第12章

「ただいま」

「おかえり。ご飯ちょうどできたところだよ」

「ありがとう」

 シズネが簡単に荷物を片付けている間に、ユウキはメインであるサバの味噌煮の他副菜をテーブルに並べた。そして、二人とも支度を終えると、いつも通り、夕飯を食べ始めた。

「実は、今日オキツさんから電話があったんだ」

 ユウキはご飯を食べながら、タイミングを見計らって切り出した。

「オキツさんから? 珍しいね」

 オキツとは病院でお世話になって、連絡先を交換していた。普段は互いに連絡をとることなど滅多になかったが、今日は珍しくオキツから電話がかかってきていた。

「あぁ、俺もそう思ったよ。気になることがあって、念のため俺たちに知らせておいた方がいいだろうということだったんだ」

「気になること?」

「最近、この地域で行方不明者がでているらしい」

「そうなの? あんまりそういう話を聞かないけど」

「うん、公には行方不明者がでているという報告は出ていないらしい。だけど、噂によると、疑わしい話はかなりあるけど何分はっきりと行方不明だって断言できないものばかりで、公になっていないようなんだ」

 奇妙な話にシズネは怪訝な顔を浮かべた。

「例えば、行方不明かと思ったら突然帰って来て何もなかったと証言したり、そもそも置手紙を残して姿をくらましたり。そんなことが多いから、人が消えても、また同じことかもしれないからと、誰も気に留めなくなっているらしい。しかも、この地域だけの事件かと思いきや、他の地域でも行方不明者が出ているとか。他にも話を大きくするために、わざと失踪しているとか。とにかく、妙な噂が多いらしい。かといって、何が確かな情報かも分からないから、事を大きくしたいだけデマの可能性もあるみたい」

「うーん。もし、その話が本当なら、確かに変な話だね。でもそれって全部噂となると、どう捉えるべきか悩ましいな。もしかすると、本当は深刻な事件かもしれないし、はたまたただの偶然ってこともありうるし」

「そう。だから、オキツさんも杞憂かもしれないけど、念のためにということだったらしいんだ」

「そうなんだ。どちらにせよ少し気を付けた方がいいのかもね」

 ユウキもオキツから説明を受けて、不確かな情報が多かったため、全てを鵜呑みにすることはできなかった。しかし、もしそれが本当ならと思うと、かなり気になる話であった。同じようにシズネも少し気になるのか、スマホを操作すると、あっと声をだした。

「有名人で失踪している人がいるんだ。ナガモリ教授、生物学の教授なんだって」

 シズネはスマホの情報を一部読み上げた。一部記事ではノーベル賞候補とも紹介されているらしい。

「本当?」

 ユウキは思わずテーブルの角を挟んで座るシズネのスマホを覗き込んだ。行方不明になっていることが公にされていないにも関わらず、公になっている人の存在がいるというのはどうにも気になる話だった。

「あれ、でもこの人が行方不明になったのって、ここら辺とは離れているみたいだね。それに、行方不明になったのも結構前みたいだし、関係ないのかも。なんだかいよいよ何が本当の話で、関係があることなのかわからなくなってきた」

 シズネの言う通り、記事をよく見ると、ナガモリという教授が失踪したのは半年以上前の話だった。一方で、オキツが言う行方不明者に関する噂はここ数か月のことで、直接関係がないようだった。それに、シズネが意識を失っていた期間というのは、いわば連絡がとれず行方不明になっていたということになる。それがしばらく経って戻ってきたという事例もここにあるのだ。

 しかし、だからと言って、この一連の話がただのデマになるという訳ではない以上、ユウキは安心することができなかった。

「本当だね。どこまでが本当のことか分からない以上、警察でも探偵でもない俺たちが悩んでも意味がないな。俺らは俺らで出歩くときは気を付けることにしよう」

 そう言って、食事を終えたユウキとシズネは、食器を片付け始めた。

「そうだ、今日は飲む?」

 ユウキがお風呂に向かおうとすると、食器を洗うシズネが呼び止めた。

 シズネが協力者になって血を飲まれる耐性を付けたため、最近は毎日に近い頻度でユウキは血を飲んでいた。しかも、ユウキが満足するまで飲むため、日によってはかなりの量の血を飲んでいた。

「昨日たっぷり飲んだから今日はいいよ。明日飲ませてもらうよ」

「わかった」

 そう言って、シズネは何事もなく食器洗いに戻った。


*


「だいぶ買っちゃったね」

「そうだね」

 ユウキとシズネは久しぶりに二人揃っての買い物をした。近所のスーパーで買い物を終えると、二人で買い物袋を手に帰り道を歩いた。先に買った日用品と合わせるとかなりの量になっているのを見て、ユウキもシズネも買いすぎたことを後悔した。

