第9章

 すっかりシズネが回復し、ユウキとシズネは二人揃って退院することとなった。二人は帰り際にオキツの元を立ち寄った。

「今日までお世話になりました」

「二人揃って退院できてよかったよ。それに二人ともすっきりした表情だ」

「無事に気持ちの整理ができましたから」

「そうか、よかったよ」

「あの、私は吸血族のことを怖いとは思いません。たしかに、私たちを襲った吸血族は怖かったです。だけどそれはヒトと同じように、いろいろな人がいるというだけのことだと思います。少なくとも私が出会った吸血族はほとんどが怖くないですから」

「そうか、そう言ってもらえて嬉しいよ。救われた気分だ」

 オキツはシズネの言葉に笑みを浮かべ、ほっと息を吐き出した。

「そうだ、言い忘れていたけど、君からは本当に美味しそうな血の匂いがしている。だから、君の血を飲みたいと思う者も出てくるだろうから気を付けなさい」

「はい、気を付けます」

「本当にお世話になりました。ちょっと今は持ち合わせがないですけど、後でちゃんと払いに来ますから」

「はは、あれは冗談のつもりだよ。そんなに真に受けなくてもいいよ」

「いえ、面倒見てもらった以上、その分お金を払うのが義務ですから」

「そうか、別に急ぐ必要はないから、余裕があるときに来なさい。それに、困ったときにいつでも来ていいよ」

「本当にありがとうございました」

 ユウキとシズネは挨拶を終えて、病院を後にした。


*


「ショッピングモールに寄ってから、そのまま家に帰ろうか」

「うん」

 ショッピングモールで買ったものどころか、シズネは貴重品すらもそのまま残してしまっていた。そのため、荷物を回収するためにユウキとシズネはショッピングモールへ向かうことにした。オキツによるとショッピングモールでのことは事件になっていないらしく、また茶髪の男に会わなければ大丈夫だろうと踏んで、立ち寄ることにしたのだ。

 ユウキとシズネは、のんびりとショッピングモールまでの道を歩いた。冬の寒さは厳しいものの、よく晴れた天気に日差しが心地よい。自分たちは激動の中にいたというのに、街並みは穏やかで、とても心落ち着くようだった。


*


「もしかして君たちかい? このとんでもない忘れ物の持ち主は」

 自分たちの荷物は警備員が保管していることを聞いたユウキとシズネが、警備員室に出向くと、警備員は呆れたような表情を浮かべて対応した。

「身分証が入っていて、君たちが持ち主であることは間違いないみたいだから荷物は返すけど、本当に困るよ」

 自分たちのことは事件になっておらず、荷物も無事に戻ってくることに安心したユウキとシズネであったが、一体なぜここまで呆れられるのか二人は疑問だった。

「貴重品含めて荷物がたくさん残っていたから、一体何があったのかと監視カメラを確認したけど、何も映っていなくてどうしたものかと思ったよ。何も映っていなくてよかったとも思うけど」

 警備員である男性は言いづらそうに口ごもったが、ため息を吐くと覚悟を決めたように話し始めた。

「本当はこんなこと言いたくないんだけどね。あんなところで激しい行為をしていたというじゃないか」

 シズネとユウキは予想外の言葉に素っ頓狂な声を上げそうになった。

「人の関係にとやかく言うつもりはないんだけど、公共の場なんだ、節度をもって行動してくれよ。しかも、貴重品も忘れる程だなんて、いくらなんでもはめを外しすぎだ。こんな場で我慢できなくなる程、良好な仲なのはうらやましい限りだけど、そういうことは、そういう場所でやってくれよ」

「す、すいません、これからは気を付けます」

 血を飲んでいて襲われましたなどとは口が裂けても言うことができず、ユウキはただ謝ることしかできなかった。隣のシズネはというと、笑っているのか、恥ずかしがっているのか、顔を隠してしまっていた。

「はぁ。監視カメラに映っていなくて本当に安心だよ」


*


 警備員の長い愚痴から解放されたユウキとシズネは、やっとの思いで部屋までたどり着いた。

「すごく久しぶりに帰ってきた気がする」

「俺も久しぶりの感じがするよ」

「ユウキは私が意識のない間に帰らなかったの?」

「荷物とか着替えとか取りに帰ることはあったけど、シズネのことが気がかりで荷物を取ったらすぐに出て行ったから、帰ったって感じはしなかった」

「そっか、心配してくれてありがとう」

 久しぶりに見慣れた部屋に帰宅して、ユウキとシズネはようやく一息つくことができた。久しぶりの帰宅のため、やるべきことはたくさん残っていたものの、帰ってきてその日に何かをする気力は残っていなかった。

