐源氏発祥の地である、市川郷の平塩寺に入門し仏門に入った経緯もあり、多くの疎石開山の寺や庭が甲斐には伝わっている。
目の前のにこやかな僧に案内されて、供の武田の兵と共に本殿に進む。
幕が張られ、上座に和尚様が座られている。禅宗では方丈様であろうか。まあどちらでもかまわぬ。目が合う
「これは、不外上人様。遠路はるばるありがたい事です。本日はよろしくお願いいたします。」
この若い僧が、
「初にお目にかかります。岐秀殿のお噂は色々と聞き及んでございます。わたくしもかねがねお会いしとうございましたよ。」
「上人様にそのようにお言葉頂けるとはありがとうございます。本日は武田と今川のこれからの為にも是非ともお力添えの程よろしくお願いいたします。ではこちらの席にどうぞ。」
岐秀殿は、向かって右に居並ぶ今川方の武将の反対側に、武田の武将を案内し、
私を中央の席に誘導すると岐秀殿も私の後ろに座る。あくまで中立であり、武田方ではないという意思表示であるか?
「さて、皆様お揃いになったところで、ご紹介いたしましょう。わたくしは、ここ長禅寺方丈、岐秀元伯と申します。此度は、武田左京大夫(信虎)様からのご依頼で、このような席を設けさせて頂きました。
「さすれば、わたくしから。他阿弥陀仏不外にございます。今川の皆様を駿河に円滑にお帰り頂けるよう尽力いたしますのでよろしくお願いいたします。」
少し今川寄りの発言やもしれぬが、この状況では仕方あるまい。
「では、武田方の使者をご紹介いたしましょう。」
岐秀殿が声をかける
「飯富兵部少輔虎昌にござる。」
「板垣右兵衛尉信泰と申す。」
「大井上野介信常でございます。」
武田方は3名か
「松井山城守貞宗と申します。」
「三浦上野介氏員が郎党井出正高です。」
「葛山氏広が郎党町田郷左衛門にございます。」
武将として対応できるのは松井殿のみか?
福島殿の郎党で生き残った者はおらんのか?
「松井山城守殿、少々お尋ねしたいが、今回の軍、福島一族が主となり、動いていたと聞く。ここにおるものは、いずれも福島殿の一族郎党のものでは無い様であるが。」
福島殿の郎党が残っていないのか確認することにする。
「恥ずかしながら、不外様。福島衆は戦の時には全て本陣に固まっており、みな討死なさったと見え、この城には一人として戻られておりませぬ。私も福島殿の所領と接しているとはいえ、福島殿の寄騎ではなく。どちらかといえば三浦様に頼まれて此度の軍に加わった者ゆえ、詳しい事は分からぬのです。逆に福島殿の意向より離れていたがために、先の合戦でも独立して動けたのでこの場にたどり着くことが出来た次第。武田衆に相対するには役不足は承知ではあるが、此度の合戦で、本陣の主だったものが皆討ち取られている故ご勘弁下され。」
ううむ、仕方ないとはいえ、交渉になるかのう?