「このくらいなら俺が持つよ」

「いやでも」

「じゃあ、これを持ってくれればいいから」

「これ一番軽いのだよ!」

 久しぶりの贅沢品として買ったケーキの入った箱を渡すと、シズネは声を上げた。

「これじゃあ、私、買い物の荷物を増やしに来たようなものだよ」

 シズネはユウキに向けて何気なく言葉を発すると、はっとした表情を浮かべて、そっぽを向いてしまった。

「大丈夫。第一、今の俺が中途半端にケーキを持つより、シズネがケーキを持った方が安全だから」

 帰り道の間、ずっと視線を合わそうとしないシズネと並んで、ユウキは部屋までの道を進んだ。

 ユウキがシズネに命令したあの日のことは、触れないことが暗黙の了解となっていた。元々ユウキはあの日のシズネの言動を気にしてはいなかった。それどころか、一時的にでもシズネが感情のままに動いてくれてよかったとさえ思っていた。しかし、シズネは命令が発動する度にそのときのことを思い出すらしく、その度に、全くユウキと視線を合わせずに、黙ってしまった。それ程、シズネにとって、正気を失ってからの言動は恥ずかしいもののようだった。段々申し訳なくなって、命令を解除しようかと思ったこともあったが、シズネが嫌なことはちゃんと嫌だと言えるようになるために、ユウキは命令を続けることにしていた。

 もうそろそろ命令を解除してもいいかなどとぼんやりしていると、ユウキは不意に嫌な気配を感じた。思わず振り返るがそこには買い物帰りの人、近所のお年寄りと見受けられる人がいるだけで、何も変わったことはなかった。

「どうしたの?」

「あ、いや、誰かに見られていたような気がしたんだけど、気のせいだったかな?」

「本当? 荷物も多いし少し急いで帰ろうか」

 シズネは今までそっぽを向いていたというのに、いつの間にか気持ちを切り替えていた。速足で帰る最中も、ユウキは少し胸がざわめくのを感じていた。

「来週、帰りが遅くなるって言っていたよね」

「うん。職場の飲み会で遅くなると思う」

「俺、迎えに行くよ」

 今まではプライベートに立ち入らないようにしていたのに加え、気を遣わせてしまうことをシズネが好まないため、どんなに帰りが遅くとも迎えに行くなんていうことはなかった。それでも、無性に気になったために、シズネが嫌がるのを承知で提案した。

「え? わざわざ? いいのに」

「一応念のため」

「……わかった。じゃあ、駅まででいいよ」

 シズネも少し困惑したようだったが、ユウキの心情を察してか、嫌とは言わなかった。

 そうこうしている間に、部屋までたどり着いた二人は、手分けして買った商品を片付けていった。片付けを終えると、シズネに持ってもらったケーキとコーヒーでアフタヌーンティーならぬアフタヌーンコーヒーを始めた。

 無機質なマグカップと皿に盛りつけられ、とてもアフタヌーンコーヒーなどと呼べるものではないが、スイーツだけを見れば豪華そのものだった。

「たまにはこういう贅沢もいいね」

 シズネは余程楽しみなのかそわそわしていた。待ちきれなくなったシズネはショートケーキを口にしながら、顔をほころばせた。満足そうなシズネを横目にユウキは自分のモンブランを口にした。

「うん、美味しい。モンブラン一口食べる?」

「ありがとう」

 ユウキがモンブランを一口シズネに食べさせると、シズネはゆっくりと味わってから「美味しい」と呟いた。

「はい、じゃあこのショートケーキも」

シズネはたっぷりイチゴを含んだショートケーキを器用にすくうと、そのままユウキに差し出した。ユウキは差し出された一口にかぶりつく。

「ショートケーキも美味しいね」

「うん、どっちも正解だった」

 ユウキはどちらのケーキも味わい尽くすと、コーヒーに手を伸ばした。不意にシズネの視線がユウキの方に移る。

「あれ、このコーヒーいつもと違う。いつもより美味しい」

 今日のコーヒーは普段飲むコーヒーよりもコクが深く、甘いケーキにちょうどよい苦みがきいていた。それに、ケーキにばかり気をとられていたが、今日のコーヒーはいつも以上に薫りが立っていた。

 同意を求めようとシズネの方を見るといつの間にか、シズネは荷物をあさっていた。何事かとその様子を見守っていると、シズネは開封した跡のあるオシャレな箱を取り出した。

「実はバレンタインも近かったから、プレゼントを用意したの」

 一瞬何のことかと思ったが、しばらく考えて気が付いた。

「コーヒーが好きみたいだから、ドリップコーヒーを買ってたんだ。本当は明日渡す予定だったんだけど、平日に渡すくらいなら、お茶をする今使ってサプライズをしようと思ったの。それで、こっそりユウキの分に使ってみたんだ。開封しちゃったけど、よかったら使って」

 ユウキは驚きで上手くリアクションできなかった。今まで、お互いにこういうことをすることはなかったため、シズネのプレゼントは意外だった。なにより、シズネがユウキの好みに気が付いていてくれたことには驚いた。

