番外編 男とナツミ

「おい、ナツミ。水とってくれ」

 ナツミは冷蔵庫で冷やしている水をコップに入れて差し出した。自分の立場を理解しているナツミは命令がなくても動く。

「あ~もったいなかったな。あのショッピングモールの女」

 俺は受け取った水を一気に飲み干すと、昨日の後悔を思い起こした。

 しかし、そうは言いつつも現実的には二人も奴隷を飼うだけの資金がない。そのため、あの極上の女があの野良のものでなかったとしても、自分の食料用の奴隷にすることは冷静に考えればどのみち無理な話だった。

 小腹が空いたなと思い、時計を見るともう夕方である。休日はあっという間に終わってしまう。

 俺はキッチンに向かうと、簡単にレトルトのパスタを用意した。一つはテーブルの上に置き、一つはナツミに直接手渡した。ナツミは小テーブルに自分の皿を置くと、俺が食べ始めたのを確認して食べ始めた。

 横で食べているナツミを横目に俺は今後のことを考えながら食べ始めた。しっかり世話をしたおかげかナツミは長いこと生きているが、そろそろ限界だろう。終われば次を探さなければいけない。二人分の生活費を稼ぐのも大変だし、金持ちを狙うかと思うが、金持ちはやわですぐに死んでしまいそうだ。それか、次はなるべく身の回りや食事は自分でやらせて、もっと長くもつにするというのはどうだろう。

 食べ終えてもなお、そんなことを考えている間にいつの間にかナツミが横に立っていた。

「なんか用か?」

 ナツミは白い顔で、小さく声を発した。

「命令を下さい」

 ナツミは命令とその命令の快楽で従わせている。今日は一度も命令をしていないから、快感が欲しくてたまらないらしい。

「今日はだめだ。廃人になったら、後の世話が面倒だろ。明日は命令してやるよ」

 ナツミは表情もなく、部屋の隅に座り込んだ。

 ナツミの前に飼っていた奴隷も、手っ取り早く大人しくさせようとしたら、廃人と化してしまった。そのせいで、生きる最小限度のことも命令をしなければ動けないようになってしまい、みるみる衰弱して、その後の苦労虚しくあっという間に死んでしまった。ナツミも廃人になられたら、またあの苦労をしなければならないのかと思うと、思いやられる。

「そんなに命令が欲しいなら、お前の最期は死ぬほど命令してやるから、今は黙ってご飯を全部食べとけ」

 ナツミは静かに小テーブルに戻ると、残ったパスタを食べ始めた。

 放っておけば簡単に死んでしまうからと、わざわざ二人分の食事を用意したというのに、それを残すだなんて、人の苦労を無駄にさせるつもりか。

 俺は食事を終えると、使い終わった皿をシンクに持っていった。今は皿を洗う気にもなれず、そのまま放っておいて、布団に寝転がった。

 ナツミはと言えば、ようやくパスタを食べ終え、最後の一口を水で流し込んでいた。これだけ衰弱していればもう長くはないだろう。もって数週間だろうか。

「おい。お前もそろそろもう終わりだから覚悟しておけよ」

 ナツミは驚く素振りもなく、ゆっくりとこちらに視線を向けた。

「もう用済みってこと?」

「ちげーよ。今の調子で行けば、お前の命はそろそろ終わるだろうってことだよ。そのときは山の中のとかが死に場所になるからな。まぁ、そろそろ今まで以上に豪勢に飲ませてもらうことになるから、思いの外早めにそのときが来るかもしれないがな」

 ナツミは虚ろな視線を向けたまま口を開いた。

「なんで最期まで捨てないの?」

「話聞いてたか? 死ぬお前を山の中に捨てに行くんだっての」

 こんな都会のど真ん中で死なれたら、後処理が大変だ。だから、死ぬ前に人目につかないところに行って、そこで死ぬまで血を飲んで捨てればいい。

「わざわざそんな面倒なことをしなくても、その前に関係ないところで死ぬように命令でもすればいいんじゃないの?」

 俺は驚いた。ナツミの質問自体にも驚いたが、廃人になりかかっているのかと思ったが、案外まだ冷静にものを考えられる状態であったことに驚いた。

 今まで、対等な会話をしなかったのだから、気付かなかったのも当然である。

「そりゃ、当然だろ。飼い主として最期まで責任を持つのは」

「でも、劣等種の奴隷なんでしょ」

 当たり前のことをわざわざ奴隷に説明しなければならないことに苛立ってくる。

「あのなぁ。お前らは放っておくと簡単に死んじまうだろ。だから、お前らを奴隷とする以上、飼い主として最低限面倒を見る必要がある。だから、最期まで責任を持つだけだ」

 ナツミはポカンとした表情を浮かべた。そして、しばらくしてから力なく微笑んだ。

「変なの。でも、ありがとう」

 俺は理解できなかった。自分がしていることは生きるために必要なことで、罪悪感なんて全く持ち合わせていないが、少なくともお礼を言われるものではない。

「お前、分かってんのか? お前の死期が近いって話だぞ。たとえ、劣等種でも死にたくないって考えるだろ」

「もちろん、死ぬのは怖いよ。けど、ここに連れてこられて毎日血を飲まれているうちにその感覚も薄まってきちゃった。もう失踪して長らくで、今更家族を悲しませることもないし。それに、最期は快感の中で看取ってもらえるなら思い残すことはないかなって」

 いつだったかTV番組で見たことがある。捨て犬と一緒に暮らして、最期は家族に看取られて幸せに息を引き取るという話。こんなもの人間側から見たエゴに過ぎないだろうと考えてきた。

「……。どんな死に方がいいんだ。最期くらい好きな死に方を選べ」

 俺は自分で口にしたはずの言葉で、今まで感じたことのない胸の痛みを感じた気がした。

「特にないよ。快感の中で看取ってくれればそれでいい」

 俺は寝返りを打って、ナツミに背を向けた。

「じゃあ、来週行くから、心の準備をしておけ。それと、それだけ喋る元気があるなら、皿でも洗っとけ」

 食料用の奴隷など、所詮は使い捨てだ。余計な関わり合いは不毛だ。

 でも、もし食料用の奴隷を使い捨てで無くなれば、どうなるのだろうか。

 俺は小さく舌打ちをすると、余計な考えを振り払うように、目を閉じた。

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