第2章 #5-1 今川出兵の謎を考えてみた
#5-1 甲斐国 府中 躑躅が崎館 大永元年十一月二十七日
1521.11.27 side大井夫人椿
昨日の長禅寺での会談の内容が躑躅が崎に届いた。
まあ、今川としては私たちの言う事をそのまま聞くしかない訳だし、問題など今更起こるわけはないのだけれどね。
ただ飯富殿が届けてくれた岐秀様からの書状がとても気になるの。
「此度の戦、福島殿単独にて討ち入るには大軍に付き、背後に伊勢殿の影あり。」
こんな風に書かれた書状なんだけれどね。
伊勢殿かあっ・・・。
今の駿河今川当主氏親の母様の弟君にあたるのが伊勢宗瑞。
2年前に韮山で没し、今は息子の伊勢氏綱殿が家督を譲られていたはず。
伊勢殿は5年前にも甲斐郡内地方の小山田衆に侵攻しているんだよね。
今回の戦でもそちらからの侵攻もあるのではと警戒したんだけど、結局郡内方面からの伊勢衆の動きは無かったのよね。
うーんでも何かもやもやする。
「萩原常陸介を呼んで頂戴。」
何を見落としているのだろう?
この戦は穴山信友殿が人質としてあった駿河から戻り武田に寝返った報復としての侵攻だと思っていたのだけれど、そうではなかったという事かしら?
「おう、何を難しい顔してんだ?」
虎ちゃんが入ってきた。
もう、呼んだのは常陸介だったはずなのに、まあ虎ちゃんがいて困るわけではないけどね。
昨夜はきちんとお相手してあげたのに、まだ足りなかったのかしら。
「おいおい、別に昼間からイチャイチャしたいわけじゃ、まあしたいけど、ええと今川との話し合いが終わったと聞いたので、常陸介と次の動きを話していたら呼ばれたようなんでこっちに来てみたんだが・・・。」
あら、後ろに常陸介様も、まあ入ってもらいましょ。
「虎ちゃんもどうぞこちらへ、常陸介、岐秀様からの書状は見た?」
「はい、伊勢殿の動きに注意するようにという事ですが。あと、今回富田城に残った今川方の武将の出自も気になると。」
「今回立ち合った武将達ね、誰が来たのかしら?」
「富田の城で今川軍をまとめているのが松井山城守貞宗様、こちらの方は遠江国堤城
を任されており、今回は今川重臣三浦氏の寄騎として参戦、左翼の将として詰めていたようです。合戦では挟撃の愚を避けるために本陣壊滅の報を聞くや、部隊をまとめ富田城に撤退行動をすぐに取った唯一の部隊となります。」
すらすらと萩原常陸介は答える。
「へえ、今までの今川の動きを考えるに優秀じゃない。でも福島衆の寄騎ではないのね。」
「はい三浦上野介氏員よりの出陣要請に応えたようですが、今回の出陣に三浦殿は出陣しておらず、郎党の井出殿が今回も顔を出しておりました。」
「福島衆と三浦衆は仲が良かったかしら?」
「いえ、あくまで三浦氏は氏親殿の譜代家臣という位置付けですから、決して福島殿の配下として動くことはないかと。」
「それで三浦としては、自分の家臣を戦にだして、武将としては寄騎の松井殿を大将という形で出させたのかしら?でも妙よね。」
「まあ、今川の殿さまからの指示であれば、福島殿の配下に入るもやむなしとは思われますが、いずれにせよこの戦、福島殿が全ての采配を奮って出陣したわけではなく、氏親殿の意向で進軍したは間違いないかと」
「氏親殿は病が重いとか?」
「まあ、病気がちであるとは聞いておりますが、それほど重いとは聞いておりませんが?」
「嫡男もいたわよね?」
「まだ齢10にございますれば、初陣にはいささか早いかと。」
「では重臣たる福島氏が大将となっても不思議はないか。でも1万は大軍よね?福島衆だけでそんなに揃えられるわけないじゃない。」
「宜しいかな。」
声がかかる、この声は確か・・・
「おう、不外殿ではないかご苦労であった。」
虎ちゃんが、不外殿を自分の隣に招く。
「私も気になっていたのですが、お耳に入れておきたいことがございます。」
不外殿が口を挟んできた。
「どうした急に。」
虎ちゃんが不外殿に声をかけた。
「この戦、もしや一蓮寺の阿弥陀仏が発端ではないかと。」
「阿弥陀仏?」
「はい、昨年駿河の長善寺より、一条の甲斐国の時衆道場である一蓮寺に遊行寺本尊の阿弥陀仏を移させていただいたのはご存じかと思いますが。」
相模国の時衆総本山である遊行寺は伊勢氏綱を中心とした伊勢衆による戦火で寺域が焼かれ、今は見る影もなくなっていた。
戦火を逃れた本尊は当時の上人の手により駿府の時衆道場であった長善寺に移されていた。
駿河に避難していたその本尊仏である阿弥陀仏を不外上人は、昨年甲斐の一蓮寺に移していたのだ。
「そういえば何故本尊を一蓮寺に移されたのであったのかな?」
虎ちゃんが不思議そうに不外殿に尋ねる。
「私どもはかねてより、遊行寺の寺領を復活するようにお願いしておりましたが、まったく聞き入れられず、逆に寺の本尊を、遊行寺の寺領を配する玉縄城主に差し出すよう話があったのでございます。」
「それが何で甲斐に移す話になるのじゃ?」
「玉縄の城主は伊勢氏時様、つまり伊勢宗瑞様のご子息、今の領主氏綱様の弟君にございます。」
「先ほど亡くなった伊勢宗瑞は氏親の家臣であろうが。」
虎ちゃんは家臣の分際で何の話かと疑問に思ったようね?
