第1章#7-6 椿姫 躑躅が崎出立

#7-6 甲斐国 府中 躑躅が崎館  大永元年九月三十日 1521.9.30 side武田左京大夫信虎


椿と子供たちが、用意を整え、躑躅が崎館を出立する。


この館は山に囲まれた平地の奥に築城したが、戦のための城ではないため、正直攻められると弱い。


今川軍がここより西方わずか5里にある富田城で着々と侵攻の機を伺っている間に、身重の妻を北側の山腹に築城した後詰の城に避難させることにした。


「避難するって大げさね。ちょっと裏山に引っ込むだけじゃない。」


椿は家族で裏山にお散歩に出歩く気軽さ、息子の竹松が妙に張り切っている。

2人の幼い娘は、乳母たちに抱かれて、何か楽しそう。

お腹の大きさがはっきりしてきた椿はさすがに大事を取って籠で移動する。


「少し遠くなるけど定時連絡はいつも通りでお願いね。」

椿は今も勘定方と話を詰めている。


あいつは荻原常陸介の息子だな。


まだまだ子供に見えるが優秀と聞く、戦は銭がかかるから勘定方も大変だろう。


「いい、じゃんじゃん買いつけて、言われたとおりに富田にも流すこと。大丈夫この値段で売れるから。」


何か不穏な言葉が聞こえる。


おい椿、今川の軍を兵糧攻めにするのではないのか?


そういえば先日の八田牧の戦でも、敵にわざと兵糧を落としたと聞くぞ?


折角駿河からの供給を止められる絶好の機会、干上がらせるだけで勝てる戦になりそうなのに、何を考えているのだ?


「椿や、一応聞いておきたいのだが。」


「虎ちゃんどうしたの?」


「何故今川に兵糧を流す。」


「最低限は流さないと、略奪に走ったら困るじゃないの。」


いやその理屈は分かるが、ただでさえ劣勢なのに、それを維持してどうする??


「虎ちゃん、不満なのはわかるけど、今川兵が気が付かないうちにやっておかなきゃいけないことがあるの。虎ちゃんの配下が駆けずり回って、戦の舞台を整えてるからもうちょっとの辛抱ね。大丈夫準備ができるまで決して今川は攻めてこないから。」


ん?なんで攻めてこないのだ?


「確か今川は、小雪の頃(旧暦10月中旬)には動くと言っていたな。動きがあれば武田軍は河原を挟んで騎馬で対峙せよという事だが、あと半月、何故今川は動かぬ?」


「蔵に米が積みあがるまで動く気は無いでしょうね?」


「大井の郷に米などあるまい。どうやって米が増える。」


「足りなきゃ買い付けるでしょ。1万の大軍、米も無しに動けるわけないし。」


「そこが分からんのだ、今わしらの動員できる軍はめいっぱいで7千、しかも駿河方面の抑えに、今も穴山衆は動けんし、八代路や郡内の抑えも必要だから。実際には5千が限度であろう。守りに弱い府中では防ぎきれるとは思わん。」


「もうすぐ稲刈りも済むから、皆が動けばそれくらいは集まるかもね、でもこちらが5千を揃えれば、間違いなく大戦(おおいくさ)虎ちゃんたちも無事では済まないわね。だからそんなに集めなくていいわよ。騎兵が千もあれば十分なはずだけどまあ弓足軽があと千で余裕かな。」


「いやいや大軍に2千は無理だろう。それに何故今川はすぐに動かぬ。」


「そりゃ弱虫の虎ちゃんの様子を見て、甲斐の国中の領主が今川になびくのを待ってるからに決まってるじゃない。」


「どういうことだ?」


「武田の盟主を打ち滅ぼした跡の甲州統治を餌に、今川の先兵として虎ちゃんを討たせれば、今川は自分の兵も傷まないし、昔っから今川はそうじゃない。昔、私の父の軍と今川が連合して虎ちゃんと戦った時だって、今川の兵は絶対勝てる時しか前に出てこなかったでしょ。」


「では今もあちこちで調略が・・・。」


「今回は無いから大丈夫よ。虎ちゃんの仕事は、攻めてきた今川を打ち負かすことだけでしょ。」


そういうお前の親父はちょくちょく裏切ってきたではないか?大丈夫かよ??


「もう勝ちの目は拾ってるから、折角の機会に儲けを増やさないとね。今回は部下に褒美を出すのも大変なんだから、きちんと稼ぐわよ。」


え、もう勝ちが決まってるの?しかも攻められてどうやって儲けられるの?


「じゃ、要害のお城に行ってくるから、あとはよろしくね。頑張ってね虎ちゃん。」


お。おう。そりゃ頑張るけれどね。

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