第2章 #1-4 我が面白の今川泣かせ
#1-4 甲斐国 八代郡 勝山城 1521.11.10 side福島左衛門尉助春
「廃城とはいえ、まだまだ丈夫ではないか。屋外での野陣と違って、兵皆、風雨が防げるは助かるわい。」
「殿、軍議がはじまります。城の本陣に」
部下に促され陣に入る。
「は、話が違うではありませんか。」
叟順は今川軍に従軍する陣僧である。陣僧は、戦場において、戦死者を弔って念仏を唱え、負傷したものを治療したりする。(現代でいう赤十字隊のような位置付け)僧は、敵味方関わらず、死者に念仏を唱え弔うことから、戦地においても中立の立場で行動できるため、敵軍への使者として行動することもあった。
「甲斐では、各地の領主と話を付ければ、たちまち味方となり、信虎殿との交渉もたやすいとお聞きしておりました。戦となれば武田の菩提を弔わねばならぬと心痛めてはおりましたが、逆に今川衆の足軽に念仏を唱えねばならぬ始末。しかもわれら時衆の者への給米も滞っておるとは如何なものか。」
物凄い勢いだが、要は早く給米をよこせということだ。
まったく僧のくせに卑しい事よ。
「まあまあ叟順殿、ここ勝山の城に兵糧が届く算段となっております。兵糧が届き次第、陣僧への給米と、傷病兵にお使いいただく薬も用意致しまする。」
なるたけ穏やかに答える。
「左衛門尉殿、そうはいっても、兵も不満を抱えておる。早急に商人を呼び寄せ、こちらでも市を開いてもらっては如何かな?」
儂の説明に道宗殿が横から話を向ける。
道宗殿は儂の叔父にあたるが先日出家して今川軍と陣僧との調整に当たっている。
部隊の参謀も務める叔父は、兵の慰撫に心配を寄せているようだ。
その通りではあるが、甲斐の相場は、駿河の者にとっては狂乱とも言える物価である。
いちいち言われるとおりに必要なものを調達しては福島家が破産してしまうのが叔父上は分かっておるのだろうか。
「勘定方、当座必要なものを用意するに銭の用意は大丈夫か。」
後ろに控える勘定方を呼び寄せる。
「はい。浅利伊予守殿あての米の対価は、金貨千両にて用意致しました。」
「せ、千両だと、ま、まて、当家が今川様より頂く石高の2年分にもなろう。たかが米200石で何故そんな額になる。」
「いや、分けてもらえるだけ買い上げろと申されたのは福島様にございます。」
「確かにそうは言ったが、ええい、銭は半分にしてもらい、残りは半月待ってもらえ、信虎を討てば、蔵から銭はぶん取ればよい。これでは、給米の支払だけで当家は大損じゃ!道宗殿からも金子を借り入れねばとても足りないぞ。」
「ふ、福島様、浅利殿が荷車を連ねて参ってございます。」
おお、丁度良い。はやく米を蔵に運び入れよ。
「おお福島殿、此度は難儀であったのう。」
浅利伊予守信在殿は、供の者を携えてニコニコと近づいて来る。
「そちらの御仁は。」
「当家の商いを任しておる臼井河原の米問屋のものじゃ、先日の十日市でも顔をあわしておったぞ。」
「おお、そうであったのう。ささ、蔵はこちらじゃ、早速運び入れよ。」
「お侍様、運び入れる前に、大きな取引ですので、米の代金と引き渡し方法、さらにお支払いについてご確認させていただきたく相席させていただきました。」
米問屋の供のものが口を開く。
ううむ、ちと風向きがあやしいのう。米問屋が間に入ると、相場はもう筒抜けであろうな。もしや浅利殿の笑顔はそれか、まさかそんなはずはあるまいな。
「儂は、今川の氏親殿直臣の福島殿からの申し入れ故、そのような下種な覚書交わさずとも心配ないと申すのであるが。どうも商人というものは、武士の言葉より、紙切れを信用するいきものらしく、儂の事を過度に心配してのう。」
「は、はははっ。直臣などと恐れ多い、もちろん武士に二言などござらん。浅利殿との約束通りに取引いたすは当然であろう。」
まったく余計な知恵を、しかし逆に、細かい取り決めはしていないのだからまだなんとかなろう。
「では、今回の商いについてご確認ください。今回は米200石を今の甲斐の相場で買入するということで。」
