第11章
「この人が付き合ってるユウキ」
サチコの希望によって、シズネはユウキの部屋でユウキを紹介することになった。慌てて来客に合わせて見栄えをよくした部屋の中で、久しぶりに会うサチコにシズネは少し緊張をしながら、簡単にユウキを紹介した。
「ユウキくんね、娘がお世話になっております」
「こちらこそ、いつもお世話になっております」
サチコはユウキを品定めするように観察し、重い空気が流れた。
「二人はいつ結婚をする予定なの?」
予想はしていたものの、サチコはいきなり問題を切り出した。しかし、最も迂闊に答えられない質問であるだけに、シズネは少し間を置き、気を落ち着かせた。
「今はまだ付き合いたてだから、そこまでは考えてない。だけど、お互い大事に想っていて、これから真剣に考えていくつもり」
「はぁ。まあいいわ。そこは今後考えていきなさい」
あらかじめユウキとすり合わせをしていた難所をすんなりと終え、安堵した二人であったが、ここから聞かれる内容にまだ気を抜くことはできなかった。
「じゃあ、ユウキくんはどこの会社で働いてるの?」
「会社ではなくて、フリーでプログラマーをやってます」
「フリーのプログラマー? それって収入はいいのかしら?」
「人によると思いますけど、僕の場合は自分が生きていく分には十分なくらいです」
ユウキの言葉にサチコの目つきは鋭くなった。あの目は納得できないことがあるときの目つきであることを、シズネは身をもって知っていた。そのため、これからのサチコの反論に身構えた。
「それってつまり、会社からの福利厚生とかもないわけだから、将来的にはシズネの仕事が頼りになるってことよね。あなた、ちゃんと将来のことを考えて相手を選んだ方がいいわよ」
サチコの勢いにシズネは何も言い返すことができずに委縮した。
「たしかに、今の僕の収入では当てにならないかもしれないですけど、うまくいけば収入は増える可能性はある仕事なので、今後軌道に乗せてシズネさんに負担をかけないようにするつもりです」
シズネの様子を見かねて、ユウキは慌てて助け舟をだした。
「そんな安定性の欠けるもの信用できないわ。それにあなた、うつ病なんだから、今の会社だってちゃんと続けられるか分からないでしょう。続けられても薬代だってかかるし」
「え?」
サチコの言葉にユウキは驚いた声をあげた。
今までずっと言っていなかったことを暴露され、シズネは足元が崩れていくのを感じた。サチコはおろかユウキのことすらもまともに見ることができなかった。そんなシズネの隣で驚いたユウキが、こちらを向いているのは分かったが、頭が真っ白になって何も返すことはできなかった。
「まさかそんなことも知らずに一緒に暮らしていたっていうの?」
ユウキさえも返す言葉を失い、誰も返答することはできなくなった。
「はぁ。あなたはその症状がある以上、それを助けてくれるような人を見つけるべきだったっていうのに……。それが、こんな頼りない人との生活なんて、認められる訳がないわ。どうりでこんなボロボロで狭いところに住んでいるという訳ね」
「やめてよ」
シズネは声を震わせながら、ゆっくりと視線を上げた。
「たしかに私たちは知らないことばかりだけど、私にとってユウキはかけがいのない存在なの。病気のことだって、ユウキといたおかげで薬も要らなくなってたから、言わなかっただけ。だから、ユウキのことをそんな風に言わないで」
普段シズネはサチコにこんなにも強気で話すことはなかった。しかし、今回サチコがシズネとユウキの関係を認めないどころか、大事なユウキのことさえも否定する言葉が許せなかった。そんなシズネの様子にサチコは少し意外そうな表情を浮かべたが、すぐに厳しい目つきに戻った。
「その結果、苦労するかもしれないとしても、ユウキくんを選ぶというの?」
「これは譲れない」
サチコは深く息を吐き、間を置いてから言葉を続けた。
「気持ちだけは本気なのね。私はあなたが流されて今に至るのいうなら、口を出すつもりだったけど、本気であなたが決めたというなら、口はださないわ」
