第1章#7-8 十日市場の策
#7-8 甲斐国 大井郷 十日市場 大永元年十月十日 1521.10.10 side浅利伊予守信在
お屋形様の奥方であらせられる大井夫人椿姫は、一言で言うなら才をこよなく尊重するお方だ。
その才は、武、財のような分かりやすい才にとどまらず、田の水回りの気配りや、馬の世話、はては飼葉の雨露に濡れるを気遣う下郎人にすら才を見出し、それを称賛する。
そして、椿様に見出された才は、どうにも眠らせておくことができなくなるのだ。
なんというか、この歳になって幼子のように褒められて、嬉しいと感じてしまう儂がおる。
儂の才を、姫様は、なんと立ち姿の才と褒めていただいた。
「浅利殿はその立ち姿のなんと見事なことか、立つだけで人々を魅了する才、是非とも子供らに見習らわせたく思いまする。」
確かに浅利の家は鎌倉の代より、弓を大事とする家。
強弓は正しい姿勢無くては矢を引くことすら能わず。
姿勢の良さは弓に通じると生きてまいったが、弓ではなく姿勢を褒められるとは思わなんだ。
そんな儂を、敵陣のまっただ中に武器も持たずに送り込んだ姫ときたら。
「浅利殿はその後ろ姿のみで今川と戦われるが一番、意見が合わねば立ち去るのみでよろしいかと。」
とまあ不可思議なお言葉を頂戴した。
まあ抗わず立ち去って良いならどうということは無い。
まあ今回はのんびり参ろう。
さて、今川軍の警備の陣かな、まあたいそうな人数だ事。
「浅利伊予守信在、福島殿の求めに応じ、この先の市にて商う荷を届けに参った。ぜひとも中身を改めて、お通し頂きたい。」
話は通っていたようだが、それはそれ、荷物にまぎれた武器や、怪しい間者がいないか、供の者の装備も厳しく改められた。
当然儂も丸腰だ、背筋を伸ばし堂々と進む。
少し進むと、先で言い争う声が聞こえた。
「確かに市では、甲州の米相場で買い受けると告知したが、駿河の今年の相場の四倍とは納得行かん。」
「しかしお侍様、この戦で甲州中の米は、刈り取るそばから武田の殿様が買い上げなさるので、村中の蔵の米も府中に流れ不足する有様、もしこのお値段が不服とあらば、逆に今川様の蔵米をお売り下さいませ。こちらはそちらのおっしゃる駿河の四倍の値で喜んで買い取らせていただきます。」
さて、きゃつは確か臼井河原の米問屋、早速やっておるなあ。
「むむ、少し待て、他の商いの者にも確認したうえで引き取らねばならぬゆえ、しばし御免。」
思いのほか米が高いのに驚いておるな。
本当に甲斐の国ではお屋形様からの指令で四倍の米価で買い集めているのだから、どう調べてもそれより安くは誰も売るまい。
「おお、浅利殿ではないか、先ほどから来る商人、来る領主、口をそろえて売り物の米を並べては、駿河の四倍の値で商いを始める。いったいどうしたことじゃ。」
今川の兵糧頭の武士が儂の姿を認めて近づいてくる。
「どうもこうも、今の甲斐国は、今川軍の富田城入りのお陰で米不足よ。この間も福島殿とお話しした通り、周りの領主も様子見を決め込んでおるから、いくら信虎勢が高く米を買うといっても、領主は蔵の米を決して出さぬのだ。逆に信虎と同じ値段で売ろうという商人たちは商いとしては正直者というところであろう。」
にべもなく兵糧頭に言い放つ。
「して、浅利殿は我らに適正な価格でお渡しいただけるのであろうな。ぜひその荷を改めさせてもらいたい。」
「いやいや無理を申すな、信虎の値段と同じなら向こうも文句を言う筋は無いが、それより安く売ったとなれば、今川を利するとどんな目に合うやもしれぬ。米はこの値段よりはまけられぬのだ。この値段でよければ、不自由なく米を用意したゆえ、そこは福島殿とご相談なされよ。そうさなあ、儂も今川に恨みがあるわけではない。どうだろう、米の値段を今までの甲州の相場と同じにする代わり、その十倍量の藁と交換ということで如何かな。まあ藁を買い受けるという事だが、米はなくとも、原方には牧草地が広がっておる。今川の兵で狩り集めれば、馬の餌など今からでもいくらでも集まろう。どうじゃ、福島殿に相談せよ。」
「ほほうそれは名案。すぐに相談いたします。」
「うむ良い返事を待っておるぞ。」
さてと、集まった商人共も用意が整ったようだな。
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