「ありがとう、大事に飲むよ」

 シズネの想いが素直に嬉しかった。思わずシズネを抱きしめ尽くしたいという欲に駆られるが、そんなことのためにこの穏やかな時間を台無しにするのは忍びなかった。そんな雑念を振り払いながら、ユウキはシズネからコーヒーギフトを受け取ると、改めてコーヒーを味わった。

「うん、美味しい。コーヒー好きだから、とても嬉しいよ」

「よかった。それにしても不思議だね。血の味には鈍感だけど、こういう味はしっかり分かるだなんて」

「いやいや、まともに飲んだ血がシズネだけだから、比較ができないだけで、血の味に鈍感とは限らないよ」

「そうかなぁ。血の味に敏感なら血だけで私の体調とか分かるんじゃない?」

 ぐうの音も出なかった。たしかに、健康管理の結果、シズネの血が極上のものになったというなら、血の味でシズネの体調不良が分かるはずだった。そうすれば、今までシズネが隠しがちだった体調不良にも気が付いたはずだった。

「ごめんごめん、冗談だよ。何でも器用にこなせるユウキにも、苦手なことがあるんだと思ったら、すごく安心しちゃって思わず……」

 シズネはいじらしく、気の緩んだ笑顔を見せた。その笑顔で押さえていた欲求がくすぶられるようだった。

 ユウキは再びコーヒーと共に、欲求を飲みこむ。

「それにしても、シズネはいつものコーヒーでよかったの?」

 ユウキは話題を変えて、気を逸らした。

「だって、ユウキへのプレゼントだよ? 私が飲んじゃだめだよ」

「はい、ほら飲んでみなよ」

 ユウキは半分程飲んでしまったコーヒーをシズネに差し出した。

「あ、ありがとう」

 シズネは少し驚いた表情を見せた後、マグカップを受け取って、一口飲む。

「よかった、美味しい」

 ユウキはシズネからマグカップを受け取ると、まだモンブランが残っているというのに、コーヒーを一気に飲み切る。

来るホワイトデーには何を返そうか、もしくはシズネと共にどこか出掛けようか、そんなことを考えているうちに、幸せな時間は流れていく。


 暗い駅の周りの人通りがどんどんと減っていくのに対して、終電間際の電車が到着する度に、駅では一瞬の大きな人の波が起きていた。

「次の電車だな」

 シズネの到着する時間は分かってはいたものの、それよりも早く着いてしまっていた。そのため、ユウキは駅の壁にもたれかかって時間を潰していた。昼間は少しずつ暖かくなってきたが、夜はまだかなり冷え込む。動かずにいると、どんどん体温が奪われるようだった。

 シズネを乗せる電車の到着を告げるアナウンスが流れると、ユウキは改札の前に移動した。電車の到着した音が響くと、一気に改札から人が流れ出て、その中からシズネを探した。中々シズネが見つからなかったが、人混みが途切れかけた頃にシズネは現れ、改札を抜けた。

「お待たせ。迎えに来てくれてありがとう」

 シズネの顔はほんわかと赤く、少し呂律が回っていないようだった。

「どういたしまして。帰ろうか」

 夜道の中、隣を歩くシズネはいつもより気が抜けていて不用心だった。これまでシズネがお酒を飲んで帰ることはあった。しかし、飲みすぎないように心掛けているのか、帰路の間に酔いが冷めるのか、シズネがひどく酔っている姿を見ることはなかった。そのため、こんな酔ったシズネの姿を見てきたシズネの職場の同僚を羨ましいとさえ感じた。

 家にたどり着くと、安心したのか、シズネはまだ玄関だというのに、眠り落ちそうになった。

「ほら、せめて布団で寝よう」

「うん……」

 シズネに肩を貸しながら布団まで運び、上着を脱がして、寝やすい恰好にする間、ユウキの中でどんどんと心がざわめいていった。初めてシズネの酔った姿を目の当たりにすると、この独占欲は驚く程大きくなる。特に最近はシズネが今まで誰にも見せなかった面を見せるようになって、もっとシズネのいろいろな面を見たくなってしまう。これまで抑えていたつもりだったが、今のシズネはそんなユウキを惑わす。

 そうは言っても、命令をしたときのように、今正気ではない間に、何かが起きてしまったとなれば、またシズネに嫌な思いをさせてしまう。

 ユウキはシズネの手を握って、シズネの胸に耳を当てる。シズネの胸が上下するのに合わせて、テンポの速い鼓動が聞こえた。シズネが間違いなくそこにいるということにほっとする。

 この鼓動も、この呼吸も、「ずっと俺だけのものだよ」と最後だけ言葉にだして、気持ちを落ち着かせた。

 落ち着いたユウキは顔を起こすと、シズネに声をかけた。

「今度一緒にお酒、飲もうか」

「うん」

 シズネは寝ぼけて返事をした。

吸血欲が発生してからろくにお酒を飲んでいないことを思い出し、吸血族と酒の相性はどんなものか試さないとなと思いながら、ユウキは一日を終えた。

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