第1章#3 大島合戦 弱っちく負けて逃げるのは、勝つより難しい

#3-1 原虎胤隊 大永元年九月五日 穴山領 富士川左岸(東岸)甲斐大島郷

 1521.9.5 side原美濃守虎胤


朝から俺は機嫌が悪かった。

そもそも自分は、上総の国千葉郷からこの甲斐の国に流れてきて取り立ててもらったよそ者である。

よそ者が認められるためには戦働きしかない。


しかし今回は、

「渡河した部隊に、みっともなく負けよ。」


という、どうも我慢できぬ役割である。


しかもこの部隊には騎馬は付かない。


弓と槍だけの部隊で相手に対面するは、どうにも卑怯くさいと思ってしまう。

どうも新しい国府に移ってから、御屋形様は正面から戦う姿が少なくなってきた。


勿論それは甲斐が収まってきたということでいいことのはずなのだが、御屋形様が信虎と改名したころのなんというか獣のような勢いに必死でついていったあの頃が自分には妙に性に合っていたのだ。

武田の武士はみな男道が好きである。

男道とは、気に入らんことは正面から力で語り合い、卑怯を嫌う。

負ける戦など策を弄するはわが道にはふさわしくはない。

今川の弱兵など、いっそこちらから攻めて勝ってしまってもいいのではないか?


しばし目を閉じ、御屋形様の普段の言葉を思い浮かべる


「戦は、勢いだ。いろいろ策をめぐらせようと、強いものがばーっと押し込んで、ががっと蹴散らせばあとは腹をくくったもんが勝つもんよ。」

ふふっ。まさに虎のようなお方だ、勝ってしまったらお叱りを受けるかもしれないが、まあ、今川が弱いのが悪いのだ。

要は大軍が河を渡ってこないように勝ち続ければいいのだ。

そもそもわしらが負ければ勢いづいた今川は必ず我らを追ってくるに違いない。

そもそもこちらの路を通らせないのが役目なのだから、勝たねば意味がないではないか。


よし、油断しているうちにこちらから攻めるに限る。



#3-2 大永元年九月五日 同刻 甲斐府中 躑躅が崎館 side信虎


「などと、鬼美濃なら思っているはずです。」

荻原常陸介は信虎にこの度の出陣の理由を説明していた。


「そうであろう、鬼美濃が負け戦など受けるはずはないのだ。きっと我武者羅に攻め立てるだろう。」これまでも多くの厳しい戦を共に戦った男だからこそ、大軍であろうと原美濃守、通称鬼美濃が臆するわけがないのだ。

どうやって無様に負けられよう??


「大将の福島殿は今川の智将であります。今まで我らが駿河に浸入しては蹴散らしてきた農民兵とは違います。だからこそ、福島殿は甲斐の境で出迎えた穴山衆が大人しく従っていても、何時裏切るかと決して疑いの目を緩めることはありますまい。」


「だからこそ、鬼美濃には、負けてもらうのだな。」


「大丈夫虎ちゃん、原美濃守様は今回は、今川が大勝して河を にしてくれるだけだから。負ける訳じゃないよ。」

椿がのんきにけらけら笑う。

(渡りたくなるんじゃなくて渡りたくなくなる??)

俺にはその言葉が頓智でも聞かされているようでまったく意味がわからなかった。

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