「井出殿?」
そこに岐秀殿が声をかける。
「先ほど山城守殿が、三浦殿の要請で出陣を決めたとある。三浦殿といえば、今川でも譜代の家老衆であろう。三浦上野介殿も此度の合戦に参加されたのか?」
「いえ、今回は福島勢が中心という事で、三浦衆からは寄騎のものが出ております。」
「ふむ。」
岐秀殿が少し考え込み
「では、町田殿も同じく、葛山殿は出陣されてはいないと。」
「はい、葛山も同じく寄騎が荷駄として合力しており、それで私も富田城に詰めておりました。」
「ふむ。」
岐秀殿がさらに考え込み
「まあいいでしょう。では武田方よりどうぞ。」
岐秀殿は続けて武田の武将に話を振った。
「では某より」
信虎公譜代家老の板垣殿が口火を切る。
「先日二十三日に行われた上条河原の合戦において、今川軍大将福島殿を初めとした本陣の武将の首級を上げ、貴軍は指揮を失い敗走し、当武田軍は将兵の武装解除を条件に、富田城への移動を許可したというのが現在の状況であるのだがよろしいか。」
「いかにも、武田方の武将の温情傷み入る。されど、今川陣中に持ち込んだ荷駄については、今川のものであり、今後駿河に撤兵するにあたり、その分は返還をお願いしたいのだが。」
厚かましくも松井殿が、荷駄の返還を求めたか。なかなか豪の者ではないか。
「何をふざけたことを、甲斐に侵入し略奪を働きながら、敗北により置き去りにした荷駄を返せとは」
飯富殿が食ってかかるが
「飯富兵部殿、落ち着かれよ、貴殿の言葉最もではあるが、松井殿も今川兵4千の命を預かっておる。全て首こうべを垂れて従うだけでは交渉役は務まらぬ。」
板垣殿が、飯富殿の言葉をたしなめる。
「しかし言いようがあろう。」
飯富殿も憤慨しているように見えるが、そう強い表情ではない。
「まあ落ち着かれよ。」
仕方なし、とりなすしかあるまい。
「厚顔無恥は承知の上で、お願い仕る。我が首と引き換えに、残った今川が駿河へ撤兵するまでの糧食分だけでもお返し寝返れば。」
松井殿は恥も外聞もなく本筋に攻め込んできなすったな。これはいい武将が残ったやも知れぬ。
「心得違いをなさるな、我ら武田の衆は、今回いきなり今川衆の大軍に攻め込まれ、国中の田畠は荒らされ、百姓達もいまだに自分の村にも戻れぬ有様。残りの今川兵悉く武田で確保し、そのまま人買いに渡すが武田にとって一番の利となるぞ。」
松井殿も分かっているのであろう。ぐっと口元を引き絞り。板垣殿の言葉に耐えている。
「松井殿、富田がこのまま武田に抗うことなく開城すれば、明日より甲斐の国衆に向け、戦の終わりを宣言すると共に、国衆からの兵糧の売買を解禁するつもりじゃ。
今川とは休戦となり。わしらもそちらの兵を虜囚するつもりはないゆえ、安心されよ。
また兵糧については、本日より10日までは1升150文に値下げし、その価格での取引を認める。次に10日以降、市を開き、売買の相場は1升150文にするが、その日より値は相場によって変わるゆえ、まずは国衆から兵糧を買い付けるが良い。」
板垣殿は武田の意向を次々と説明する。
「そ、そんな銭など城には残っておらぬこと承知であろう。」
「兵たちは銭を貯えておろう。まずは各自で用意させよ。松井殿も御身の首を懸けた願いは天晴であるが、あいにく首に不自由はしておらん。討たれた武将たちの首について、駿河に戻してほしくば、今川殿と賠償額を詰めてこちらの不外殿を通じて交渉せよ。そちらから使者を選び、不外殿と共に駿河まで戻られるとよいわ。如何かな?」
板垣殿も厳しいのう。しかし攻めたのは今川、信虎公とは思えぬほどの温い仕置きではないか?何か裏があるのか
「さて、付かぬことを聞くが、四年前に今川がここ甲斐に侵攻した戦において、八田牧の牧屋衆を襲った今川の部隊がどこの者であったか知らぬか?」
飯富殿が急に話を振ってきた。確かこの富田の戦で、飯富殿の父上は命を落としたのであったかな。
「前の戦でございますか?さあ?」
松井殿としても急な話、わしも何のことやら分からぬ。
「この情報を知らせてくれれば、お屋形様は米百俵を戻すと言っている。」
飯富殿、それはそんなにも大切な情報なのですか?私も初耳なのだが?
