第14章
「それにしても、引っ越し先の目星がついてよかった」
「そうだね。静かに暮らせそうな場所が見つかってよかった。あとは物件を決めることだね」
シズネとユウキは今住んでいる場所から別の場所に移ることを決め、早々に引っ越し先を二人で相談した。その結果、短期間でめぼしい地域を見つけることができた。ここまでとんとん拍子で進むあたり、やはりユウキは頼りになる。
目星をつけた地域はかなり田舎で、人よりも野生動物の方が多い土地であった。そんなところで若者二人が生きていけるのかという不安はあったものの、電気やガスも通っており、人も少なからずいる。それに、バスを使えば栄えたところにも行ける中々の立地であった。それならば問題ないだろうと二人は考え、一段落したのだ。
そして、シズネとユウキは気分転換も兼ねて久しぶりにスーパーまで一緒に買い物に向かっていた。今でこそ晴れているが、夜からは雨の予報となっていた。
「俺はネットさえつなげれば仕事はできるし、あそこは生活費もあまりかからなそうだから、金銭面もクリアできそうだな」
「私も、向こうでの仕事見つけないとな」
「別に無理する必要はないよ、ある程度は俺が稼げるから。それに、仕事という形にこだわらずに、シズネがやろうと思えることを見つけていこう」
ユウキは隣を歩くシズネに優しく微笑みかけた。
「うん。ありがとう」
今までユウキの命令により、口に出すつもりのないこと、ユウキに不快な思いをさせてしまうのではないかということを、シズネの意志に関係なく言ってしまった。それに、命令をされたときの自分の行動は、今でも思い出すだけでどこかに逃げ出したくなるものだった。それでもユウキは、シズネのどんな言動も受け止めてくれた。そのおかげで、最近は言いたいことを言うことができるようになってきた。その様子に、ユウキはついに命令を解除した。しかし、シズネにとって命令がないのは少し物足りないよう感じられてしまった。そんなシズネの心情を察してか、ユウキは新たに命令を加えた。「次からは嬉しかったら、俺に言って」という命令を。
そうやってシズネに優しくするユウキであったが、時折何か欲求を堪えているようだった。おそらくそれは独占欲で、今まで恥ずかしがってきたシズネを案じてか、シズネのペースに合わせてくれていた。しかし、全て受け入れてくれたユウキにならどんな姿でも見せられる気がした。
そのことをどうやって伝えようか考えながら歩いているうちに、見慣れたスーパーが見えてきた。すると、正面からちょうど買い物を終えたばかりと見られる女性がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。買い物袋を提げた女性を避けるために、ユウキはシズネを壁際に寄せながら、シズネの一歩前にでた。しかし、女性は周りを見ていなかったのか、そのままユウキにぶつかり、買い物袋の中身をばらまいてしまった。
「あ、すみません」
ユウキは慌てて振り向き、かがみながら女性が落としたものを拾い始めた。シズネも手伝おうと振り返り、女性の方へ足を向けた。
その瞬間、背後から口元を何かで押さえられ、後ろに引っ張られた。突然のことに何もできずにいるうちに、近くの車に引きずり込まれ、目の前でドアを閉められた。
慌ててシズネはなんとか逃げ出そうとするも、複数の男たちに体を掴まれ、逃げることはおろか抵抗することもできなかった。助けを求めようと声を出そうとするも、塞がれたシズネの口からはくぐもった声しか発せられず、その声も車のエンジン音にかき消されてしまった。どうすることもできずにシズネの乗せた車は発進し、遠くからシズネを必死に呼ぶユウキの叫びのみを残して車は速度を上げていった。
シズネを捕らえる男たちはその場で何かをする訳でもなく、ただ逃げ出せないように両手と口元をガムテープで塞いだ。足元だけは縛られなかったため、逃げ出せないとわかっていても、シズネは足だけで抵抗をした。しつこくもがこうとするシズネを男たちは煩わしそうに押さえつけた。
