第1章#3-3 大島合戦大敗 てっことでいいんだよなおい
#3-3 原虎胤隊 大永元年九月六日 穴山領 富士川左岸(東岸)甲斐大島郷
1521.9.6 side原美濃守虎胤
対岸に広がる旗指物は圧倒的な数ではあるが、わが軍の戦意は高い。
ここ大島の地は、背景を山に、富士川の流れが少し緩やかに広がる中州状の地形。
秋のこの時期は水量も少なく絶好の渡河地点である。
渡河してくる者を迎え撃つ虎胤隊にとってはいいカモにしか見えない。
「今川は木材を持ち出しました、橋を掛けるつもりでしょうかな?」
足軽衆の小頭が声を掛ける。
「なあに、渡ってくれば蹴散らすまでよ、しっかり俺に付いてまいれよ。」
法螺の音が鳴ると共に、早朝未明に今川軍の渡河作戦が始まった。
今川は広く弓隊を西岸に配置し、大島岸に陣を張る虎胤隊に射掛ける。
「さすがに今川の軍勢は大した数でございますなあ、弓が雨あられと降り注ぐ。」
「なあに、福島勢のへっぽこ弓では水鳥の一匹も打ち取れまい、陣に届く前に風にあおられておる。」
弓の勢いが止むと、大声を張り上げ丸太を抱えた今川の足軽衆が河の浅瀬に木材を並べ、少しづつ橋を組もうと近づいてきた。
「水際に足軽が足を入れた時が好機ぞ、先駆けのみを丁寧に射掛けよ!」
鬼美濃こと虎胤は弓よけの木盾の陰に隠れながら、対岸の水辺に近づく足軽に狙いをさだめ弓を射掛ける。
「そのようなへっぴり腰で橋など掛けられるものか、ほれわれらの格好の的じゃ。」
勢いに乗った虎胤隊は川岸に広く散開し盾に隠れながら次々と水辺に足を踏み入れた今川勢に手傷を負わせる。
川向うへの矢は致命傷にはならないが、敵の行動を鈍らせるに十分だった
「美濃守様、これでは我々だけで勝ってしまいそうですなあ。」
「まったく数ばかり多くても腰抜けばかりではどうということも無し、負けたとみせかけて引けと言われたが、このまま川向うまで押し返してもいいかもしれんなあ。」
俺はのんきに部下どもに声を掛けるが、内心は少し焦りを感じていた。
虎胤隊は全部で2000の徒歩による足軽隊、そのうち弓隊は500に過ぎない。
行軍を防ぐために1500の槍隊が待機してあるのだが、これは今川の騎馬隊が渡河してきたときに一斉に槍衾として迎え撃つため、実際には川より少し高台の陣から離れることは出来ない。
そして今川の弓隊は対岸にびっしりと詰めたまま、その矢先を虎胤隊に向けている。
近づけば一網打尽となるのはこちらなのは間違いない。
そして武田の軍師荻原常陸介からはしっかりと軍命が下されている。
それは
「預けた兵は一兵たりとも失ってはならない。足軽が河に寄せるまでは奮闘せよ、全軍で今川を扱き下ろしても良い。しかし、今川が業を煮やし馬で渡河を始めたら一目散に陣まで戻り街道に槍衾と柵をめぐらし順次撤退せよ。」
という檄文であった。
鬼美濃も阿呆ではない。
引くべき時は判る。
だからこそ足軽が必死に河を渡ろうとする間は、味方の兵どもに発破をかけ、さらに相手の今川衆をののしり、あざけり、笑い飛ばす
「今川のへなちょこ弓なんぞ怖くはないぞ~。」
太陽が真上に迫ろうかというころだろうか、味方が声を張上げ相手を罵倒する中、業を煮やした騎馬の群れが川岸に集まり始める。
「騎馬が現れた、陣に退却だ。」
鬼美濃は部下どもに声をかけさっさと岸から駆け戻る。
流れがゆるくなっているとはいえ深さもある富士川を渡るのは、騎馬といえ難儀なもの、対岸を何とか渡り切った騎馬隊はその勢いのまま虎胤隊の陣に.迫る。
騎馬柵が何重にも重ねられる陣を今川の騎馬隊は蹴散らしながら進むが、今川の騎馬隊はその陣に少々違和感を抱いていた。
当然厚い槍隊の壁が待ち構えているかと思いきや、陣の防護は薄く、あっという間に柵を破り陣中に雪崩混む。
