第10章

 シズネが久しぶりにスマホの電源を入れるとたくさんの着信記録が残っていた。シズネの携帯は、他の荷物と共にショッピングモールに残されていたため、ショッピングモールでの一件から落ち着いた今、やっとスマホを開くことができたのだった。途中で電源が切れたためか、着信記録は途切れており、実際にはもっと多くの着信があったことが伺えた。そのほとんどは仕事場からのもので思わずため息が漏れた。シズネはうんざりした表情を浮かべながら部屋をでると、会社に折り返しの電話を入れた。

「やっと、連絡がとれた!」

 呼び出し音が聞こえてすぐに繋がったと思うと、電話越しから鼓膜が破れんばかりの声が響いた。

「ずっと連絡が取れないから何かあったんじゃないかと心配してたんだぞ」

 上司のコワシが得意の大声を電話越しに響かせ、シズネは思わず顔をしかめた。

「すいません。じ、事故に巻き込まれてなかなか意識が戻らなかったみたいで」

 シズネは思わず事件と言いそうになったが、事を荒立てすぎる訳にはいかないと考え、事故を言い直した。

「事故⁈ 大丈夫なのか?」

「運良く助かったのでもう大丈夫です」

「そうか、よかった、よかった」

 コワシもかなり安心して気が抜けたのか、珍しく呟くような声をだした。

「そうだ。実は何日も連絡が取れなかったもんだから、もしかしたら家で倒れているんじゃないかと思って、管理人に無理を言って、君の部屋に入らせてもらったんだ」

「え?」

 ユウキと出会って以来、ほとんどユウキの部屋で過ごしていたため、シズネ自身の家で過ごすことはほとんどなくなっていた。そのため、シズネ自身の家からはかなり荷物を持ち去ってしまっており、残っているのは今や不要なものだけだった。そんな部屋を見られたとなればどんな誤解をされるのか分からず、シズネは血の気が引いていくのを感じた。

「そしたら、君もいないし、本当に人が住んでいるのかと思うほど生活感がないじゃないか。一体どういうことかと思って、緊急連絡先の君のご両親に電話を掛けたけど、ご両親も何も知らないというから、本当にどうしたもんかと思ったよ」

「連絡、とったんですか……?」

「お互い何も状況が分からないってことでそれ以降は連絡とっていないけどね。ご両親も心配していると思うから、後で一報入れた方がいいよ」

 改めて思い起こすと、着信履歴の中には仕事場以外からのものも混ざっていた。それが両親からのものならば、この状況をどう釈明すべきか思いやられた。

「そうそう、もしかして最近は誰かの家に泊っていたのかい?」

「え? あ、はい、そうですね」

 回りくどい質問をするコワシの意図を疑問に思いながら、シズネはコワシの言葉を否定できず肯定した。

「はぁ、やっぱりそうか。実は君のことをよく知っている子たちにも何か聞いているか確認をしたんだ。そしたら、悪質な男に引っかかって、駆け落ちでもさせられたんじゃないかって話になっていたよ。だから、駆け落ちなんかではなかったと誤解は解いておくから、そこは心配しなくていいからな」

「え? それってどういうことですか?」

「だから、ちゃんと健全な仲のようだと説明しておくから。こっちのことは心配しないで、無理しないでもう少しちゃんと休んでおきな。それじゃ」

 コワシは自信ありげな言葉だけ残して、シズネが弁解する間もなく、電話を切った。あながち間違ってはいないが、シズネが置かれている状況はコワシたちが考えているものとは全く異なっている。そのため、次に会うときには上手く説明をしなければならず、そのとときのことを想像すると億劫になった。

 しかし、シズネにとって一番の問題は別のところにあった。

「うわ、着信履歴の中に紛れている」

 ゆっくり着信履歴を見返すと、数件母サチコからのものが混ざっていた。おそらく、コワシからの連絡を受けて、直接自分に電話をよこしたということなのだろう。気は進まないが、放っておくことはできず、シズネは意を決して発信ボタンに触れた。