「こ、米百俵ですと・・・。わ、わかりました、先の戦に関わったものがいないかすぐに調べさせてください。」
松井殿が引きつった顔で承諾しておるな。
「あと、この富田の城の周囲は、大井殿の部隊が警備を行う故、くれぐれも地元の民に狼藉など働かぬように周知頂けるようお願いいたす。」
「よろしくお願いいたします。」
大井殿が頭を下げる。若いがしっかりしておるな。
「今川方より何かございますか。」
岐秀殿が言葉をつなぐ
「あ、あの福島殿の身柄については如何致しますか。」
松井殿としても心配であろう
「それについては駿河に使者を出した際に、氏親殿の裁可を仰ぐがよかろう、相応の礼を持ってお渡しできるように致す。」
「ではわれらは退出する故、不外殿と使者の件相談されよ。」
こうして、武田方の使者は退出した。
ふうっ。
「さて岐秀殿、富田の城に残った今川の兵全てを駿河に連れ帰りたいと思うのだか、武田方はそのまま路を通して頂けるのかな。」
「これだけ甲斐をかき回して、そのまま帰れるとは思われませぬよな。」
「確かに、しかし兵糧が続かねば今川も大人しく籠城も出来ぬ。」
「だから武田はまず米は値を下げて売ると仰っております。また狼藉をはたらいたものは、遠慮なく武田の虜囚として引っ立てると。」
「武田としてはその方が都合がよかろう。」
「ですから、なるたけ早く今川の殿様より善き返事を望んでおられるのでしょう。」
「如何程かな。」
「此度の戦、守った兵には土地で遇することは出来ませぬゆえ、銭で報いる他にありますまいな。まあ一人5貫として、4千人で2万貫(約20億)あたりが落としどころでしょうかな?」
2満貫という金額を聞いて、今川方の武将が震えあがっておるな。
「岐秀殿もあまり脅しなさるな。まあ確かに捕虜なら一人最低2貫としても8千貫は用意せねば、今川へは戻れまいな。逆にそれでよければ今いる兵全員分武田に兵糧を確保してもらう事も可能ではないかな。」
松井殿を向いて、武田方に全面降伏することも匂わせる。実際それが一番早いのだが、果たして今川殿が幾らで買い戻してもらえるか、実際岐秀殿の金額も無茶な額ではないのだ、1万の軍勢で攻めてきたのだから一人頭2貫の賠償として丁度2万貫か
「それに1升150文の相場として4千人を食わせるにはこれから1日120貫は必要になりまする。さて。その手当は如何いたしますか?松井様の担保で国衆が貸していただけるなら良いのですが。」
「一月食わせるだけで4千貫じゃぞ、そんな法外な兵糧代など出せる訳が無かろう。」
松井殿が首を振るが、まあぬるいのう、このまま城を囲まれて10日もすればそんなことは言えなくなるというに。
「申し訳ないが、松井殿、武田の衆は、来月の10日までは1升150文に値を押さえると約束していただきましたが、物が足りなくなれば値は上がります。まずは駿河に使者を出し、兵糧を甲斐に運んでいただくが大事、駿河より兵糧が届くまでの日数をどの程度と考えるかで、それまでの兵糧は何としてもここで確保せざるを得ません。一日の食を1合に制限したとしても10日で600貫は必要にございます。まずはそれだけの金子がご用意できますか?」
なるたけ声を押さえて今川の将兵に現状を理解してもらわねばなるまい。
今川は敗け、武田に生かされておるのだ。
「町田様、もし可能なら葛山様にご連絡いただき、10石分の米を急ぎ運んでいただけないでしょうか、駿河の殿様と話を詰めていてはすぐに10日など経ってしまいます。」
まずは兵糧をなんとかせねばな
「たしかに、その通りじゃ、では不外様と共に行く使者の中に私も加えて下され。」
「よろしくお願いいたします。」
こうして、私と共に駿河へ交渉に向かう人員の選定を進めていくのだった。
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