「今回こそ、こいつで合ってるんだよな。さすがに二回も間違えられないぞ」
足を押さえつける男が不安げに呟くと、ガムテープでの拘束を終えて手持無沙汰となった男は、車内に置かれていたハサミを拾いあげた。ハサミを手にシズネへと視線を向ける男の姿に、シズネはさらに抵抗をするも、男たちは押さえつける力を強くするのみであった。そして、男は手に持ったハサミでシズネの腕を軽く切りつけた。シズネが腕の痛みに小さく声を上げると、その男は血が噴き出しそうになっている腕の傷口を舐めた。シズネは不快感で思わず身体をよじらせる。
「この味なら間違いない」
男の言葉を聞いて、シズネは一気に血の気が引いた。男の言葉で、話題になっている行方不明事件は吸血族によるものだとシズネは確信した。そして、自分も同じようにその関係者に攫われているということに身が震えた。しかも、男たちの話しぶりから、ユミが行方不明となったのは、自分と間違えられたためのようであった。自分のせいで無関係の人を巻き込んでしまったことに、シズネはただ自分を責めるしかなかった。
恐怖が後悔に変わる中で、落ち着きを取り戻したシズネは、車の中の男たちを観察した。今車にいるのは、運転席で運転する男一人と、シズネの周りにいる男二人だった。シズネの血を舐めた男の言葉から、彼は血の味が分かるよう進化した協力者に違いない。他の男たちも、恐らく元々は行方不明になった者たちで、今は協力者として動いているのだろう。また、彼らが皆体格のよいことから、協力者の中で人を攫うのに向いたものが選ばれたのだろう。つまり、攫う人を選別できる程度には協力者に余裕があるということだとシズネは考えた。
かなりの協力者がいると思われる中でユウキが助けに来るのは、かなり危険であることは明白だった。シズネはショッピングモールでのことを思い出し、ゾッとした。ユウキが危険な目に遭うくらいならば、自分一人が犠牲になる方がましであった。
―違う。これからは何が起きてもずっとユウキと一緒にいるんだ。どんな形でも、何を失っても―
決意を固めたシズネは、押さえつける手から逃れようと再び抵抗を始めた。
「あぁ、また暴れだした。薬でも飲まして大人しくさせることができれば楽なんだけどな」
「そうすると、血の味が落ちるかもしれないだろう」
血という言葉でシズネの頭で何かがよぎった。極上と言われる自分の血は、吸血族にとって美味しそうな匂いであるらしい。ユウキはどちらかというと血の味に鈍感な方であるが、それでも血の匂いは多少分かるようだった。
シズネは多少の自由が利く指を動かし、手の平に爪を立て、出血を試みた。また、口もガムテープで押さえられているが、多少動かすことはできるため、唇を思い切り噛んだ。シズネは車が目的地へとたどり着くまでの間、出血を途切れさせないように、手の平には爪を、唇には歯を突き立て続けた。
*
あまり時間の立たないうちに、シズネを乗せた車は停車し、エンジンが切れた。すると、男たちはシズネを車から降ろし、シズネを自分の足で立たせた。たどり着いたのは、明らかに今は使われていない小汚い小さな建物だった。
シズネが建物や周囲を見ていると、男たちが後ろから背中を押す形でシズネを無理やり歩かせた。抵抗しながら無理に入らされた建物の中は外見同様小汚く、電灯も点いていなかった。奥で外の光が垂直に差し込んでおり、真っ暗ということはなかったが、それでも中の様子が細かく分かるようになるには時間がかかった。
ようやく目がこなれると、入り口の近くには若い男が暇そうにぼんやりしていた。再び後ろから押され、無理やり歩かされると入り口から少ししたところに昇り階段があった。
「三階まで上れ」
下手に抵抗をしようものなら、体格のいい男たちに問答無用で担がれる雰囲気があった。それくらいならばせめて時間稼ぎをと、シズネはできるだけ時間をかけて一段一段を上った。前の男を追うようにと、後ろの男二人から急かされながらたどり着いた二階には開いたままのドアがあった。そこからはうめき声や泣き声のような声が小さく響いていた。