思いもよらぬサチコの言葉に、シズネとユウキは驚きのあまり自分の耳を疑った。今まで、ボロを出そうものなら即刻関係を切られると思われていた。その上、シズネの病気を明かしていなかったことで、どうしようもなくなってしまっていた。そんな中でのサチコの言葉に理解が追い付かなかった。
「ユウキと一緒に暮らしていいってこと?」
「そう言ったつもりよ」
シズネとユウキは顔をほころばせながら、互いに見合わせた。
「そもそもあなたたちがそんなに本気だというなら、私がここで別れろと言ったところで、無理にでも関係を続けるつもりでしょう」
たしかにサチコに関係を切れと言われたところで、自分たちの関係はそう簡単に切れるものではない。もう二人とも、お互いがいなければ生きていくことはできないところまで堕ちてしまったのだ。そんなことを考えるとサチコの言葉にシズネは何も言い返すことはできなかった。
「だったら、特別私は口出ししないわ。ただし、ユウキくん」
再び鋭い目つきで話を振られたユウキは、驚いてサチコに向き合い、表情を引き締めた。
「どんな形でもいいから、この子を幸せにして頂戴ね」
「もちろんです。僕なんかじゃ不釣り合いかもしれないですけど、大切なシズネを幸せにします」
ユウキがはっきりと宣言する様子に、シズネは気恥ずかしさのあまり視線を逃がした。
「二人の顔が見れてよかったわ。それじゃあ、私は帰るわね。シズネ、駅まで送って頂戴」
「うん、わかった」
*
サチコを駅まで送る間、シズネもサチコも一言も発さなかった。先程は生まれて初めて母サチコに食ってかかってしまったが、冷静になった今、二人きりになると気まずかった。それに、サチコは一度シズネの案内なしで家まで来ている。それにも関わらず、わざわざ帰りは案内させるということに何か意図が感じられて、より一層気まずかった。
この重苦しい雰囲気に、普段から歩く駅までの道がやたらと長く感じた。やっとシズネにとっては見慣れた駅が見えたところで、サチコは口を開いた。
「あなた、ユウキくんと付き合ってないでしょ」
「え?」
ずっとサチコが何を言うのか身構えてはいたものの、それでも予想外の言葉にシズネは思わず足を止めた。
「私があなたの母親をどれだけやっていたと思っているの。表情に全てでているわよ」
「えっと」
核心を突かれての動揺のあまり、シズネは何も反論することができなかった。その上、なぜそこまで見抜いていてあの場で言わなかったのか、そんなことを考えると余計に混乱して何も言うことができなかった。
「だけど、お互いを大事に想える別の関係ということなのね。今更そこをとやかく言うつもりはないわ」
サチコはシズネの正面に立ち、真剣な眼差しをシズネに向けた。
「その関係を大事にしなさいよ」
「うん。ありがとう」
「あと、また事故なんかに遭うんじゃないわよ。案内はここまででいいわ。それじゃあ、体に気を付けなさい」
サチコは振り返って、一人駅に向かっていった。シズネもしばらくその様子を見届けた後、サチコを背に元来た道を歩き出した。
シズネはゆっくりと歩きながら、今までのサチコの言動を思い起こした。今回サチコはユウキを紹介してもらうために来たのではなく、シズネ自身を試すために来たのではないか。そして、サチコはただならぬ関係であることも見抜いた上で、ユウキとの関係を了承してくれたのか。そんなことを考えると、シズネはサチコが一体どこまで見抜いていたのか気になった。
行きのような重苦しい雰囲気がなくなったためか、シズネはあっという間にユウキの部屋の前にたどり着いた。しかし、部屋に戻ることが躊躇われ、シズネはドアの前で立ち往生した。
今までユウキに自分のうつ病のことを話しておらず、こんな形で伝えることになってしまった申し訳なさに、どんな表情をしてユウキに向かえばいいのか分からなくなった。後悔と自責の念に苛まれながらも、とにかく謝るしかないと決意し、玄関のドアに手をかけた。
「ただいま」
返事はないことに不安を感じながら、シズネは台所を通り過ぎて部屋に向かった。ユウキはサチコの品定めのためにアレンジした部屋を元に戻していた。
「おかえり」
そう言うユウキの表情は固かった。そんなユウキの様子にシズネはただ申し訳のない気持ちでいっぱいだった。