米問屋が口火を切る。
「ちょ、待たれよ、あくまで浅利殿とのお話は、浅利殿に申し入れた相場での買入であるので誤解なきよう。」
「左様でございますか?・・・浅利様それで宜しゅうございますか。」
「うむ。」
いよーしっ。本人の言質をとったぞい。
「では、浅利殿に申し入れた相場という事ですが、何日の相場で宜しかったでしょうか。」
「と、当然先の戦の後こちらが申し入れたのだから。戦の日の三日であろう。」
「おや、申し入れされたのは、翌日の四日と聞いております。こちら、四日で試算しておりましたが困りましたなぁ。(ちらりと浅利殿を見る)」
「あ、浅利殿、そうであるよな、三日で構わぬよなぁ。」
「い、いや儂は構わぬのだが、」
「あ、浅利様、こう言うことは迂闊にご返事なさっては・・。」
あわてて米問屋の者が口を挟むが、ふふっ。本人が良いて言っておるのだ
商人風情がいらぬ知恵を付けるでない。
「まあ高く買っていただけるというのなら良いではないか。」
「へっ・・・。高くとは異なことを。」
浅利殿の顔を伺う。変わらずニコニコしている。
「いやな、儂は先日の市のあと、荒川に陣が移った後の米相場が、1升200文に上がったと聞いて、値があがったなあと思ったが、まあそれが相場ならと思ったのだが。」
「それは先月の相場でございます。戦がまた始まると聞きつけるや甲斐の国中はこれ一大事とそれこそ狂乱相場。値はドンドンうなぎ上りでございました。」
「ま、まさか。値の頂点は・・・。」
「はい、当然戦の当日でございます。」
「して、当日の相場は・・・。」
「はい、こちらに穀物座の相場の書付がございますのでご覧くださいませ。」
米問屋は儂に大福帳を差し出す。
相場は先月二十日以降毎日10文づつ登り続け、さらに合戦のあった3日にはもう一延びして、その値は1升が400文にまで上昇していた。
「よ四百文とな・・・。」
ど、どこぞの世界で米が四百文に跳ね上がろう。
「そ、そんな馬鹿な話はあるまい。」
「ええ、ですからそんな値の取引は1件のみでございました。」
「どこの間抜けがそんな値で米を買う。」
「武田の信虎様が、戦の戦勝祈願の占いに使うと、笑いながら1升のみ買い上げて参りましたので架空の取引ではございません。」
くっっつ、信虎よ余計なことを・・・。
「その後ご存じの通り、誰もが信じられない、僅か二千の武田軍が万の今川を退けたと一気に値下がりして、翌四日は1升が250文まで落ち着いてございます。」
ま、まさか。
「商いは正直が命、浅利様が下手に口約束で取引をすすめて駿河の今川の殿さまから浅利の強欲ものといらぬ疑いを掛けられてはと参った次第。」
「あ、浅利殿、浅利殿の温情誠に傷み入る。ぜひとも浅利殿の仰る通り。1升200文の相場にてご対応頂きたく平に、平にお願い申す。」
「武士に二言はないのでは。」
ええい、米問屋よ、お主は武士ではあるまい。
「まあ、そう福島殿を攻めるな、わしは200文で良いといったのだ。」
「しかし今の相場では・・・。」
ええい浅利殿がいいと言っているのだから口を挟むでない。さっさと覚書に書き込んでしまうぞ。
「浅利殿にはいつも助けられてばかりじゃ、ではぜひとも今回の取引は1升200文でと書付けて頂こう。」
「まあ、浅利様と福島様双方がご納得あらばそう書付けさせていただきます。」
「あとは支払の件であるが、こちらに用意はあるのだが、戦が終わるまでは、戦費はどこでかかるか分からぬもの。支払を金千両分で用意したが、どうじゃろう、まずは半金お渡しする。半金は戦の終了後として頂けぬか。」
「戦の勝ち負けは時の運、先日も十中八九快勝間違いなしとの今川の戦でまさかの結果ではございませんか。戦場での半金の支払いなど商いの世界ではかんがえられませぬ。」
ええいそんなことは分かっておるわ。だがこちらも簡単には引けぬ。
「まあまあ、戦とは思いのほか銭のかかるものは重々承知よ。どうだろう、ここは福島様に何か約束の書付を頂いては。」
