第7章

「あ、れ……」

 目を開けたユウキの視界に見覚えのない天井が映った。横になっていた体を起こそうとすると、鈍い頭の痛みと共に、ユウキは今までの記憶が駆け巡った。

「そうだ! シズネ! シズネは無事なのか⁈」

 ユウキが慌ててベッドから飛び出そうとすると、ガラガラとドアの開く音が響いた。

「おや、ちょうど起きたんだね。まずは目が覚めてよかったよ」

「俺はいいんです。シズネは? シズネはどうなんですか?」

 医師と見られる白衣の男性は、部屋に入るとユウキのベッドの近く近づいた。ユウキは余裕を無くしてまくしたてた。

「君の連れてきた女性はこっちにいるよ」

 医師はユウキのベッドの横の仕切りを開けると、そこには点滴をされながら眠るシズネの姿があった。

「結論から言うと彼女は無事だよ」

 その言葉を聞いたユウキは安堵のあまり、力尽きて再びベッドに座り込んだ。

「本当によかった」

 多くの感情が一気にこみあげてきたユウキは、両手で顔を覆いながら息を吐き出した。

「さて、本来は君の体調が回復したら、君と彼女の容態について詳しく説明しようと思っていたけども、今すぐにでも説明した方よいといったところかな?」

 医師の貫禄と若々しい見た目を持つ医師は、ユウキが落ち着くのを待って、優しく尋ねた。

「はい、今すぐに知りたいです」

 ユウキは、この病院にたどり着くまでのことを鮮明に思い出したが、それからの記憶は途切れていた。

 かなりの血を失って危険な状態であったシズネの命が無事だったとはいえ、眠っている今の状態がどういう状況なのかを今すぐにでも聞きたかった。

「それじゃあ、説明しようか。ちょうどこの病室は僕たちしかいないから他の人に聞かれる心配もないしね。あ、それと言い忘れていたけど、僕はオキツだ。君と同じ吸血族だから、心配しなくていいよ」

 その言葉を聞いて、ユウキは心臓が止まりかけた。自分たちの正体がばれてしまったということ、さらに相手も吸血族であるということで二重の驚きとなった。オキツも吸血族であるということで、正体がばれた焦りは薄まったが、だからと言って、茶髪の男の一件があったため、安心することはできなかった。

「じゃあ、ここは吸血族専用の病院という訳ですか?」

「まさか。たしかに吸血族の助けになればという思いで作った病院だけど、患者のほとんどは普通のヒトだよ。それにちゃんと僕は医師免許も持っている。別に警戒しなくても、君たちを取って食おうなんてしないよ。僕は医者として君たちを治療しただけだ」

「そうですか。治療をしてくれたのにすいません」

 真意が見えにくいオキツに警戒心をぬぐい切ることはできないものの、ユウキはひとまず信用することにした。

「いや、いいんだよ。それと君、〝喉が渇いて〟いるんじゃないかい? うちには血液のストックがあるから用意するよ。これについては非合法で集めたものだから、うちも全く怪しくないとは言えないな」

 今まで自分たちの置かれている状況に夢中で気が付かなかったが、オキツに指摘され、ユウキは自分の〝空腹〟に気が付いた。そして、思わず「血……」と呟き、喉をゴクリと鳴らした。

 シズネと出会ってからはシズネ以外から血を飲むなんてことは考えてもいなかった。そのため、オキツからの思わぬ提案に動揺してしまった。それでも、ユウキの答えは一つだった。

「いえ、止めておきます」

「別に非合法といっても、我々の事情を理解してくれている人たちが、血を提供してくれたものだから、罪悪感を感じる必要はないよ。それに、衛生面とかにも配慮してしっかり管理してある」

「別にそういうのを気にして、という訳ではないです。ただ俺はもうシズネからしか飲む気はないです」

 ユウキは自分の足元を見ながら、自分の意志を確認するように答えた。

「それは、彼女の血が美味しいから?」

 オキツは一変して厳しい視線をユウキに向けた。

「たしかに、シズネの血は飲みやすいけど、だからという訳ではないです」

 ユウキは再び自分の意志を確かめながら、そして今度は力強く答えた。

「シズネの血だから飲みたいんじゃないんです。俺を受け入れてくれたシズネだから血を飲みたいんです。

 シズネは吸血族の、こんな〝空腹〟を抱える俺を受け入れてくれた。それだけじゃなく、そんな俺の〝食事〟を必要としていた気がするんです。だから、今回のことでシズネが俺を見限っても、俺が簡単に裏切るような真似はしたくないんです。どんなに空腹でもシズネが目を覚ますまで待ちます」