「もしもし」

「ちょっとあんた、何日も連絡もつかずにいったいどうしてたの?」

 今度は甲高い声で、思わずスマホを耳元から離した。

「ごめん。ちょっと事故に巻き込まれて、意識が戻らなかったの」

「事故⁈ 体の方は大丈夫なの?」

「うん、もう大丈夫」

「今回は運がよかったみたいけど、本当に気を付けなさいよ。これからはもう少し周りに気を配っていきなさい」

「うん」

 心配はしているのだろうが、事故の原因がシズネにあると決めつけてのサチコの物言いに対して、シズネは反射的に苦笑いを浮かべた。

「それと、あんたの部屋に全然生活の跡がなかったって、上司のコワシさんから聞いたけど、もしかしてあんた、だれかと同棲しているの?」

 コワシと違い、身内であるサチコはストレートに聞いてきた。

「うーんと、まぁ」

「何、そのはっきりとしない答えは。まさかと思うけど、変な男にひっかかってたりしないわよね」

「別にそんなわけじゃ……」

「じゃあ、将来のことを考えてお付き合いをしているわけね。もうあんたもいい年だものね。ちゃんとそういうことは計画的に考えていて安心したわ。じゃあ、今度そっちに行くから紹介しなさい」

「そんな、ちょっと待ってよ」

「その人と将来のことを考えているのかもしれないけど、母親としてそれだけの人なのか確認させてもらうから。そっちに行く日付が決まったら連絡するから。あとはよろしくね」

「そんな急には…」

 有無を言わさぬサチコの勢いに気圧され、シズネが何も言えぬうちに、コワシのときの同じように電話が切れた。

「どうしよう」

 ユウキと一緒に生活をしていること、真剣な関係ということは間違っていない。しかし、コワシやサチコが想像しているものとは明らかに異なる。あくまで職場内の関係にとどまるコワシに対してであればなんとでも説明はできるが、深く干渉してくる身内に対してはそうもいかない。しかも、こんな歪な関係をどのように説明したとしても、ボロがでてさらに問い詰められることになる。

 シズネが途方に暮れながら部屋に戻ると、後始末に追われるユウキも、PCを操作していた。

「どう? 大丈夫だった」

「ごめん、なんだかいろいろと誤解されてるみたい。ユウキにも迷惑をかけることになりそう」

 疲弊したシズネは、ユウキの横に膝を抱えて座ると、仕事場からのこと、そして特にサチコとの電話のことを詳細に説明した。

「という訳で、ごめん。母が会いに来るということになったんだ」

「なんというか……、後にも先にも行けぬ事態になってしまったね。俺も責任をとらないといけないし、協力するよ」

 相手がシズネの身内であるためか、ユウキは明らかに気を使った言葉を選んだ。

「本当にありがとう。それにしてもどうしよう。なんて言ってユウキのことを紹介したらいいんだろう。うちの母親は結婚を前提にお付き合いをしている人だと思っているみたいだから、下手な説明をしたらどうなるか…」

「結婚、か。ずっと一緒にいたいとは思っているものの、そういうのは考えていなかったな。そういう説明じゃだめなの?」

「うちの母、とても固い考え方だから、将来のことも考えずにこんな生活をしているなんて絶対に許さないと思う」

「それは困ったな……」

 シズネもユウキもサチコを納得させるだけの説明が思い浮かず、沈黙が続いた。

「いっそのこと、籍だけ入れておくという手は? 今後の対外的なために」

 気付かぬうちにその発想を除外していたシズネは、ユウキの提案に呆気にとられた。

「……そっか、そういう手もあったね」

 シズネはユウキの思わぬ提案に、自分たちの関係について考えた。

 ユウキは黒髪に似合う端正な顔立ちをしており、誰が見てもイケメンの部類だ。社会的に見て、ユウキが結婚相手であることは、何よりも光栄なことだと思う。しかし、自分たちの関係が歪なものである以上、そう簡単に籍を入れるということを受け入れられなかった。