「ごめん。私のうつ病のことを言っていなくて。別に隠していた訳ではないの。だいぶ前にうつ病を発症してから、ずっと薬を飲んで落ち着かせてた。ただ、かなり症状は落ち着いていたから、言う必要がないかなって思ってた。いや、都合よく隠していたのかも」
「別に、シズネが言わなかったことを気にしてる訳ではないよ。そりゃ、人には言いたくないことはたくさんあるから、そんなことは気にしないよ。でも、そんなことを知らずに生活していたって思うと、今までの自分の言動が嫌になった。シズネに辛い思いをさせていたんじゃないかと思うと、すごく自分に対して腹立たしい気持ちになる。そういう意味じゃ気にしているってことになるのかな?」
ユウキはシズネが告げなかったことを責めなかった。しかし、そのことがユウキを傷つけてしまった以上、シズネは自分を責めずにはいられなかった。
「ごめん」
「謝らないで」
優しくするユウキに、シズネはこれ以上謝ることもできなかった。優しくされるばかりで、ユウキに迷惑をかけるだけの自分にシズネはさらに嫌気がさした。
「改めて考えれば、いつもシズネはなんでも抱え込んでしまっていたなと思うよ。俺、シズネにはそんな無理をしてほしくない。だからこれからは嫌なことがあったら、どんなことでも俺に言って。そしたら俺もシズネに嫌な思いをさせないようにする。いい?」
「う、うん」
シズネは頷くしかなかった。しかし、いくらユウキの願いを行動に移そうとしても、それが自分にとっていかに難しいことかはシズネ自身が一番わかっていた。そのため、どうしてもユウキの目を見て答えることはできなかった。そんなシズネの様子に、ユウキが困惑しているのを感じ取れた。
しばらくしてユウキが息を吐き出すと、シズネに向かって一歩踏み出した。そして、シズネの肩を掴むと、そのままシズネの体を壁に押し当てた。
「え?」
シズネが理解できずにいると、ユウキはシズネとの距離をさらに詰め、シズネの首元に顔を近づけた。シズネは血を飲むのかと思い動かずにいると、ユウキは突然舌で首に触れた。予想外のことにシズネが驚いていると、ユウキはシズネの服に手を入れ、太腿や脇腹を直接触り始めた。
最近では、二人のふれあいは増えた。シズネにとってユウキに触れられることは心地よいのだが、目の前のユウキの黒い瞳に、そんな自分が映るのがたまらなく気恥ずかしいものであった。それに気付いてか、ユウキはシズネに触れるときは、極力無理はしなかった。加えて、ユウキがユウキ自身の強い欲求を認知してからは、シズネに触れる際にはより一層慎重になっていた。
しかし、今のユウキの触れ方はそれらを無視した荒々しいものだった。その割に、ユウキはシズネの体を逃げられないよう掴むこともなかった。それでも、全身から伝わるユウキの大きな手の温もりを失い難く、シズネは流れに身を任せてしまった。
シズネが身を委ねると、ユウキは首元からシズネの顔の方へと顔を移した。すると、ユウキの舌は耳をくすぐり始めた。ユウキの舌と、熱い息に、シズネが思わず体を震わせた。いつの間にかユウキの体の形がはっきりとわかる程に密着をしており、呼吸する度に、胸が上下するのが伝わってきた。正面から伝わるユウキの身体と、ユウキが触れる身体のあちこちから伝わるユウキの温もりに、声が漏れそうになり思わず口を押さえた。高鳴る鼓動と抑えきれなくなってきた声が、ユウキに伝わってしまうのではないかと思うと、シズネの鼓動は、破裂しそうな程さらに大きくなっていった。
これ以上の姿をユウキに見られてしまうことに不安を感じ始めたそのとき、ユウキは突然体を離した。そして、腰が抜けて自分で立てなくなっているシズネをユウキは支えた。ゆっくりシズネを座らせると、ユウキもシズネに合わせて座り込んだ。
「大丈夫?」
「うん」
座り込んだシズネを心配するユウキの顔はとても赤く、まだ息も荒いままだった。
「はぁ……。無理に血を飲むというのはもうやってしまっていたから、無理に襲うとなれば、ちゃんと嫌と言ういいきっかけになると思ったんだけどな。まさかそれすらも受け入れるだなんて」