ううむ、浅利殿は話の分かるお方、甲斐の国は武田などに任せず浅利殿が国主になればよいのだ。
「何か担保をといっても、まさか今川の殿様に担保を取るわけにもございませんし・・・。」
「それではどうじゃ、もしこの今川軍が甲斐から戻るまでに半金を支払えないようなら、福島一族郎党が、その費用を代弁する。具足や馬に替えても構わぬ。浅利殿いかがじゃ?」
ええいこの際親類宗を含めてしまえば納得するであろう。
「そのような恐れ多い。まあ、今川軍の精強さは甲斐にも響いておりますゆえ、お約束を違えることもありますまい。では弁済については、福島様の一族にお願いする形で進めよう。済まぬが書きつけてもらえるか。」
「浅利様、こんな感じで如何でしょう。ではこちらに福島様の一筆を。」
「うむ。」
「では、最後は引き渡し方法でございます。お買い上げいただいた米に対しては、全量こちらの勝山城の蔵に納入するということで宜しゅうございますね。」
「いかにも。」
「では双方、こちらに署名いただき、この取引の証拠として1通づつお持ちください。」
何とか無事乗り切れた。首尾は上々じゃ。
「いやあ福島殿とは良い取引が出来た。」
わしも高値での取引と、半金のみでの支払を飲んでもらえて、双方ほくほくじゃ。
「しかし福島殿。取引の後でこんなことを言うのも気が引けるが、本当に1升200文も頂いて良かったのか。」
浅利殿が心底嬉しそうに笑顔で話しかける。
本当に浅利殿はお人好しなことよ、このままではこの商人共にいいように毟られぬか心配なくらいじゃ。
「いや、戦が落ち着いて、甲州の米の相場も落ち着きを取り戻し、1升が150文まで戻ったと聞き、200文では福島殿に後で恨まれるのではないかと、本日の相場を米問屋を同席させた上で説明しようと思ったのであるが、いやあさすが福島殿、武士に二言は無いとは言え、あそこまで言い切るとはまこと天晴なことよ。」
え、・・・・・・・・・。
「それにじゃ」
浅利殿が、心底不思議そうな顔で儂に語りかける。
「今川では合戦に出た兵士には給米を渡すと聞く。」
な、何を当たり前のことを言っておるのだ。給米と言うからには米を渡すに決まっておろう。
「何故兵士に銭を渡さんのじゃ、これだけの軍資金を運んでおるなら、米で渡すより銭で渡した方が安く済むであろう。」
え、・・・・・・・・・。
「では、米は蔵に運ぶ故、是にてご免!いやあ善きかな善きかなわっはっはっ!」
そして、浅利伊予守信在は、いつものようにシャンと立ち上がり、クルリと福島の陣に背を向けると、悠々と退出していった。
「おいっ・・・・。」
俺は冷え切った声でそばに仕える勘定方に声を掛ける。
「ひっ、は、はい。」
「本日より、兵の給米は、駿河の米の値段で換算して、銭で支払うこととする。」
「ぜ、銭はどのように・・・。」
「支払は儂の采配で半額の五百両の手付で済んだ。直ちにこの一部を甲斐の商人を通じ銅銭と交換せよ。」
「ひっ、は、はい。直ちに。」
勘定方がその場を逃げるように立ち去ると
「わ、我も蔵を見に、」
「お、おう某も城内の配置に声を掛けねばならなかった・・・。」
などと次々と陣を退出していった。
「・・・・・・・。」
みな、去ったか。
「うをおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
ううむ我らの不手際とはいえ、の信虎に敗けるより悔しいのは何故じゃああああああ。
「浅利様、何やら騒がしい声が聞こえますなあ。(笑顔)」
「我が面白の人泣かせとはよく言ったものよのう。(笑顔)」
「それは何でございますか?」
「いやなに、己が面白く楽しんでいることが、人に迷惑をかけていることがあるという諺じゃよ。」
「いや迷惑を掛けているのは今川の兵でございましょう。(笑顔)」
「それは誠であったのう、さて引き上げるとしようか。(笑顔)(笑顔)」
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