「今までずっと外で、落ち着いて血を飲めなかったから、久しぶりにゆっくり血を飲んでいい?」

「うん、いいよ」

 シズネは布団に横たわると、首元を差し出した。そして、ユウキは血を飲むために、シズネに覆いかぶさる。すると、シズネは何かに気付いたような素振りを見せた後、苦い表情を浮かべて、顔を逸らした。

「どうしたの?」

「思い出しちゃって……」

 「何を」と聞こうとして、シズネの赤らめた表情でユウキも思い出した。あの警備員は自分たちのことを、こともあろうかカップルか何かだと勘違いしていた。それどころか行為の余り荷物を忘れていたと考えていたのだ。

 そもそもユウキとシズネはそのような関係ではない。血を飲むために距離感が無くなりがちだが、不用意に触れないように気を使っていたし、それ以外のときも互いの領域に踏み込むこともなかった。しかし、今回の一件に加えて、警備員の言葉でこの密接な距離感を意識せざるを得なくなってしまった。

「私たちはカップルというのとは違うよね?」

「うん。そういうのとは違うね」

 吸血行為を中断したため、ユウキは一度体を起き上がらせた。共に起き上がろうとするシズネに手を貸して、そのまま並んで話を続けた。

「そうしたら私たちのこの関係は何なんだろう」

 改めて自分のシズネに対する想いを振り返る。シズネは自分の存在を認めてくれた唯一の存在だ。シズネは吸血族として生きていくのに必要な存在であり、今ではそれ以上の存在となっていた。

「俺はシズネとずっと一緒にいたいし、絶対にシズネを失いたくない。俺にとってシズネは自分の一部のような存在だ」

「私も。大切な存在だから、ユウキの全てを受け入れたいと思っているよ」

 吸血行為を経て互いの秘部を透かし見て、さらに共に時間を過ごしていくうちに、お互いの存在がゆっくりと混ざり合っていった。今ではもう互いの存在なしでは生きてはいけなかった。しかし、それだけではもはや足りず、もっと深く混ざり合いたかった。

 ユウキは布団の上のシズネの手に、自身の指を絡ませた。すると、シズネはユウキの方を見ながら握り返した。ユウキはシズネの方に体を向け直すと、今度はシズネの首元ではなく、シズネの顔に向けてゆっくりと顔を近づけた。

「いつか本当の意味で好きな人ができるかもしれない。それでもいいの?」

「うん。たとえそうなっても私はユウキを選ぶよ」

「俺も一生手放さない」

 ユウキはそのままゆっくりとシズネに唇を重ねた。

 今までであれば、互いの領域に踏み込まないようにしていたため、こんな行動をとることは絶対になかった。しかし、互いの本心を再確認した今、ようやく触れ合えるようになった。

 しばらく甘い息を交わすと、ユウキは唇を離した。シズネの息は荒く、顔を紅潮させ今まで見たことのない表情を浮かべていた。その表情は新鮮で、ユウキの中で無意識の欲求がくすぶられるようだった。

「いつも首でならユウキの口を感じてたけど、それが自分の口ってなると不思議な感じ」

「そんな表現をされると、これから血を飲むときに意識してしまって、どうしていいかわからなくなるよ」

「いつも通りで大丈夫だよ」

 ユウキはシズネを横にして服に手をかけると、シズネは赤い顔をさらに赤くして恥ずかし気な表情を浮かべた。

「ごめん、俺シズネが意識のない間に見ちゃっているから、そんなに恥ずかしがらなくていいよ」

「え?」

 シズネは恥ずかしさを通り越して、ひきつった表情を浮かべた。

「誤解しないで。病院で目覚めないシズネの体を拭いて着替えさせるためだから」

「そんなのずるいよ」

 シズネは少し口を尖らせると、緊張が和らいだのか、穏やかな表情を見せた。ユウキは再びシズネの服に手を伸ばし、二人は身も心も溶かしていった。

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