第1章#7-9 ただ背中のみで立ち、勝つ者

#7-9 甲斐国 大井郷 十日市場  大永元年十月十日 1521.10.10 side臼井河原米問屋番頭

 

「ささ、今川の皆様、お給金で頂いたあて米、甲州は米の値が上がっております。

今ならなんと一升百二十文で買い上げます。どうぞ本日の市限り、こちらにお並び下さいませ~さあ~並んだ並んだ~。」


張りあげた声に、少しづつ今川の足軽が近づいて来る。


「お、おい、一升が百二十文って俺の村の米の六倍の値だぞ。先週頂いた給米、全部銭に替えちまうか、来週も給米が配られるんだから、今使っても問題あるめえ。」


「はいは~い、今川の皆様に、米とお酒を交換いたしますよ~。今なら米一升で、酒三合、勝ち戦続きの今川様に大盤振る舞いの祝い酒にございます。ぜひお立ち寄り~。」


銭がなくとも米があれば酒が飲めるとあって、足軽たちの喉が鳴る。

戦が始まれば、もちろん酒など全軍禁止。

今は小競り合いがあるとはいえ小康状態で、兵士も酒の魅力には抗えない。

市を冷やかしに来た今川兵達は、米と銭の交換率の高さと、酒との交換の話題を聞くや、自分の陣地に取って返し始める。


「はいはい、皆様、銭も、酒も豊富に取り揃えてございます。どうぞ慌てずお並びくださいませ~。」


商人たちの呼び込みや、今川兵のおしゃべりに浅利は耳をじっと傾けていた。

駿河は米を百姓から二十文で仕入れて三十文で売っておるか、まあいつもの甲斐の相場が一升四十文だから、やはり駿河は米が安いのう。

これなら確かに姫様の言う通り、福島殿が必死に集めた米も兵共がザルから零すようにこちらに米を戻してくれるわ。


さて、こちらは、昔話のごとく長者を目指そうかのう。

いやわらしべ長者はわらしべが宝に変わるのだから逆だったかのう。


「浅利殿~浅利殿。福島の殿よりお許しを頂いた。米一升で四十文の今までの相場で売り渡すとの言葉相違ないな、藁ならいかようにも用意する。まずは米じゃ、持参した荷車全て買い受けたい、一石分で百升四千文だから四貫として、五十石分ありますな。では二百貫、そして藁を二千貫分、これは帰りの荷車にお納め下され。いやあ助かりました。」


「よいよい、お役目ご苦労。」

さて、わしの用事も無事終了じゃな、さて、ほかの商人にも顔を出しておくか。

なにやら向こうで揉めておる様子じゃな?


「おい、何故お主らは米を買い取っておる。今川の兵糧を買い取る事一切まかりならぬ、いま買い取った米はすべてこちらに差し戻せ!」

侍が商人に詰め寄っている。


「おいおい、穏やかではないのう、そちらは臼井河原の番頭ではないか、いかがした。」


「おお、これは浅利の御前様、こちらの今川のお侍様が、米を買い取ってはならぬと仰せで。」


「これは失礼、拙者、浅利の郷で隠居の身の爺ではあるが、こちらの者とは縁あってこちらの市にさそった手前、お役目とはいえ、米の買い取りまかりならんとはこれ如何に?」

尋ねると、少し居住まいをただした今川の兵が、


「福島の総大将様からのお達しで、今川の兵糧をこの富田の城から持ち出すことまかりならんと厳命されておる。兵に給付された米とは言え今川の兵糧に相違あるまい、よってこの米は没収する。」


