第1章#2 今川侵攻 甲斐国国境河内地区穴山領1521.9.3
時は二か月ほどさかのぼる。
大永元年九月三日(現在の暦でいうと10月1日)、駿河今川の重臣、福島左衛門尉助春を大将とする総勢1万を超える大軍が甲斐に侵攻した。
物見からの報告で、駿河との国境である河内地区穴山領に隊列が迫る。
領主穴山甲斐守信綱嫡男穴山八郎信友は透波(すっぱ・・・武田軍の斥候組)にその情報を伝えると、急ぎ供のものを引き連れ、国境の砦に馬を引いた。
長く続く軍列の先頭に馬印を掲げた3頭の鎧武者が構え、国境の砦の前に立つ。
しばらくして砦の閂が引き抜かれ、ゆっくりと扉が開き、今川方の先ぶれの馬を丁寧に出迎える。
「武田八郎信友、今川様方の軍列、お待ちしておりました。我らは弓引く気はございません。万沢集落に陣屋をご用意しました。ご案内仕ります。」
信友の用意した陣屋まで、隊列はゆっくりと進む。
「今宵は宴の用意がございます。皆々様是非ともごゆるりとお休み下され。」
#2-2 軍議 大永元年九月四日早朝、躑躅が崎館 1521.9.4 side信虎
「穴山より透波、八郎殿陣屋にて今川軍逗留とのこと、予定より1週間以上早く侵攻が始まりましたな。さて、北に向かうか東に河を越えるか?」
中心に座る俺の横で、板垣のじいが言葉を切る。
駿河と甲斐の国境でもある万沢集落から甲斐府中ヘ向かう道筋には富士川右岸を北上し身延山を通って鰍沢に至り、大井の牧から東に折れて甲斐府中に向かういわゆる駿信往還路と一度富士川を渡河して左岸を上り、下部の湯の横を進みながら、市川の里を経由して甲斐府中に向かう、八代路がある。
どの道を通って進軍するかで備えの体制が変わる。
「兵部、鰍沢の関まではいかほどで進む。」
俺は穴山の北、飯富の地を守る飯富兵部に尋ねる。飯富の地から鰍沢までは約3里(12km)
「十五里といったところ、1日と半で届きましょう。」
「刈り入れはあとどれほどかかる。」
「八代郷であと5日、甘利荘であと7日ほど」
「3日足りぬな。してどうする?」
飯富兵部の声が止まる。
穴山殿に3日の足止めは内通を疑われる。
相手の大将に媚びて褒めて先の非礼を詫び、荷車に大量の兵糧を用意せよと策を指示してある。
実はこの策は家臣の誰もが反対した。
何故大軍を利する策を授けるのか、そもそもそのまま穴山家は機を見て今川に寝返りかねない、正直俺も気が進まない。
そこに、軍議の場には凡そふさわしくない鈴のような声が響く
「常陸介、孫子曰く。用兵についてあったわよね。」
お腹が随分と目立ってきた椿が武田軍の軍師である荻原常陸介昌勝に問いかける。
「はっ、はばかりながら申し上げます。用兵の法は、十なれば則ち之を囲む。五なれば則ち之を攻む。倍すれば則ち之を分かつ。敵すれば則ち能く之と戦う。少おやなければ則ち能く之を逃る。若かざれば則ち能く之を避く。故に、小敵の堅なるは大敵の擒なり。」
良くとおる声で朗々とうたい上げる。
「つまりどういうことだ?」
俺にはさっぱりわからん。
にこやかに俺の妻はほほ笑みかけるとそのまま俺の声を無視して
「今川の軍勢はいかほどか?」
透波の者に聞く。
「はっ椿様。およそ1万と聞きますが詳しくはまだ。・・・」
透波は申し訳なさそうに俺の妻に平伏する。
「よいよい、今の今で正確な数は分かるまい、して・・」
椿は室町幕府を開いた足利将軍尊氏の親族衆として活躍した武田信武の3男が分家して出来た武田大井家の血統を持つ甲州の西部地区を治める大井一族の姫であり、俺の正妻だ。
だからこんな軍議の場にふさわしくない女人がこの場を取り仕切るのはおかしくはない・・・はずだ、いやおかしいだろう?
