第2章 #2-1 泣く子と武田には勝てぬ

#2-1 甲斐国 巨麻郡 上条河原 今川本陣 大永元年十一月二十三日 1521.11.23 side原美濃守虎胤 


日は、櫛型山の山麓に落ちようという頃であろうか、夕日が真っ赤に染まっているが、太陽を背に走る我らにとってはその道を明るく照らす道しるべのような光である。


大井の里から富士川の西流路を越え、そのまま東へ真っ直ぐ進むと、萩原殿に言われた通り。本陣の周りは騒然と、烏合の衆のようにうろうろとした一団と、さらに足軽も弓持たぬ騎馬だけの群れが三〇〇程、南に逃れようとしていた。


「遅いわ!」

鞭をあて、原隊の騎馬はそのまま先頭を駆ける。


「皆の者、あい済まぬが、我が隊が先駆け御免!」

一応他の武将たちに言葉を入れると、先頭の騎馬武者に向けて走り出す。


「やあ、我こそは、武田の虎の守り、原美濃守虎胤なり!腕に覚えの者よ、手合わせ願おう。」

某の口上に、たれも振り向かず尻をまくって馬と逃げ出す。

ああ、今川の武者も往生際が悪い。


「ははは、鬼美濃の勢いに臆したようじゃのう。仕方あるまい、馬の先は我がおさえようぞ。」

口上をあげている隙をついて、甘利殿が供を連れて先頭の馬列を追いかける。


うぬぬ。馬の扱いでは甘利殿には敵わぬか。


甘利殿の騎馬が今川の騎馬を追い越し、路の先を抑える。


「我こそは、小畠山城守、武者の背に矢を射るは忍びない。

いざ、尋常に勝負せよ!」

小畠殿の口上に、一人の武者が向きを変え突っ込んできた。


「さすが今川の兵、海道一の胆力しかと見届けいたす。いざ参る。」

言いうが早いか、小畠殿は、手綱をしっかり握りしめ向かってきた馬上の武者に正面から駆け寄る。


馬同士のすれ違いざまに、武者の肩をむんずと掴みながら組打ち、つり合いを崩した武者共々落馬する。


うまく体重を相手に乗せ、転がるように落ちたらしく、きちんと受け身を取れたようだ。


すぐに相手を組み敷く。


「敵ながら天晴なり、しかし戦場の習い、観念せい。」

大音量の小畠殿


「ええい、我は今川が家臣!福島道宗なり。虜囚の辱めは受けぬ。我が首を上げ、信虎に己の功を示すがよいわ!」

これは大物ではないか


逃げまどっていた今川の騎馬武者たちも、この声には観念して、刀を抜いて立ち向かう馬列も現れ、周囲は混戦の様相を呈してきた。


日は沈み、暗くなるにつれ、今川の前線でも後ろから急襲を受けたことを知り大混乱を引き起こしている。


戻って本陣を援護しようにも、騎馬が入り乱れ、灯りも少ない中では迂闊に弓を射ることもままならない。


某たちは何頭もの騎馬に守られ必死に逃げまどう旗印の塊を見つけ、その1団に槍をかまえて突っ込む。


「やあ、名のある武者と見る。いざ尋常に勝負!」


必死に守る馬列を供の者に任せ、我先に逃げ出そうとする馬の尻に向け槍を突く!


「ひひっっんんんん・・・。」

びっくりした馬はその場で立ち上がり、武者を振り落とす。


その期を逃さず。某も馬を飛び降りると、武者の鎧を取り押さえ、小刀で腰を突く!


「うぎゃああああああああああ。」

何を情けない声を、まあ痛いわな。

苦しませることはないか

暴れる武者を力任せに抑え込み、首筋に刃物を差し込む。


「うぐっ。」

無念そうにこと切れた武者の装束に、かなりの大物をやれたかと安堵。


「今川の者よ聞けい!武田の手により本陣の者はみな討ち取った!」

この声は金丸殿だな、相変わらずの大声よ!


呼応して皆で勝どきをあげる!


「今川の者は武器を捨てよ。立ち向かうものは容赦せぬ。生きて駿河の土地を不みたい者は大人しゅう降参せよ!」

すぐに槍を片手にこれは飯富殿の対であろう、立ち止まり顔を見合わせる足軽に、手持ちの武器を落とすように指示して、首を西に向ける。


見逃してもらえると分かった兵は、我先に西に向けて走りだす。


その姿を周りも確認するや、雪崩れ込むように大軍は、武田の騎馬武者に目もくれず逃げ出した。


この上条河原の戦いでの戦死者の数は分かっていない。

逃げ遅れて味方に踏みつぶされたものや、暗がりで同士打ちしたものもあったが、一番大きな被害は本陣で福島大将を守っていた騎馬武者たちであった。


武田軍に立ち向かい討死したものは50名を超えた。

が、逃げ出し、討ち取られたものは実に二百余。


500騎以上の武田の騎馬隊の急襲により、今川の中枢はその日一瞬のうちに壊滅した。



某の元に味方が松明を手に近寄ってくる。

「美濃守殿か、立派な具足であるな。今川の名のあるものを倒したか?」


「他愛無い武者であったぞ。鍛え方が足りぬようだ。」


「ほほう、鬼美濃にしてやられたか。」


討ち取った武者の首を持ち、虜囚の身となった今川の武将に確認するに


大将首であった。

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