第1章#8-4 飯田河原の戦い 今川軍突撃
#8-4 甲斐国 府中南一里 荒川飯田河原 今川の陣 大永元年十月十六日 1521.10.16 side福島左衛門尉助春
河原の前に陣を広げ、川向こうの新しい府中の町を眺める。
碁盤の目のように整った街割りに、まだ新しい建物が立ち並んでいる。
「田舎とはいえ、小奇麗な町ではないか。信虎のような田舎者にはもったいない。儂がうまく活用してやろうかのう。」
つい先日、地元の商人どもが市から去ったのち、血相を変えて兵糧の減少を訴える兵糧頭に促され、富田城の蔵を確認した。
兵共に米を与えると碌なことはない。みんな銭と酒に変えよった。
まあ仕方あるまいと予定より少し早いが、全軍を率いて信虎を攻めることとした。
1万の軍勢で、府中に迫ると、噂通り、武田の軍勢は、わずか2000の軍勢が対峙するのみ。
まあ、町中にはまだまだ残ってはいるだろうが、この規模の町では多くとも3000程度の人口であろう。
ひと当てして、圧倒させれば、向こうから降参してくるに相違あるまい。
本陣の周りに騎馬を揃え、弓隊をその前に2町の幅(約200m)に3段構えで配置。
さらに武田軍の前に足軽隊を3町(約300m)に広がって囲む。
右翼、左翼にそれぞれ二千の足軽を配し、後方に騎馬を付けた。
武田がどう動こうと両翼がすぐに対応出来る、万全の配置であろう。
そして
今川軍の陣立てが組みあがるころ、信虎率いる武田軍も重い腰を上げたようだ。
合戦は武田の法螺の音で始まった。
向こうの足軽大将が大声を張りあげるが、一向に向かってこない。
やはり腰抜けどもめ、亀のように引っ込むか。
どれ、追い立ててやろう。
「弓を引け。」
銅鑼が打ち鳴らされ、今川の弓隊の戦闘が一糸乱れす、空に向け矢を放つ。
そのまま2射3射と武田の足軽に向けて放つは、まるで大きな的に当てる芸を競うかのごとく。
武田のものたちはそこから一歩も動けぬようだ。
「左翼、騎馬を進め、河を越えて武田を追い立てよ。」
あらかじめの手筈通り、100騎もの騎馬が、一向に動かぬ武田の陣を揺さぶるために西方より回り込むような形で出立した。
するとそれに呼応するように府中の町の西の街道から、騎馬が現れる。
「やはり町中にも兵を隠しておったか、姑息な。」
遠目でよくわからぬが、今川の騎馬と同数くらいであろうか、いや少し多いか?
武田の騎馬は先に河を渡り左翼の騎馬の群れと激突する。
「うむ、騎馬が多い、まずいな。」
思ったよりも武田は騎馬をあててきおったぞ。ちょこざいな。
「無理せず引いて、足軽の群れに引き込むよう指示してございます。」
配下の者がゆっくりと答える。
慌てることはないのだ。時間をかけて押しつぶせばじり貧となるのは武田方なのだから。
思ったより武田の馬列が多かったため、多少馬を失ったようだが、自軍に戻ったようだな。
左翼の足軽どもが槍を構え、武田を遠巻きに囲むように移動するのが見える。
「うむ、見事な動き、このまま武田が突っ込んでくれば一網打尽よ。」
しかし武田の馬列はそのまま西方に馬を引き、遠巻きに左翼の動きを伺っている。
「今川の槍備えに恐れをなしたか臆病者めが。」
槍は騎馬の前にずらりと隊列をならべ構える。これでは近寄れまい。
左翼の動きが収まり始めると同時くらいに、正面の武田足軽隊が前進してきた。
「妙な槍備えじゃの、今川の弓に備え盾を厚くしたか、まるで大きな亀が動きよる。」
本陣から眺めると、弓の雨をじっと固まってこらえ、弓の切れ間を待ってじりじりと進む。まこと亀のような歩みじゃ。
「武田の亀隊、愚鈍ではあるが丈夫なようじゃのう。」
弓に耐え川岸直前まで進んできた。
河を挟んで今川の足軽と対峙する。
足軽と距離が近づいてきたため弓が打てなくなってきた。
まあよい、今川の足軽で武田の亀どもを囲んで押しつぶしてやろう。
「足軽隊前進。」
合図と共に、3町に渡って広がる今川の足軽隊が、槍を構えて前進する。
水量の乏しい荒川の河を一気に渡った足軽の集団が、鬨の声をあげながら武田の足軽隊に襲い掛かる。
先頭を走る今川の足軽が武田の備えに長槍を叩きつけた。
長槍は、6m以上の竹の先に刃先を付けた武器で、遠隔から敵を叩き伏せるように攻撃する足軽の基本武装になる。
だれでも使え、離れた距離から攻撃できるため、臆病な農民兵でも身の安全を感じながら使える武器である。
しかし今川の叩きつける長槍の攻撃を、武田の固まった隊列は軽くいなす。
今川の足軽がもう一歩近づき、再度長槍を叩きつけようと穂先を上に振りかぶった瞬間。
バシュッ。
武田の槍の穂先が伸びた。
「うふぇっ・・」
足軽は間抜けな声を上げたかと思うとその場に倒れる。
何が起きたかも理解していないようだ。
武田の集団に突っ込んでいく足軽たちは、先手こそ意気揚々と長槍を相手に叩きつけるのだが、その後続けざまに武田の槍の餌食となる。
ところが今川本陣からのその様子は、違って見えていた。
何倍もの今川足軽兵が雲霞の如く武田の兵を叩き潰し、それを武田が苦し紛れに応戦する姿にしか見えない。
なにせわずか500程度の武田の軍勢を4倍の今川兵が囲んでいるのだ。
「はっはっ哀れ武田の足軽どもよ、無能な領主の元で戦わねばならぬとは己の不運を恨むがよいわ、成すすべもなく縮こまっておるわい。」
福島殿はご機嫌である。
さて、今回武田軍の重装歩兵隊を仕切る鬼美濃隊の装備する長槍は、同じ槍でも柄の長さ2間(3,6m)刃先が2尺(60cm)程で、今川の槍の半分の長さに過ぎない
。
槍は長くなれば長くなるほど重くなる。
このため今川の長槍は全て竹槍であり、その先に5寸程の刃先が取り付けられている。
実際手に取ると分かるが、この武器で突き刺すことは非常に難しい。
長い竹はしなるため、真っ直ぐな動きでも穂先が揺れてしまうのだ。
だから今川の足軽兵は長槍をしならせて相手に叩きつける。
遠心力ののったその威力は馬鹿にできない。突き刺す力の何倍もの威力を誇るのだ。
とはいえ、きちんと整備された具足兜をまとう武田の鬼美濃隊には、蚊に刺されたようにしか感じない。
逆に、鬼美濃隊の槍は芯に丈夫な檜を周りを竹で囲み補強した複合材の柄と、穂先を鋭く研いである。
まさに相手を突き刺すための槍であった。
相手の今川の纏う具足など頭を守る陣笠と粗末な胴具足のみ。
さらに鬼美濃隊の隊列には、もう一つの工夫があった。
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