言われてみれば、ユウキは明らかにシズネを襲っていたものの、口を塞ぎもせず、手も自由に動かせるようにして、拒否する手段を残してくれていた。そのため、全く怖くなかったのだと、シズネは改めて実感した。
「こうなったら荒療治だけどしょうがないな。ごめん、シズネ。『これからは、嫌なことはどんなことでも俺に言うこと』 いい?」
シズネはビクッと体を震わせると頷いた。
「命令を使うなんてずるい。身体が熱いよ」
最低限のことだけ言うと、シズネは体の力が抜けてユウキの方に倒れこんだ。
「そこは言わなくても……。って、うわ」
ユウキはバランスを崩し、意図せずシズネがユウキに覆いかぶさる形になった。さっきまでの体のほてりと久しぶりの快感が同時に襲い、シズネはもう余計なことを考えることはできなかった。それでも、シズネが何もできずにいると、ユウキは優しい顔を向けた。
「『どうしたいの? 好きにしていいんだよ』」
シズネはもう、本能的に自分の意志に従うだけだった。
「血を飲んで。それに、もっとユウキの温もりを感じさせて」
シズネはそう言いながら、ユウキに口付けをした。そのままユウキと自分の息を重ね合わせた。そして、ユウキはシズネを抱き寄せると、そのままシズネの首元に喰らいついた。
*
ひとしきり欲求を満たしきり、愉悦と同時に現実に引き戻される感覚に陥る。
「ごめんなさい」
「え?」
ユウキは思わぬシズネの言葉に、戸惑いを見せる。
「私ばかりが幸せになってごめんなさい。今回のことも、ショッピングモールでのことも私が悪いのに。こんなに迷惑ばかりかけているのに、私ばかりもらってばかりで最低だ」
シズネは慌てて口に手を当てる。とんでもない暴露に耳の先まで熱を帯びていた。
「そっか」
ユウキはシズネを再び抱き寄せ、優しく背中をさすった。先ほどまで互いの温もりを感じ尽くしていたというのに、それでもユウキの腕の中は安心した。
「ごめんね、こんな言葉聞きたくなかったよね」
「俺はシズネの想いが聞けてよかったよ。それに、俺も同じだ」
「ユウキも?」
一瞬何のことか分からず聞き返した。
「俺もいつもシズネにばかり負担をかけて、受け入れてもらってる。俺はシズネに何もしてやれてないのに」
「そんなことな……」
慌ててユウキの言葉を否定しようとするが、ユウキはシズネの言葉を遮った。
「だからさ、ずっと一緒にいてくれ。シズネからもらったたくさんのものを返すからさ。シズネもゆっくりと返してくれればいいよ」
変に気を使われるのと違ったユウキの言葉は、シズネの奥底に響く。
「うん。ありがとう」
いつの間にか、先ほどまでの自己嫌悪は消えていた。ユウキはシズネから手を離し、正面からシズネを優しく見つめた。
「ふふ。もう約束してるんだから、元々一緒にいるつもりだよ」
「まあ、そうなんだけど、俺の口からもちゃんと言いたかったというか」
ユウキは恥ずかしさを隠すように、頬を触った。
「なんだかプロポーズされちゃったみたい」
「しまったな。プロポーズは俺から先にすべきだったのに、先を越されちゃった訳か」
お互い冗談に乗っかり、思わず笑いがこぼれた。
「そういえば、うちの母、私たちが付き合っていないこと見抜いてた」
ユウキは反射的に表情を硬くした。しかし、驚きのあまり言葉がでないようだった。
「でも、それでも、私たちが一緒にいることを認めてくれてた」
「そっか、よかった」
息が止まりかけていたユウキは、ほっと胸をなでおろした。
「正直、私たちのこの関係もばれているんじゃないかとも思った。母親ってすごいね」
「そうだね」
今までは母親のいる地元には帰りたくないと思っていた。しかし、母親とのわだかまりも解けて、たまには帰ってもいいかなと思えた。ユウキと一緒に。
「今度、地元を案内するね」
安心感からか、思わずシズネの口から願いが漏れた。
「うん、楽しみにしてる」
ユウキの優しい笑顔で、この言葉がユウキのためのものなのか、シズネがユウキにしてほしいものなのか、そんなことがどうでもよくなった。
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