まざー信玄第2章 #1-1 勝千代の泣声

#1-1 甲斐国 要害城 大永元年十一月四日 1521.11.4 side信虎


ーかくして、飯田河原の二度にわたる今川の侵攻を退けた信虎は、要害城に避難した椿姫と、新たなる男子勝千代(後の武田信玄)の誕生に立ち合うことが出来た。さて喜びに沸く勝千代誕生の翌日の信虎公といえばー


「信秦、のぶやーす。どこにおる。」


「何をあわてておりますお屋形様。」


「さっきから泣声が止まんのだ。どうしよう。何かあったのではないか。」


「赤子は泣くのが仕事にございます。」


「そうとはいえ、泣きすぎではないのか?」


「そうじゃ、乳が、乳が足りぬのじゃ、乳母一人では足りぬのじゃ。」


「虎ちゃん落ち着きなさいって。この声はお尻が濡れたのね。すぐに乳母が対処するから大丈夫。」


「椿、椿は動くでない、俺がする、俺が動くから。」


「虎ちゃん邪魔。ねえ右兵衛尉殿、こちらは大丈夫だから、虎ちゃんをつまみだして!」


「姫様畏まりました。ささ、お屋形様、男衆は赤子の前では役に立ちませぬ、さっさと退散しましょうぞ。」


「お、おう。椿、また来るからな。なにか欲しいものはないか。菓子はどうじゃ。」


「ととさま、あまりおおごえでは、かつちよがまたないてしまいます。」

椿の横にちょこんと座る、愛娘の知恵が俺に声を掛ける。


「おお、知恵はもうすっかり姉様じゃのう。わかったわかった勝千代を頼むぞ。」


「はい、ちえはねえさまです、ちえがおせわするのです。」

かわいいのう。

まったくとても三歳には見えぬしっかり者じゃ。

椿も賢いが、知恵はさらに賢い神童やもしれぬ。いや菩薩の生まれ変わりやも。


「虎ちゃん、顔が鼻を伸ばした猿みたいになってるわよ。」

む、娘の前で何を言うか、父は凛々しい虎じゃぞ。


「父上、はやく戦の話をしてくださいませ。」

おっと、障子の向こうから、竹松の声が聞こえる。


「すぐに参るわ!椿、知恵!またすぐ来るからの、勝千代を頼んだぞ。」

俺は後ろ髪を引かれるような思いで、要害城の広間に向かった。


今川軍は河原から離れ、荒川対岸の支流貢川の先にある陣に固まっている。


月も変わり、甲州は八ヶ岳下ろしと呼ばれるからっ風が吹きすさぶ季節となる。


そうそう長居もできまい。


「父上、今川は万の軍勢で陣を敷き、府中に攻め込んだと聞いております。」


「うむ、竹松は耳が早いのう。だれぞ聞いた。」


もりの金丸に聞きました。でも戦の様子は父上に聞くがよいと。」

うむ、金丸筑前守、良き仕事をしおる。父の活躍は父の口から語らねばのう。


武田竹松は、俺の長男で、数えで五歳になる俺の嫡男だ。


母は椿ではないが、生まれてすぐ母を亡くした竹松を、椿は俺と夫婦になってすぐから本当の息子のように愛情を込めて育ててくれている。


竹松は俺と違って本当に賢い。


「今川の大将、福島は、万の軍勢で甲府の町の目の前を流れる荒川の対岸に陣を張ったのじゃ、それに対する我が軍は僅か二千。だれもが武田の命運は尽きるかと思ったことであろう。」

竹松が目をキラキラさせている。


「そこで儂は策を立てた。どんな大軍にも負けない槍隊をあてて、今川を退けるとな。」


「鬼美濃様の不破乱玖珠隊でございますね。さすが父上。わずかな手勢で万を退けるとは、まさに原美濃様は、鬼神の如きお方でございます。」


「そうよ、鬼美濃にかかれば、今川の腰抜けどもは、束になってかかろうとまったく歯が立たないのよ、まあ全て俺の考え通りよ。」


「さすが父上です。(策は荻原常陸介様が考えたと母様が言ってたよね。)」


「鬼美濃に敵わないとみた今川は、さっさと逃げ出して、別の策で我らを破ろうとまたのこのこと現れおった。これがつい先日の戦いというわけだ。」


「金丸のじいが申しておりました。守りに強い鬼美濃の不破乱玖珠隊を囮に正面の部隊を釣りだし、見事父上達が本陣まで騎馬で突破したと。」


「そうじゃ、そうじゃ。今川は鬼美濃が亀のように鈍重な部隊と気づき、弓と馬と槍と三段構えで鬼美濃に迫ってきおった。一点に詰めるは、自ら的になりに近づいたも同じ。鬼美濃という餌に釣られて、わらわらと集まったところを、われら味方の矢で鬼美濃の部隊ごと狙うという儂の策が見事にはまったわけだ。」


「しかし、お味方に向かって矢を放つなど、父様の発想は天才的ですね。(板垣右兵衛尉様が考えたと母はおっしゃってましたが)」


「そうであろう、それもどんな方向からの矢からも守れる不破乱玖珠の陣があっての策じゃ。普通の足軽隊の装備では、とても味方に向かって矢を放つなど考えられもせんからな。」


「そのような守りに強く攻めにも強い部隊を作れる父は凄いです。(そんな部隊を指揮できる原美濃守様はもっとすごいですけど)」


「うむ、甲斐の武田は精鋭ぞろい、どんな困難な戦であっても必ず勝つのじゃ!」

息子に父の戦の凄さを語っちゃう俺、最高~!


「で、次はどうなるのです?」

竹松、食いつきが凄いのお。

感心感心。


「それはだな、それは、おい、備中守を呼べ。」


「はい、お屋形様。」


うおっ。音もなく背後に立ちやがって、いつの間に。


「ぉおう。ちょっと竹松に次の流れを説明してやってくれ。」

分かってるな、俺ががこう考えていると言う風にだぞ


「はい、竹松様、今川はしばらくすると勝山の城に動くと見ております。」


ほほう、勝山の城か。今川の陣のあたりからだと南に3里ほどかな。しかし何故富田の城に引かぬのだ。


「どうして、勝山城なのですか?」

うむ、竹松よ、聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥よ。

よくぞ申した。


「それは、ですな・・・。」

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