第1章#8-2 今川軍左翼の戦い

#8-2 甲斐国 府中東 湯村山砦  大永元年十月十六日 1521.10.16 side武田軍物見


「法螺が鳴ったぞ、いよいよだな。」


ここ湯村山砦は合戦城からほぼ北に半里、まさに上から陣取りを見渡せる格好の場所であった。


この砦の役目は簡単に言うと、今川の騎馬の動きを本陣のお屋形様に・・いや萩原備中守様に伝えることにある。


お屋形様はその動きに応じて自ら騎馬を率い殴りこむ手はずになっている。


決して俺らは口にしないが、甲斐の都が躑躅が崎に移ってから、虎の飼い主は、椿姫、猛獣使いは備中守、虎信様は戦に応じて虎兄弟を従え戦場を駆け回る・・・という形が続いている。


今の武田の軍はだから非常に分かりやすい。虎の名を冠する武将隊はたいてい切り込み隊で、そうでない武将は実務舞台として、背後を守ったり、やらかした問題の後始末をするのがお役目となる。


今回の物見部隊の本隊はここから東に半里、こんもりとした高台となっている一条小山に砦を構えた横田十郎兵衛高松隊。

われらはその分隊となる。


まずは武田の本陣の前に並ぶ固まった槍隊の中心から、大声が発せられる。

ここまで風にのって聞こえるが、何を言っているかまでは分からない。


だが、この声は鬼美濃こと原美濃守様に相違あるまい。

戦は互いの名乗りから始まり、その戦の正当性を謳いあげる、

だから向こうも何か名乗りが始まるはず。


戦の正当性なんて建前でしかないのだから、お互いの悪口の言い合いみたいなものだ。


続いて今川本陣のすぐ前から弓隊が一列にならび、物凄い数の弓が打たれた。

中央の弓隊からの矢が空を覆うとまもなく、向かって右側今川から見ると左翼の騎馬が、河原を渡るべく北西に進み始めたのが見える。


よし今だ。


「用意した狼煙に火を、赤の袋を渡せ、粉を混ぜる。」

たちまちもうもうと燃え上がる白い煙、そこに粉を混ぜると赤みが増した煙となる。


狼煙を見て、本陣から騎馬が500程だろうか左翼に向かって走り始めた。


さらに中心に纏まった槍部隊が、盾を頭に掲げながら河原の前に前進する。


遥か南方の丘の上に真っ直ぐに登る煙が見える。

丁度今川の本陣の裏から煙がたなびくように甲府盆地の南にある市川の郷の者と連絡を取り狼煙の位置をあらかじめ決めておいたのだ。


本陣が動かない限り、この重装槍隊は、煙を目安に直進するのだ。

というか大きな盾で四方を守りながら、隙間に槍を装備した槍隊の視界は限られ、ただ前に進むことしかできない。


盾を構え一歩づつ進みながら後列から並ぶ槍の列がキレイに整列している。


太鼓の音が二つ。止まる。


盾が上に出る。


矢が雨のように降る。


太鼓の音一つ、盾がしまわれ前に進み始める。


上から見るとほれぼれとした行進。


弓の間を抜け、足軽の群れに近づくと、味方に近すぎて弓は狙えなくなる。


弓隊は、近づいた槍部隊から、別の部隊へと矛先を移すべく指示を待っているようだ、雨のように降っていた矢が止む。


ところが今回武田軍には、この槍の塊しか見えない500弱の足軽隊と後陣に纏まる本陣しか見られないのだ、今川の厚い足軽歩兵の層に阻まれ弓隊は、どうやら槍隊後方の騎馬に囲まれた本陣に向けて弓を構えなおしたようだ。


矢の雨が降る、

しかし、距離が遠いため、矢は本陣まで届かないのが見て取れた。


「左翼の騎馬に、お味方の騎馬が突っ込むぞ。」

100騎の今川武者に、河を渡り武田の500騎が襲い掛かる。

上から見るとよくわかるが圧倒的である。


そもそも5倍の騎馬に走りこまれては今川も逃れる術はないのだ。


後続の足軽は慌てて前方北側の川岸から南西方に隊列を伸ばし、その場にとどまり槍を立てて待ち構えるのがよくわかる。


今川の騎馬は次々と討ち取られ、何とか反転した半数が本陣へと敗走してゆく。

武田の騎馬隊500は、今川軍西方に間を取って身構えている。


「お味方は、追撃はしないようだな。」

同僚がつぶやく。


「ああ、無理に今川陣中に近づくと、足軽の大軍に囲まれては身動きが出来ないからな。」


「ならば、今足軽が騎馬を包囲したらまずいのではないか?」

物見達は、はらはらしながら今川の動きを注目する。


「萩原様は、今川の足軽は騎馬には向かって行かないし、最初は河も越えてこないと仰っていたぞ。」


「いやあ本当だ、足軽どもは河を越えず、馬の前で槍を構えるのみだぞ。」

決戦を前にした軍議で皆が大軍におびえる中、こたびの軍師様でもある萩原様はまるで未来を目で見てきたかのように此度の合戦の流れを説明してくれたのだ。

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