 今までユウキは、シズネとの関係のあり方を真剣に考えたことはなかった。どちらかと言うと、向き合うことを避けていた。それが、シズネとの関係が終わるかもしれない今やっと、どうありたいのかの答えがでることになった。

「はぁ……。随分と歪な関係だ。だけど、君たちがそれでいいというなら、僕は何も言えないな」

 厳しい目線を向けていたオキツは天井を仰ぐと、少し困った表情を浮かべた。

「とにかく、君が血は要らないというなら、このまま話を続けようか」

 オキツは壁際に置かれていた丸椅子をユウキの座るベッドの近くに移動させ、腰かけた。

「それじゃあ、君が頭部から血を流しながら、過剰出血した彼女をここに連れてきた。そこまでは覚えているかい?」

「はい、意識は朦朧としていたけど覚えています」

 ユウキとシズネが襲われた日、茶髪の男が去ってからユウキは意識を取り戻した。駐車場には血を失ってぐったりとしたシズネのみが残されていた。かなり危険な状態であること明白で、タクシーなどを待っていられず、ユウキはシズネを抱えてこの病院に駆け込んだ。しかし、たどり着いてすぐ気を失ってしまったため、その後どうなったかまでは分からなかった。

「そうか、じゃあまず記憶の混濁はないみたいだね。他に違和感とかはないかい?」

「いえ、ありません」

「なるほど。それじゃあ、改めて君の怪我について説明すると、君は右側頭部頭蓋骨の骨折をしていた。頭蓋骨に関しては自然治癒に任せるしかないから、今後は頭部への衝撃に要注意するように。それと、皮膚がかなり裂けて出血が多かったから、傷口は縫合しておいた。一週間程度たったら抜糸が必要だ。

 今は意識障害や後遺症等が見られないから、問題なさそうだけど、今回怪我をしたのは頭なだけに、脳への影響があるかもしれない。今後注意していこう」

「わかりました」

 下手をすると、頭部を殴られたことにより、脳の疾患を負うことになっていたかもしれないことに今更になって気付き、少なくとも今は影響がなかったことに安堵した。

「今回頭蓋骨の骨折だけで済んだのも、吸血族だからかもしれないね。僕たち吸血族は普通の人よりも多少丈夫な傾向があるから」

「そうですか……」

 オキツに言わせると、吸血族だから骨折だけで済んだということになる。しかし、事の発端もこの骨折を負ったのも吸血族に関わるためにユウキは素直に喜ぶことはできなかった。

「それじゃあ、次に彼女だ。彼女はかなりの量の血を失い、重度の出血性ショックを起こしていた。普通の人だったら、失血死をしてもおかしくなかったよ」

 オキツの言葉に、背筋がゾッとした。シズネを失っていたかもしれないという事実は、ユウキにとって受け止め切れない程重いものだった。

 言葉を失っているユウキの様子を見て、オキツは気を紛らわそうと話を逸らした。

「彼女は君の〝協力者〟なのかい?」

「協力者?」

「ん? あぁ、そうだね、協力者というのは、僕たち吸血族に血を飲まれることで体が変異し、特定の吸血族に従うようになった人のことだよ」

「俺たちがシズネを眷属と呼んでいるものか……」

 ユウキは今になって驚いた。今までユウキとシズネは共に過ごしていく中で、ユウキのように血を飲む存在を吸血族、シズネのように吸血族の命令に従うようになってしまった存在を眷属と呼んでいた。眷属の方は、オキツの呼び方と違っていたが、吸血族の方は偶然にも同じ呼び方のようだった。

「そうだね。協力者というのは、物語なんかで登場する吸血鬼の眷属というのに近いね。この協力者は、吸血族の命令に従うようになるだけでなくて、主の吸血族のために少しだけ進化するんだ」

「進化?」

「進化といっても、生きているうちにできる変化なんて限られる。だから、厳密には何かに秀でるようになるといったところだ」

「何かに秀でる……」

 ユウキはオキツの言葉にピンと来なかった。シズネが協力者となって、ユウキの命令に従うようになったのは間違いないが、何かに秀でるような変化が起こった覚えは全くなかった。そもそもオキツがどんな変化のことを指しているのかがわからなかった。