陣中に散在した足軽はあろうことか武器を捨てあっという間に山中に逃げ込む始末、森の中に逃げ込まれては深追いも出来ないが、街道はがら空きでこれは簡単に追い込めそうである。
「よし、鬼美濃を追い込んでくれよう。」
福島勢の騎馬配下は鞭を入れようとするが、本陣よりの伝令が飛び込む。
「罠やもしれぬ、うかつにとびこまれぬ事。」
昨夜からの物見の報告により、原美濃守虎胤隊の総数は2000を数えその殆どは槍隊であった。
槍は進軍路の狭い路を守るに易く、大島の陣の先はそんな狭い山道ばかりが続く。
「そもそも武田がそんなに容易く河を渡らせるはずがない。あの程度の軍での抵抗など今川にとっては何の損害にもなっていない。武田はここで河を渡らせたいに違いあるまい。」
穴山の里に本陣を張った福島左衛門尉助春はこう述べると、大島の陣を破った騎馬隊の労をねぎらい、助春と直参を引連れ河を渡り騎馬100騎ほどで大島の武田の陣跡を占領すると大きな勝鬨をあげる。
陣を破ったというより虎胤隊が撤退しただけなのだが、本当に陣はもぬけの殻。
富士川東岸を確保した今川軍は馬を渡らせる橋を瞬く間に構築し、大島の陣をそのまま利用してそこに足軽を配した。
退却した武田勢の再侵攻を防ぐためである。
「大島合戦は今川大勝!」
その知らせは、駿河に瞬く間に伝わり、同時に甲斐国中にも不自然なくらい瞬時に伝わった。
そして、その夜福島助春は穴山の本陣に戻ると、幸先の良い大勝に宴を開き、今川本隊は確保した富士川東岸を渡河することなく、そのまま西岸を進むことを決める。
「鬼美濃に付き合い兵を減らすも馬鹿らしい。大島に兵を詰めればそこから鬼美濃も進めまい。負けず嫌いのきゃつの悔しがる姿が目に浮かぶようじゃ、ああ愉快愉快。」
助春に酒を進める穴山八郎信友は、にこやかに困ったような笑顔を浮かべていた。
「まったくもって本当に椿様の言うとおりになってしまった。」
#3-4 原虎胤隊 大永元年九月七日 穴山領 富士川左岸(東岸)甲斐和田郷
1521.9.7 side原美濃守虎胤
一方そのころ、虎胤隊の軍勢は大島郷から山一つ隔てた和田郷との山境で陣を張り、山中から戻ってきた足軽たちを受け入れていた。
とはいえ最初から逃げ出すつもりで指示していたのだから、足軽たちはピンピンしており、負け戦の悲壮感など微塵も見られない。
「いやあ大島の陣を取られましたなあ。」
部下の助左がのんきに声を掛けてきた。
「騎馬は来ねえなあ?」
鬼美濃はそれこそ槍を構えて山道から郷に入る街道前で腕を組んでぶすっと立ち尽くしている。
「せめて物見で十騎ぐらいは駆けてくるだろうよ?」
「いやあ山の中から見張っておりましたが、大島の陣から先には誰一人として足を運ぼうとはしてやいませんでしたぜ。」
「一騎ぐらいはいただろう?」
「うんにゃ、騎馬のおさむらいさんはすべて川向うに戻ってしまいました。」
「おいおい、ここまで引いたら後は好きに迎え撃って良いって常陸介様からも言われてたんだぜ~、なんで誰も来ないんだよ~。」
「はいはい、明日になって大島から動きが無ければ、全軍市川に戻って稲刈りに入れとの事ですからね、明日までしかあっしらも待ちませんからね、早く戻って刈入れしなきゃおまんまの食い上げなんですから、今川軍が来なくて良かったじゃないですか。」
鬼美濃の頭に浮かぶのは先の軍議で、神妙な顔で策を伝えた荻原常陸介の
「大島ではみっともなく遁走を演じ、和田郷まで軍を引き付けたら、反転して一気に今川を蹴散らせよ。褒美は思うがままぞ。」
というありがたい言葉と
「まあ、今川がやって来たらだけどねえ~。」
という笑顔で気の抜けた椿姫の言葉であった。
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