「ほほう、福島様が、米の買取も禁止なさったと申したか。」


「もちろんじゃ、さあ、そちらの米はすべて差し出されよ。」


「儂は、福島殿と今回の市ではは相場通りで商って宜しいとお約束いただいたはず。改めて福島殿にお尋ねしても宜しいかな。」

儂は、すっくと目の前の侍の前に腕を組んで立ちつくす。


「あ、浅利殿、それとこれとは話は別でござる、只今福島殿をお呼びしますゆえ、気を荒立てずしばし待たれよ。」


「荒だってなぞおらぬぞ、ただ立っておるのみじゃ。」


「浅利殿ご容赦下され、すぐ、すぐにお聞きして参る。」

儂の後ろから番頭がびくびくしながら顔をのぞかせる。


「あ、浅利様、ありがとうございます。」


「何を言う、儂はただ、お主の前に腕を組んで立ったのみよ。」

番頭にむけてニヤリと笑う。


「福島様こちらにございます。ぜひとも浅利殿にご説明を」


「おお、これは浅利殿、我が方に普段通りの相場で米を卸して頂き、誠、仁義にあふれた行い、感謝いたす。」


「何々、儂は藁束も合わせ対価として頂いたのだから、これはまっとうな商い。福島殿に感謝されるいわれなどない。して、こちらの店の者、儂が声をかけこの市にはせ参じたにも関わらず、商いを止められておる。福島様約束を違えるつもりか?」


「いやいや浅利殿、商いの約束を違えるつもりなどない。ただ、今は戦の最中、この城から兵糧が動くなど戦場の常識として許されるわけが無かろう。」


「ほほう、福島殿は今が戦場とおっしゃられるか?」


「いかにも」


「では、その戦場に、小刀の一つといえど身に付けさせず、米を運んできた儂の荷なぞ、今川の戦武者に強奪されても文句は言えぬか。」


「そ、そんな意味ではござらん。」


「儂は、この富田の城の米蔵の米を売り買いせよと言っているのではござらん。ただ駿河より命をかけて甲斐まではるばる戦に出て、やっとこの富田の城で安堵しておる兵たちが、この市の雰囲気に酒や肴を楽しもうとのささやかな動きと見る。自分の貯めたなけなしの給米を自分の楽しみや、里の者への仕送りに銭に変えようという心意気!その兵共の気持ちもないがしろになさるか。」


「そうはいっても兵糧は・・。」


「ならば良い、儂も福島の心中を慮ってなけなしの米をそちらの相場でお渡ししたつもりだが、そちらが自分の都合を通すならこの取引無かったこととしよう。おい、供の物の運んだ米は引き返せ。儂らはここで立ち去るぞ。御免。」

儂はそう言い放つとくるりと福島殿に背を向ける。


「ま、待たれよ、あい分かった、浅利殿の言う通りじゃ、この市での売り買いに口は出さぬ、ぜひそのまま浅利殿の米はそのままに、」


「一度背を向けた物をさらに寝返れと福島殿は申すか。」

儂は、ゆっくりと、背を向けたまま言い放つ。


「寝返れなど、と、とんでもない。さらに藁を千貫付けるゆえ、ぜひこの場を治めて下され。」


「ふむ、まあよい、儂はこのまま今日は立ち去ろう。米はそのまま蔵に運ばせる故、この富田の城にまた前を向いて参るかどうかは福島殿次第と心得よ。」


「浅利殿、儂と浅利殿の仲ではないか、決して悪いようにはせぬ。もちろん声をかけた商家も同じじゃ。」


「あいわかった、では福島殿、市の商人をよろしく頼むぞ。」

それだけ言い放つと浅利の里へ向けて立ち去って行った。


その日より、椿姫の言った通り、


「浅利の殿は、ただ姿で福島の殿を切って捨てた。」


と評判が甲州中を駆け回ったという。


市のあと今川軍が買い入れた米は浅利殿よりの50石のみ。

今川軍兵士より集まった米は、足軽と荷駄隊約8000名に10日分として支給された2升分の米に相当する16000升つまり160石が買い取られた。

さらに驚くことに酒と交換された米も全兵士1万人が5合分を交換したに相当する50石分となり合計210石となった。


富田の城からはこの1日で160石、つまり全兵士7日分相当の兵糧を失ってしまったのである。そして、さらに気が付いていないようだが、馬は少なくとも1日1貫(3.75k程度)以上の藁を餌として消費する。


軍馬と荷馬1500頭で1500貫だから浅利殿が持ち帰った3000貫の藁は2日分、さらに商人たちは、米を吐き出した今川兵から、藁についてさえも酒や、酒の肴の代金として交換を認めたものだから、さらに6000貫もの藁が富田城の馬場から失われていた。

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