「よくある話だと、主である吸血族を守るために協力者の筋力が増えるとか、かなり遠くの音が聞こえるようになるとか、そんなところだ。別に突拍子もない能力に目覚めるといった訳ではない」

 オキツに説明をされても、思い当たる節が全くなかった。

「おそらく彼女の場合は協力者となることで、血を飲まれる耐性をつけるという進化をしたようだ。だから失血死をしてもおかしくない程、血を失っても今こうして生きている」

「言われてみれば……」

 ユウキは今までの生活を思い出した。思い返せばシズネと出会ったばかりの頃は、ユウキが血を飲む度にしばらく体を休める必要があった。しかし最近ではユウキが血を飲んだ後、体を休める時間がかなり短くなっていた。シズネの健康管理の賜物かと思っていたが、シズネが協力者として進化したからということになる。

 そのおかげでシズネが生きているということを、素直に喜ぶことができなかった。ユウキがシズネの血を求めたために、よりにもよって血を飲まれるためだけの存在にしてしまったのだ。これでは、茶髪の男が言っていたように、奴隷にしているのと変わらない。

「もしかして、みんなが言うシズネの血が美味そうというのも進化に関係あるんですか?」

 以前シズネはユウキに血の美味しさを尋ねた際に、極上の血にしたいと言っていた。また、先日会った茶髪の男もシズネの血を美味しそうと言っていた。今ではシズネの血しか飲まないため気付かなったが、シズネの血は協力者になることで、かなり極上のものになっていたのかもしれない。

「それも関係あるかもしれないね。だけど、血の味については、食生活が大きく関わっているから、彼女の食生活がよかっただけということもありうるよ」

「そうですか」

 表面上は納得しながらも、自身の血を極上のものにしたいとシズネの気持ちがそうさせたのではないかという思いが拭えなかった。

「そんな訳で、輸血も大変だったよ。これは後から分かったことだけど、彼女は協力者になったことで、骨髄が活性化され、人よりも多くの血を作れるだけではなくて、超低血圧状態にも順応した身体になっていたんだ」

「超低血圧状態?」

「便宜的にそう呼んでいるんだけど、要するに血を飲まれて血圧が異常に下がった状態に耐えうる身体になっていた。それでも、彼女がうちに来たときは、体内の血液が失われた危険な状態で輸血をする必要があった。しかし、輸血しようにも、超低血圧状態から急に血圧が上がれば、体が急な変化に耐えられなくなる可能性がある。だから、その均衡を壊さないようにしなければならなくて、輸血のペースを調整するのにかなり神経を摺り減らしたよ」

 かなり精神的な負荷のかかる現場であったことを伺い知れたが、医師として患者に不安を与えないように気を使ったのか、オキツは冗談めかした。

「ありがとうございます」

「正直言って、彼女への輸血には細心の注意を払ったけど、これが最善だったのかはわからない。命を失わなかったとはいえ、未だに意識は戻っていない。普通の人の身体でさえまだ分かっていないことが多いのに、僕たち吸血族関係のことは分からないことが多すぎる。こんな不確定要素が多い状態で彼女が目覚めるかどうかは断言できない」

 オキツは改めて真剣な表情を見せて、下手な期待を持たせないよう現状を淡々と語った。オキツは自身が治療した結果、シズネが目覚めていないということに責任を感じているようだが、ユウキにとっては、シズネを生かしてくれただけで、感謝しきれなかった。

「それでも、生きていただけでもよかったです。俺はシズネが目を覚ますのをいくらでも待ちます」

「なるべく僕も協力するよ。この病室は彼女が目覚めるまで使っていい」

「何から何までありがとうございます」

「ところで、君の親は吸血族だったかい?」

「いえ。普通のヒトでした」

「どうりで吸血族のことをあまり知らないみたいだね。よければ、このまま吸血族のことを説明しようか?」

 吸血族のことを知ることのできる機会が突然目の前に現れ、ユウキはどうすべきか困惑した。もちろん吸血族のことについて知れるなら聞きたかった。

 そもそも、シズネに会うまでは吸血族のことを知ろうと思うことすらなかった。しかし、シズネと出会うことで、シズネと共に吸血族である自分と向き合うことができるようになった。ユウキはシズネから多くのものをもらったというのに、シズネからは多くのものを奪ってしまった。誰よりも吸血族のことを聞く権利があるのは、一番の被害を受けたシズネである。そして、ユウキはシズネからの罵詈雑言を受け止める義務がある。そんな中で、ユウキだけが先に吸血族のことを知る訳にはいかなかった。