「だけど、何かの弾みで崩れかねない私たちの関係をそんな公のものにするというのはまだ少し抵抗を感じるな。ごめん、わがままを言ってしまって」

「こっちこそ、考えなしにものを言ってごめん」

 再びの沈黙の間、シズネはどうすべきか考えた。説明をするのも難しければ、下手な嘘をつくのも今後に差し支える。そうなると、あとはもう覚悟を決めるしかなかった。

 そこで、シズネは覚悟を決め、小声で「よし」と呟いた。

「とにかく今はまだ付き合いたてだから、結婚については追々考えるってことにして猶予をもらうことにするよ。これなら、当たらずも遠からずのはずだから」

「了解、それじゃあ、俺もその方向で話を合わせるよ」

 打開策を見つけてほっとしたシズネを見て、ユウキは優しく微笑んだ。

「もしかして、シズネって親のことが結構苦手なの? ただ厳しいから苦手という訳ではなさそうだよね」

 ユウキの不意な質問にシズネは驚いたが、今までの様子を見れば誰でも察してしまうと気付き、苦笑いを浮かべた。

「苦手っていうのかな。なんだか話しているとすごく疲れるんだよね。気力を持っていかれるというか。だから家から遠いここに上京することにしたんだ」

 気の抜けたシズネは、話しながら少しだけユウキの体にもたれかかった。

「そうだったんだ。全然知らなかったな」

 ユウキはシズネを身じろぎもせずに受け止めた。そして、思うところがあるのか天井を見上げながら呟いた。

「今まで私がそういう話を全くしなかったからね」

 シズネは腕から伝わるユウキの温もりでぼんやりとしながら、今までのことを思い起こした。今までのユウキとの生活では、自身のことを話すことはなかったため、ユウキはシズネのことをあまり知らないままだった。それなのに、こんな個人的な問題に付き合わせてしまったことに申し訳なさを感じた。

「シズネがどんなところに住んでいたか興味あるな。実家ってどんなところなの?」

「うーんと、ここよりも結構田舎で、全体的に廃れたところだよ」

 シズネはスマホで手ごろな写真を探した。そして、見慣れた風景の写真を何枚かユウキに見せた

「上京というから田んぼに囲まれた田舎かと思ったけど、結構栄えてそうなところだね」

「田舎とはいっても、こうやって栄えているところは多いよ。都会に比べたら人は全体的に少ないけどね。だけど、さすがに中心部から離れると、畑とか田んぼが増えるよ」

 シズネはユウキに説明しながら、自分の地元を思い浮かべた。サチコとの関係はよくないが、長く住んだあの地元には、悪い思い出ばかりということはなかった。

「ユウキは上京組なの?」

「俺は、上京したわけではないよ。俺の実家はここから電車で二、三時間程度だし、無理して上京する必要はない距離だよ。だけど、俺が吸血族だったせいで、だんだん家族と距離をとるようになったんだ。それで、最終的には耐えられなくなって家をでて今に至るという訳だ」

 シズネ以上にユウキが家のことで苦労していたのだと知り、シズネはなんと返せばいいのか分からなかった。

「お互い、家のことで苦労していたんだね」

「そうだなぁ。俺の家がいっそのこと観光地の近くだったら、案内できたんだけどなぁ」

 ユウキは自分の家のことで暗くなりかけたのを察したのか、冗談を交えて笑った。

「ふふ、それじゃあ、私は地元で人気店だった店に案内できるかな」

「え、それもありなの? それじゃあ俺も、地元で人気だった店に案内するよ。たしか、TVにも取り上げられたはずだ」

 シズネとユウキはが互いの地元を知り尽くすことができる程、互いの地元について語らった。これ以上自慢できるものがなくなると、二人は全てを出し尽くしたように黙った。お互いの地元への興味と自身の地元への感傷で言葉が出なかった。

「お互い実家に対しての気持ちの整理がついて、一緒に地元を回れたらいいね」

 一息ついて、シズネはぼそっと呟いた。ユウキは優しく「うん」と返した。

 いつの日か、お互いの生まれ育った町を共に歩く、そんな日が来てほしかった。

「そうだ、ユウキは片付け、大丈夫そうだった?」

「俺は、早めに仕事は片付けていたから、そんなに問題はなかったよ。まぁ、納期を超えてしまったのもあるから、これからまた信用を得ないとってところだね」

「そっか、ごめんね。私もできるだけ協力するから」

 シズネとユウキの後始末はほとんど終わりが見え、残すはサチコのことだけとなり、シズネはひとまず安堵した。

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