犯人の吸血族に無理やり協力者にされたんだろうと想像し、申し訳なさに駆られながら、シズネは二階を後にした。
三階までの階段を上る間、不意に足元をネズミが駆け抜け、シズネは思わず腰を抜かしてしまった。ネズミが住み着くような場所に連れてこられたことに、不快さを感じながら立ち上がると、再びシズネは上り始めた。
未だ先ほどの驚きが収まらぬうちに三階にたどり着くと、シズネの前を歩いていた男は正面のドアをゆっくり引いて開けた。その瞬間中から何匹ものネズミが飛び出し、再びシズネは驚いて腰を抜かしてしまった。この光景に男たちは驚いた様子を見せることはなく、シズネを立ち上がらせると、部屋に入るように指示をした。
部屋の中は完全に閉め切られているのか全体的に薄暗かった。奥には小さな灯りがついているものの、入り口付近はドアを閉めると階段よりもずっと暗かった。そのため、男たちから進めと指示をされても、足元に何があるか分からない中でシズネはなかなか進むことができなかった。
時間をかけて部屋の奥へと向かううちに、ようやく目も慣れてきて、部屋を見渡せるようになった。やはりこの部屋も小汚く、足元にものが散乱していた。そして、シズネの向かう方向には、三人の男女がテーブルに向かって腕を差し向け、それを一人の眼鏡の男が見守るという奇怪な光景が広がっていた。眼鏡の男はシズネに気が付くと、シズネを連れてきた男たちに向けて声をかけた。
「遅かったね。待ちくたびれたよ」
「すいません。なかなかうまいタイミングがなくて。でも今回は間違いないです」
シズネを連れた男たちは眼鏡の男に頭を下げながら、シズネを突き出した。近くで眼鏡の男の顔をよく見て、思わずシズネは息を飲んだ。その男は行方不明とされていた生物学の教授ナガモリであった。事の発端の吸血族である吸血族が、行方不明者の中で有名なナガモリであることにシズネは驚きを隠すことはできなかった。
「それはよかった。それじゃあ、この子を君たちと同じように仲間にしないとね」
ナガモリの言葉に、シズネは驚きを忘れ、一つの疑問が生じた。ナガモリはシズネを協力者にしようとしている。しかし、シズネは既にユウキの協力者である以上、もう他の吸血族の協力者になることはない。そんな中で、なぜナガモリたちがシズネを連れてきたのかシズネは疑問に思った。もし、彼らがそれを知らずにここまで連れてきた場合、もう既に協力者であることが知られれば、どうなるか分からない。用済みとなって、殺される可能性もある。焦ったシズネはどうにか打開策を見つけようとするも、この危機的な状況を回避できるだけのものを思いつくことはできなかった。
「さて、どいた、どいた」
ナガモリが声をかけると、テーブル周りで腕を差し出していた男女はゆっくりと立ち上がり、壁際へと寄った。
「主様が絶品の血の持ち主を見つけて連れてくるように指示をしてから、随分と時間がかかってしまったよ」
ナガモリの言葉にこの危機的状況を回避しようとするシズネの思考は遮られた。そもそも、シズネは指示をだしているナガモリが吸血族だと考えていた。しかし、今のナガモリの言葉によると、主様と呼ばれる別の吸血族が別にいるということになる。
「君も主様の家畜の仲間入りだ」
まるで死刑判決のような言葉を発しながら、ナガモリは不敵な笑みを浮かべた。そしてシズネを連れてきた男たちは、口元のガムテープを剥がすと、シズネの上半身をテーブルに押し当て、ガムテープが巻かれたままの腕をテーブル中央へ差し出させた。
「いや、やめて」
いよいよどうすることもできなくなったシズネは、恐怖に震えながら腕を差し出した方へ視線を向けた。視線の先では、ナガモリたちが主様と呼ぶ存在が近づいてきていた。
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