「形の上では家臣でありますが、今川氏親様が今川の家督を継ぐにあたり伊勢宗瑞様はかなり助力した経緯がございます。氏親様の母上の兄君ですから、氏親様としても常に最も頼りにしている親族衆にございます。氏親様とさらに母親の北川殿は、伊勢宗瑞殿の頼みを断ることなど考えられますまい。」
萩原常陸介、さすがの博識ね。
「さらに、宗瑞殿は5年前に、娘を三浦上野介に、三男氏広を葛山氏に養子に出しております。」
今回の今川方に出てきた家がわんさか出てきたわね。
これは岐秀様が出席した武将の出自に注目するわけよね。
「今回福島殿には、わが不肖の弟子である叟順が陣僧として従っておりました。叟順は福島殿の菩提寺である長善寺の僧、なにやら話が繋がりませぬか。」
不外殿が息を吐き出すように言葉を紡ぐ。
「長善寺に本尊をそのままにしては、遠からず伊勢殿の元に奪われてしまいましょう。それを畏れ私はこの甲斐に阿弥陀仏を移させていただいた次第。しかしまさか本気でそれを奪いに来るとは思わず。」
「つまり今回の戦は、福島殿の菩提寺から奪われた時宗の本尊を、甲斐侵攻の名の元、ドサクサにまぎれ本尊を奪い去り、駿河に戻すための戦いであると。」
虎ちゃんがまとめてくれたけど、その線は濃いかもね。
「その為に1万人も兵を立てるのか?」
虎ちゃんが疑問に思うけど確かにそうね
「このたびの戦に駆り出された兵達の出身をもう一度確認した方がいいかもね。」
私は思いついたことを口にする。
「どういうことだ?」
虎ちゃんが疑問を挟む。
「伊勢殿の領地は駿河の東と伊豆、そして、姉上である北川殿の直轄地も富士の南麓に点在しているはず。さらにそのすぐ隣が葛山殿の領地となっていて全て駿河より東側なの。」
「それがどうした、」
虎ちゃんはさっぱりわからないという顔
「伊勢殿は、今まで今川の臣下として、駿河の西、遠江と三河で指揮を取り戦っていたが、今では相模に戦いの軸を移し、今川の臣下というより独立した領主のように振舞っておりました。とはいえ、ここ数年今川は三河で戦続きであり、伊勢殿はじめ駿河の東国衆はこぞって西に駆りだされておったはずです。」
そうね、常陸介に言われてみれば確かにその通りだわ。ハッキリしてきた。
「もし、残っている足軽の出身が駿府より東の出身が多ければ、それは全て伊勢殿の息がかかった兵という事ね。もともと西の三河の戦場から東の自分たちの領地に戻るはずだった兵を、そのまま糧食を出させて、連れてきたと考えられないかしら。」
「確かに戦働きでは銭が出るが、自領に戻るはみな自前であろうから、帰り道まで今川家より銭と食事を確保できるなら甲斐への戦に参加せねば損だな。」
「虎ちゃんは、甲斐をまだまだ掌握していないと思われているから、大軍で脅して、ゆっくりと居座り、甲斐の米を略奪しながら虎ちゃんを脅して、福島殿は時衆の本尊を戻して伊勢衆に高く売りつけ、伊勢衆は西部戦線から食事付きで自領に戻りつつ、甲斐の富も略奪出来るというわけね。」
「うまく行ったら、そのまま相模から伊勢殿の軍が甲斐に雪崩れ込み、失敗しても知らぬ存ぜぬで全てを福島衆の失策として押し付けるか、さすが伊勢氏綱、智将の伊勢宗瑞の嫡子であることよ。」
「じゃあこの戦、今川氏親が望んだ訳ではないと。」
虎ちゃんが驚いたように叫ぶ
「もしかするとよ、下手すると氏親は残った将兵に賠償金も出さないこともあるかももね。」
「その場合は北山殿を通じて伊勢衆と葛山衆が賠償金を肩代わりするであろう。」
さすがに不外様も、そこまで今川家が薄情ではないと口をはさんできた。
「何だか、城をまとめている松井殿が一番可哀想な気がしてきたわ。」
「まあ、良いではないですか。銭をふんだくる相手が、今川殿から伊勢殿に変わったと思えばよい。駿府より東の兵の賠償の相場をちょっとだけ上げて交渉しましょうか。」
「私が本尊を移したばかりにこのようなことになってしまい申し訳ない。」
不外様が本当に小さくなっている。
「何を申します。不外様の機転が無ければ、時衆の僧たちは伊勢殿の言いなりに動く陣僧衆と化してしまっていたやもしれませぬ。まことにありがとうございます。一蓮寺の阿弥陀仏は決して伊勢殿の手には渡しませぬ。」
こうして、ひょんなことから、武田と、時衆の僧たちとの間に強い繋がりが出来たのであった。
マザー信玄 圷 温(あくつ おん) @axon
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