なぜ俺の方をみな向かない・・・
椿は柔らかく微笑んだまま続ける。
「右兵衛尉、わが軍勢はいかに」
続けて両職(りょうしき・・・筆頭家老)の板垣右兵衛尉信泰に尋ねる。
おい、俺を無視するな、まあ答えられんけど。
「騎馬衆が2000騎、供回り衆足軽含め2万といったところ。」
「して、今川に差し向けられるのは、いかがほど。」
「今は刈入れの真っ最中につき、騎馬1000騎、足軽4000として5千がめいっぱいかと。」
「ぜんぜん無理よね。常陸介、虎ちゃんに説明してあげて。」
おい、虎ちゃんはやめろ、軍議では御屋形様と呼べと・・・。
「は、お北様(信虎の奥方椿の呼称)。御屋形様、つまり孫子がいうには、軍勢が敵の10倍なら敵を包囲すべき。5倍ならば、敵を攻撃せよ。倍であれば、相手を分断せよ。敵の兵力にまったく及ばないなら、敵と戦ってはならないと。」
「そうね、虎ちゃん、つまり今川と正面から戦うのは無理なのよ。」
「それではみすみす・・・」
「虎ちゃん、甲斐の国にとって今一番大切なのは何かわかる?」
「今川から民を守ることだろう。」
俺は当然のように椿に向かって腕を組む。
「違います。収穫を迎えた田を守る事よ。この米が無ければ甲斐の民は冬を越せず、兵を養うこともできません。今川の駿河は甲斐よりも暖かいので、稲も半月は早く収穫できます。今川の軍勢は稲刈りを済ませて甲斐に上ってきます。甲斐の軍は領地の田圃を仕上げてからでないと立ち向かえません。」
「しかし、今川が先に攻めてしまえばどうしようもなかろう」
「だから今回は穴山衆には頑張ってもらいます。穴山の西河内路をなるたけゆっくり進軍してもらいたいのよ、どうせ山間の穴山領は田圃も少ないしね、率先して今川を歓待してもらいます。」
「足軽4000のうち2000で、大井の田を刈ります。残り2000は、市川陣場より急ぎ東河内(富士川東岸)大島に向けて布陣して渡河を防ぎます。勝つ必要はありません。大軍が東岸の路を進むのを諦めれば八代の稲刈りの日数が稼げます。」
常陸介は軍策を説明する。
「しかし、兵を大井に向けさせるのですか、大井はお北様の故郷、大井衆ではとても1万の軍は支えられますまい。」
宿老の甘利備前守虎泰が声をあげた。
「大井の富田城で支えます。富田の城は虎ちゃんが大敗した城、稲刈りさえ済ましてしまえば広い深田が広がり、騎馬は容易に進めません。今川も用心して進むでしょう。」
椿はしっかりとした目を備前守に向け言い放つ。
「しかし、富田の城は、今川も縄張(城の見取り図)を良く知る城、先ほどの戦では大井と今川が共に戦って御屋形様と立ち向かった城ではありませんか!」
そう、富田城は、俺が、椿の親父である大井武田家、武田高雲斎信達と今川の連合軍と戦った時に嵐の後の富田城前の深田に馬の足をとらえ惨敗したという黒歴史を持った城なのだ。
しかもその城代として指揮を取りやがったのが目の前の椿である。
ちなみにこいつの親父も兄弟も戦はからっきしの、歌ばかり上手いという、言うなれば公家みたいな武将家だからみんな甘く考えてたんだよな。
今思い出しても負けたのは恥ずかしかった・・・・
「富田の城はある程度押さえたらさっさと渡しますっ。」
椿は平然ととんでもないことを言う。
「大切なのは米であって城ではありません。それに今川とて、自軍を休ませるために城が手に入れば、その城を焼きますか?」
「大井の里のすべての田の草刈りを足軽と住民で済ませ、稲のまま北の甘利の里に運びます。備前守様、ご苦労様ですが、民はすべて甘利の里で受け入れてくださいませ。大井の里には城と騎馬1000のみ残します。するとどうなります。」
「兵が寄せてきたら、城で弓を射掛け、一押ししたら騎馬で逃げるか。」
荻原常陸介、何したり顔でうなずいてんの?
逃げるって何?
戦わないの??
「ふむ、してその先は、」
俺はいかにも判っているような顔をして椿に声を掛ける。
「そのまま北の八田の牧を回って富士川の西岸をぐるぐる追いかけっこなんて素敵じゃない、まさか私たちの庭である牧場で駿河の馬も追いつけないでしょ。それに原方は、月夜も枯れる水無しの荒地、いくら兵が寄せても荒れる田は無いでしょ。半月も追いかけっこできると面白いと思うのよね。あとは・・・そうねこれは常陸介と話しましょ」
なんか椿の顔が悪い顔をしている?
「承知、皆の者これはいけるやもしれませんぞご安心召され。」
荻原常陸介は周りの者に声をかけると、軍議を納めてしまった。
「おい、俺の役割りは」
軍議の間俺は座っているだけだった。
「虎ちゃんは、私の肩をもんでね。もうすぐ臨月だから肩が凝ってつらいのよ。」
皆の前でそういう事をいうな、おいっ常陸介今、笑ったろおいっ。
かくして甲斐の国の富士川の西岸に広がる大井の領地を舞台にした大井の牧今井軍囲い込み作戦がひっそりと幕を開けた。
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