第1章#6 武田高雲斎信達 来訪
#6 甲斐国 大井郷 富田城 大永元年九月二十日 1521.9.20 side福島左衛門尉助春
富田城をわずか1日で攻略した。貴重な騎馬は多少損耗したが、人的被害は無いに等しい。
予定した進軍速度に比べ半月ほど遅れている様だが、その間の抵抗もほぼ無く、逆にあっけないほどであった。
通過した穴山領も今川に帰属したと思って良いし、つまり半月で穴山領を今川のものとしたのだから何も問題はない。
さらにここ大井の出城である富田城を確保したことで、大軍の前線基地も確保できた。
背後の荊沢(ばらざわ)集落はまったくもぬけの殻となっていたとはいえ、兵を休める宿が労なく手に入ったと思えばいいことづくめである。
泥田は厄介であったが、自分たちの陣としてしまえばこんなに頼りになるものもない。
確かにこの城の南は見通しの良い泥田が広がり、隠れて近づくことも出来ず、攻め込んできた敵は足をとられ良い的である。
武田軍の矢羽根の蓄えが万全なら今川にとんでもない被害をもたらしたであろう。
とはいえたかだか500程度の手勢あっという間に我ら今川軍が蹂躙し尽くしたものを・・・。
武田も命を惜しんで、このような堅城を手放すなど、信虎もただのうつけものであったか。
「左衛門尉殿、大井の館より高雲斎殿がお目通りに参られました。」
「うむ、通せ。」
武田高雲斎信達、ここ大井の郷を治める領主だが、穴山武田氏と同じ時代に分家した武田家の庶流であり、武よりも芸を尊ぶ家風は、今川好みでもあり、今までも何度も共に今川兵と並んで戦った間柄である。
前回の戦では信虎に膝をついたようだが、富田の城が落ちた今、わしらに従属を誓いに参ったに相違あるまい。
「源朝臣武田信達、今川の衆にご挨拶に参った、今回の将は福島殿とお聞きしている、お目通りを願いたい。」
高雲斎は駿河にも知られた歌詠みであり、駿府の連歌師どもにも知己が深く、わしには少し厄介な相手である。
甲斐の山猿とはいえ、敬意を少しは出して遇せねばなるまい。
「おお、これは高雲斎どの、此度我が陣中への糧食の提供かたじけない。ぜひ幕内にまいられよ、ささこちらに。」
高雲斎信達は、ありがたいことに米俵を積んだ荷車持参で富田の城を訪問した。
これから信虎を攻めるにあたり、早くも恭順してきたか。
むしろ共に戦うつもりやもしれんなあ、大井の小勢など下手に大きな顔をされても迷惑であるし、どうあしらうべきか・・・。
「破竹の勢いで大軍を持って虎小僧の兵を蹴散らしたお手並み、お見事でございます。してこの度はご戦勝のお祝いに少しばかりの糧食を持参したゆえ納められたい。」
やはり、対等な態度を示しつつも、恭順してきたか。
食糧はいくらあっても足りぬ、大井の倉から吐き出させねばな。
「福島殿にお願いがあって参った。」
よいよい、信虎に反旗を翻すくらいは許してやろう、褒美など決して与えはしないがな。
すでに今川家中では甲斐国は大井の武田ではなく、穴山武田を傀儡にすることに決まっておるのだ。
「此度の戦、大井の郷は厳正中立にて対応することご承知頂きたい。」
むっ?何故立場を引かれる。
「大井の郷は先ほどの戦で愛娘椿を虎小僧に人質同然に嫁に取られ、幼い娘と身重の身体を抱え虜囚の身となっておる。かつて共に轡を並べた今川の皆と共に戦いたい気持ちに迷いはあるが、これでも愛娘、身重の身を自刃に追い込ませるに忍びない。信虎と事を構えるは戦国の定め、存分に戦われるがよい。しかし大井は表立って事を構えることは出来ぬ。」
娘可愛さに臆病者めが。
「高雲斎殿の心中お察しいたす。苦渋の決断といえ、さもあらん。此度は人馬の
ご支援を賜る程度で十分なお味方と今川の殿も納得するに相違あるまい。」
「いや、此度の荷はすべて貴軍に御贈りいたすが、実はこれで精一杯なのだ。」
ん、中立と言ったではないか、まさか大井の米は渡さぬと。
「合戦の話が伝わるやいなや、虎小僧は軍を差し向け大井の郷のあらゆる田から米とわら束に至るまでむしり取り、さらに大切な領民まで使って隣の甘利の郷まで運ばせてしまった。高台の大井の本拠地までは手を出せなかったが、領民も怯え、
幼子や老人は我が城に招き入れ匿っている状況、とても今川を支える状況にない。
逆に今川の殿に駿河の米をお願いしたい位なのだ。」
「なんと、虎の山猿め、大恩ある大井の殿の民草にまで手をつけるとは、まさに鬼畜の行い。必ずや神罰が下りましょう。とはいえ大軍の維持には糧食は必須、信虎討伐の暁には、甲斐の武田の名を冠するは高雲斎殿をおいて他にありますまい、表立って今は敵対出来ぬは承知なれど、ここで我ら今井の腹を満たすは先々の誉としてご勘定頂けるものと考えるが如何に。」
「我を思う気持ち誠にかたじけない。とはいえ無い袖は触れぬ、また福島殿と儂の内通を疑われるも危険、今回はそのような訳故、今後大井の台上の里への今川の立ち入りはご遠慮願いたい。民の糧を荒らす行為は、福島殿といえ刃を向けぬわけには行かぬゆえ、騎下に後厳命願いたい。儂も此度の戦の間は決して里から離れぬ事御誓いいたそう。」
そう言い放つと高雲斎は自分の領地に去っていった。
ふんっ腰抜けの臆病者め、まあ背後を付かれないだけましとしよう。
信虎を平らげたあとは、お主の首もついでにさらってゆくが、それも世の定め自分の甘さを恨むがよいわ。
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