「いえ、止めておきます。吸血族について聞くべきなのは、俺よりも吸血族によって振り回されたシズネです。だから、シズネが目を覚ましたら、二人で聞くことにします」

「そうか……。それじゃあ、今僕から説明できるところは以上かな」

 オキツは神妙な面持ちを浮かべた。

「困ったことがあれば気軽に呼んでくれ」

 説明を終えたオキツは丸椅子を元の場所に戻し、病室を立ち去ろうとドアに触れた途端、「あっ」と何かを思い出したかのような声をあげた。

「彼女の体温が低いのは気になるけど、彼女の容態も血圧もかなり安定しているから、そこは心配しなくていいよ」

 少し振り返ってその一言だけ残すと、オキツは再びドアに手をかけ病室から立ち去った。

 オキツが去って、ユウキは病室に一人残された。頭の中でオキツの説明が何度も反芻された。オキツの説明を思い出す度に罪悪感に苛まれ、耐えきれずユウキは、シズネの顔を一目見ようと傍に立った。

 眠ったままのシズネを見つめると、首元には茶髪の男による痛々しい傷だけではなく、古い傷跡もいくつか残っていた。

「俺のせいで身体まで変わってしまって……。俺があのとき助けられなかったせいで本当にごめん」

 ユウキは傷跡に手を触れようとしたが、触れる直前に手を止めた。シズネを傷つけてばかりの自分がシズネに触れる資格なんてものはなかった。

 ユウキはオキツからの血の提供を断ったものの、〝空腹〟の限界を感じ始めていた。ユウキはまたしてもシズネを傷つけてしまうのではないかとの思いで、シズネに触れるのは躊躇った。しかし、こんなことになるまでは、ユウキがシズネを必要としていたように、シズネもまたどことなくユウキを求めていた。もしかすると、二人を特別な関係たらしめた〝食事〟によって目覚めてくれるのではなないかという期待を抱いた。

「いただきます」

 小さく呟くとユウキはシズネの首元に喰らいついた。意識のないシズネから血を飲むなど最低な行為であることは自覚していたが、それでも、淡い期待にすがるしかなかった。

 しばらく血を飲むも、いつもならばかけてくれるシズネの合図もなかった。血の量が分からないため、ある程度で血を飲むのを止め、シズネの様子を確認したが、未だに眠ったままであった。

 二人の関係はもう取返しのつかないところまで来てしまったというのに、もしかしたらまだシズネが血を飲まれることを求めているかもしれないなどというばかな期待を抱いた自分を呪った。今回の〝食事〟で、もう二度とシズネとは前の関係に戻ることはできないことを突き付けられ、ユウキはただそれを受け入れるしかなかった。


*


「失礼するよ」

 夜が明け朝日が昇り切った頃、室内にノックの音が響き、オキツが室内に呼び掛けた。

「おや、一晩中彼女の様子を診ていたのかい?」

「え? あ、はい」

 シズネの傍についているうちに、眠りこけてしまっていたユウキは、外からの日差しに目を細めた。

「ちゃんと休んだ方がいい。そもそも君も怪我人なんだ。昨日目を覚ましてこの調子では、君まで倒れてしまうよ」

「そうですけど、俺の知らない間にシズネが消えてしまうんじゃないかって、怖くて」

 オキツはユウキの様子にため息を吐いた。

「気持ちはわかるよ。でも、君まで倒れたんじゃ本末転倒だ。それに、僕たちも定期的に彼女の診察をするつもりだ。だから、せめて食事、睡眠、休憩はしっかり取りなさい。それが医師としての最低限の指示だ」

 ユウキはオキツの言葉を聞いても、安心することはできなかった。それはオキツも理解しているのだろう。そのため、オキツはユウキの行動を無理に止めることはしなかった。

「はい、わかりました」

 そうは言いつつも、シズネがこんな目に遭っているのが自分のせいである以上、そう簡単に割り切れるものではない。オキツへの言葉とは裏腹に、ユウキは最後まで責任を取る覚悟を改めて決めた。

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